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kosaten にほんご japanese language study参加無料毎週日曜日 14:00-15:30/15:30-17:00 場所: http://kosaten.org/access/予約 よやく contact@kosaten.orgkosaten で  まいしゅうにちようびに 日本語(にほんご) を みんなで べんきょう します。おもにビギナーのためににちじょうかいわをべんきょうしています* べんきょうしたいこと・ わからないこと が あれば おしえて ください。きほんてきにいったいいち(それかペア)でべんきょうできます。 kosatenで毎週日曜日に日本語をみんなで一緒に勉強する時間を作っています。主に初心者向けの日常会話を勉強していますが、その他のレベルも対応できます。プロの先生はいませんが、みんなのアイディアと経験を活かして、だれでも気軽に参加できるクラスを一緒に作って、楽しく日本語会話を学びましょう。学びたい単語や内容があればぜひ教えてください。基本的に一対一(それかペア)で勉強できます。 kosaten japanese language studyfree to participate / newcomers welcome!every sunday 14:00-15:30/15:30-17:00 access: http://kosaten.org/access/reservation contact@kosaten.orgWe hold a regular japanese language class at kosaten every Sunday afternoon.  Mostly beginners are joining the class, but please let us know if you have a wish for more advanced levels. Although we do not have “professional” teachers here, let’s see what we can do with our own skills and ideas so we can enjoy learning to converse in Japanese. We would be happy to know if you have any specific terms, words and phrases in japanese that you would like to study with us! Mostly there will be the opportunity to study one to one, or as a pair. kosatenでは下記のことを大切にしたいです。お越しになる前にご覧になってください。同意できる人はぜひkosatenにいらっしゃってください。kosaten has the following principles – please read them in advance – if you can agree with them then please…

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[:ja]お家やお店で余っている食品を他の必要としている方のために活かしませんか? 杉並区で開催されている「フードパントリー」(無料食料配布)にぜひご寄付ください。 白米 乾麺(うどん・素麺・パスタ等) お菓子 粉物(小麦粉、片栗粉、ホットケーキミッミックスなど) 調味料(醤油、食用油、味噌など) 瓶詰・缶詰・レトルト食品・インスタント食品 飲料(ジュース、コーヒー、紅茶等) ※1L以下のもの 野菜(要相談)                      <食品の条件> ※これ以外のものは寄付できない場合があります ・未開封で、包装・外装が破損していないもの ・冷蔵、冷凍でないもの ・賞味期限が1カ月以上あり、明記されているもの(国産米、 塩等を除く) ・内容物が明記されているもの(アレルギーや宗教上の理由で食べられない方もいます)   寄付の窓口 直接な持ち込み(水曜日と日曜日のみ)・郵送 167-0041東京都杉並善福寺3-2-14ゴールデンハイツ1F kosaten(kumonの隣)                       主催者について: あなたの公-差-転 kosaten 公 public + 差 difference + 転 change 隣にいる人は自分と異なる国籍、ことば、ジェンダー、セクシュアリティ、障がい、視点、価値観をもつ前提で、「差異」を大事にする空間。ここはあらゆる違いを認める場所です。さまざまな人が安全に共有できるスペースを作っていきたいです。 自分の当たり前のことをひっくり返す場所として固定概念を壊して、自分の価値観を問い直す機会を設けます。そのプロセスの中表現と対話が重要な軸になり、表現の自由と他者と向き合う場所、多様な声が上げられると同時に他人の声に耳を傾けられる場所になりたいです。2015年から杉並区善福寺を拠点として活動してきました。2020年4月から杉並子ども食堂ネットワークに所属して、毎月フードパントリーを開催し、現在合計で50世帯の生活困窮者の方が利用しています。   お問い合わせ: contact@kosaten.org 080-7119-1461 (水曜日・日曜日) http://kosaten.org[:]

[:ja]                       準備中:一緒にこの時間を作りたい! ご協力くださる方を募集中 Fair-Ground(フェアグラウンド)女性とクィアの方のテント 長い間kosatenではジェンダーロールの問題、セーフスペース の確保ができていないという課題、またシス男性が多いことで様々な方にとって安全に居られないことがありました。この問題に直面することで女性とクィアの方のための優先時間を作りたいと思いました。フェアグラウンドはこれから毎月開催される女性とクィアの方のための時間・空間です。自分らしくいられる、女性・性的マイノリティの方が連帯できる場所で、普段話す機会がないことについて声をあげて、安全で楽しく過ごせる環境をつくるために一緒に協力し合いたいと思います。フェアグラウンドのように自由に遊んだり、仲間をつくったり、日常の圧力から逃げだしたりしながら、フェア・グランドとして対等な立場で二元論・シス男性中心・異性愛主義から自分を取り抜くスペースを作りたいです。kosatenとしてはまだいろいろ勉強中ですが、ぜひ一緒にこのテントをあげることができればうれしいです。 準備段階でこの企画と関わってくださる方がいましたらぜひご連絡ください。 メールはこちら Fair-Ground – Raising a Tent for Women and Queer People For a long time at kosaten we have been facing a problem of gender roles, lack of safe space and a prevalent presence of cis men, making it difficult for many other people to feel at ease in the space here. In confronting this situation we felt that a specific time for women and those of queer identities could use the space more freely. We are glad to introduce Fairground – a monthly time and space for women and queer people.  It is a space to be comfortable in who we are, to feel solidarity with each other, to speak up about things we often feel we don’t have the chance to voice and work together to build a safe and…

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[:ja]春天来了 一天 吹,一天雨淋,有 是暖洋洋的晴天。 风 时 当 的日子重复出 ,我就 得是春天了。 这样 现时 觉 在我学生的 候,我就 得春天是 一个不 定的季 。 时 觉 这样 稳 节 因 我很担心在 典礼上穿什么衣服。 为 毕业 然后我就开始看天气 。图 昨天,我去了筑波山。但天气 是不 定。 还 稳 梅 枯萎了, 花 没开,天空阴沉沉的。 树 樱 还 如果是晴天,我 就可以看到关 平原的平坦呢。 们 东 山脚下有一个养蜂人。 忽然看到在一个地方黄色的油菜花盛开,我就下了 。 里是一家小小的蜂 车 这 蜜店。 那个养蜂人告诉 样 我,食用的油菜花和油用的油菜花是不一 的。 他 种们 植油菜已有 30 年左右的历史,而且自己采集种子。 他 把种 们 荚 踩 这 过 子 束晒干, 在上面,摘取种子,每年都要重复 个 程。 他 向 们还 我展示了装在糕点盒里的种子。 “你们是做菜籽油的吧?” 我 。说 “什么?”养蜂人回答。 田里还 头 种了韭菜,韭菜花开在 上。 养蜂人告诉 这 我, 些花都是蜜蜂的食物。 在 个花少的 , 这 时节 们 满 即使是春天,养蜂人也在他 的小土地上种 了油菜花。 以此来维持蜜蜂的生命。 手 ,语 WRAP,回来了。 Pantry 和我 的人人食堂 们 也将开放。 现 这 经 在 两个地方已 越来越完善了。 让 们我 一起享受每个人的 KOSATEN 的春天。 El día de primavera Un día sopla el viento, un día llueve, a veces es un día cálido y soleado. Cuando esos días se repiten, siento que es…

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[:ja]                   松下敏士個展 – カフェ・カワセミピプレット 2021年4月3日~4月18日 カフェ・カワセミピプレット 〒167-0041 東京都杉並区善福寺1-30-9 土・日・月・火 11:00-17:00 (一般展覧会はカフェ営業中のみ) 内覧会 4月7日(水) 15:30-17:00 ご覧になる際にはカフェメニューからワンオーダーをお願いします。 松下敏士 1986年生まれ。石神井養護学校卒業。あけぼの作業所に務めている。2018年から益子陶芸会阿佐ヶ谷サロンに通っている。書道・水彩も巧妙で、 世界の料理にも関心がある。[:]

[:ja]Language Beyond #17 トルーマン・カポーティ 「夜の樹」 2020年11月22日16:30~18:30 Sさん、工藤さん、牛山さんご夫妻、野田さん、吉川 *最近気になっていることなどの共有 *議論 ・日本では「ティファニーで朝食を」のイメージが強いが、カポーティはもっと暗く、狂気に満ちた作品を書く作家だ(そこから、「ティファニーで朝食を」の映画版を見たか、本を一冊読んだか、などの話になった)。 ・けったいな話だと思った。シーンの意図など、どうしてこういう展開になるのか、理解の難しい部分があった。(牛山さん) ・カポーティの作品では「遠い声 遠い部屋」、この本なら「無頭の鷹」がおすすめ。カポーティは、どうしてこの作品を書かざるを得なかったかなどが、自分のことのようにわかる稀有な作家である(その他は、ハクスリーや、テネシー・ウィリアムズ)。(Sさん) ・そういう作家はあまりいないので、面白い。ふだんロシア文学を読み慣れているので、アメリカ文学は新鮮だった。(工藤さん) ・「夜の樹」だけを読むと、盲目の人や背の低い人のあつかいという意味で、難しさがあるかもしれないが、他の作品も読むと、まだ必然性がわかったりする。(野田さん。話し合いの結果、野田さんが読まれたのは1970年版で、最新の新潮文庫版にはない、現代では差別用語とされている単語が使用されていることが分かった)。 ・カポーティは、囲いの外側や、危なっかしい人に惹かれた人だった。差別的な用語がたとえ使われていたとしても、どちらかといえば彼らの側に立つように、その囲いの外側にある豊かさを主張した人だったと思う。(Sさん) ・それが、地面のぬるぬるするようなきみのわるさでもあるが、もっと読んでみたいという気にさせられたきみのわるさだった(牛山さんの妻さん)。 ・この物語は、ポリティカル・コレクトな人がその世界の外側に出会う話として読めるような気がする。(吉川)[:]

[:ja]Thank You from our Friend from Guinea We are glad to announce that Kosaten’s friend Mさん, from Guinea, has safely made it back to West Africa. We made an appeal in our last mail magazine for support for his journey and we were so heart-warmed by the generous support of many people, raising 182000 yen in the space of 1 week! We are truly grateful to you. Thanks to your support Mさん could take a flight to West Africa on 25th November and is safe and well. We are of course sad and lonely that our friend had to leave Japan so suddenly but we dearly hope he will have another chance to come back in the future. Here is a message from Mさん himself: Greetings and thank you very much for your financial support. The emotion is strong. I understand the strength of being with a community. This motivates…

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[:ja]———————————————— 公-差-転を続けていくための費用を一緒に分担してくださいませんか? ———————————————— これまで「あなたの公-差-転」に関わったり、 興味を持ってくださってありがとうございます。 このたび、お願いがあります。 公-差-転を続けていくための費用を、一緒に分担してくださいませんか。 現在、家賃などの費用を分担する方が足りていません。 今年、3人の方が分担を終了し、 10月末の時点で、6人の方が毎月計125,000円を分担してくださっていますが、 1ヶ月の家賃+光熱費+通信費155,000円に、毎月30,000円が足りていません。 足りない分は個人が出してきたのですが、1人当たりの負担が大きくなり、 現状では、公-差-転を続けていくことが難しくなってきました。 公-差-転が必要だと思う理由は、 公-差-転の活動が、どんな人をも尊重して生きる社会を作ることに繋がると思うからです。 公-差-転では、 1、様々な属性、背景、価値観を持つ方たちが、違いをないことにせず、互いを尊重する関わり方を学べます。 2、失敗しても排除せず、やり直すことができます。 3、とはいえ、様々な方が存在することができるために、差別・暴力・ハラスメントの排除に取り組みます。 公-差-転を続けられる目安 ―――――――――――――――― 第1目標 毎月155,000円(家賃+光熱費+通信費) 第2目標 毎月185,000円(上記+備品消耗品費など) 第3目標 毎月215,000円(上記+更新料、保険料、修繕費など) ———————————————— 第1目標 毎月155,000円を達成するには、 A: 毎月1,000円の場合、あと30人の協力が必要です。 B: 毎月5,000円の場合、あと6人の協力が必要です。 C: 毎月10,000円の場合、あと3人の協力が必要です。 ―――――――――――――――― 費用の分担に協力してくださる方は、以下から選んでください。 A: 毎月1000円、B: 毎月5000円、C: 毎月10,000円、D: 毎月それ以上 ―――――――――――――――― 単発の分担もありがたいです。 単発は10,000円、5,000円、2,000円を用意しました。 こちらより→https://kosaten.base.shop/ ———————————————— 2021年の12月末までに、第1目標を維持できなかった場合、 公差転を続けるか、続けないかを話し合って決めます。 私たちは、さまざまな背景、価値観の方たちが交差する場所として、 あなたの公-差-転を続けていきたいと強く願っています。 「あなたと一緒にkosatenを展開したい」 http://kosaten.org/ja/pleasehelp/supporter/ 多くの方の協力があれば「あなたの公-差-転」を続けていける可能性が高まります。 どうか費用の分担に協力していただけませんか。 この文章を書きはじめた10月半ばは、毎月65,000円が足りなかったのですが、 その後、2人の方の協力によって、あと毎月30,000円の分担があれば、 第一目標に達するところまで至りました。 毎月の分担に協力していただける方は、下記のメール宛にご連絡ください。 contact@kosaten.org どうぞよろしくお願い致します。 2020年11月 あなたの公-差-転 佐野 ———————————————— 毎月分担してくださった方/くださっている方に感謝します 青木千鶴子さん 2019年12月~ Xさん     2019年9月~2020年8月 Xさん     2019年9月~12月 Xさん     2019年4月~2020年8月 黒岩堅さん   2018年11月~ 安永明生さん  2016年5月~2018年8月 Xさん     2016年1月~ Xさん     2016年1月~ 前坂勝さん   2016年1月~2018年2月 Mさん     2016年1月~ 多田駿さん   2016年1月~ ―――――――――――――――― 感謝! 尾崎豊さん ―――――――――――――――― 単発の分担をありがとうございます 2020.10.23 任意団体SROさん 2020.10.25 Xさん ―――――――――――――――― 分担いただいたお金は、公差転の維持費にあてました。 改めて感謝申し上げます。[:]

[:ja]とても難しい問題が多く一度に考えると支離滅裂になってしまいますのでエマさんの提案に沿って答えてみます。 ① 一人ひとりの話を聴く機会 自分の経験・当事者性・問題意識を共有する他、 個人的な背景や人生の出来事について話さなくても自分が大事にしたいこと、主に取り組んでいることでも紹介できればと思っています。できるだけいろいろな声を聞く機会があればうれしいです。 >>一人一人の話は聞いてみたいです。でも自分のことを話すのは少し苦手です。 ② kosatenで気になった発言があった時どうすればよかったかを話し合う いくつかの事例をピックアップして、テストの形ではなく、どのように反応したかったかをそれぞれに聞き合う → ロールプレイでもいい >>素朴な疑問があるのは仕方のないことです。誰でも育った環境や経験が違いますので。でもそのことの持つ意味を知ること、背景を知ることは必要である、と思うので私たちはこれからも学び続ける必要があると思っています。気になる発言を聞いたらその時にさりげなくそのことを伝える勇気を持ちたいと思います。 ③kosatenで何がしたいか?何のために関わっているか? 様々な背景を持った方と交流することによって人間や社会に対する理解が広がり、深まっていくのでこれからも関わり続けたいと思っています。ただ私はkosatenの運営やイベントに直接関わることは難しいので出来る範囲で参加したいと思っています。 ④(kosatenの想い)をすべて理解し体の中にしみこませるには時間がかかることだと思います。この理念を印刷してkosatenの中のどこかに張り出したらいかがでしょうか?常に目に触れることで意識されるので頭の中に残っていくと思います。勉強会も必要だと思います。 ⑤2か月リモートでやってきました。リモートの良さは自宅にいながら参加できることです。でもkosatenという同じ空間で一緒に過ごす楽しさもあります。これからは両立でやっていってほしいです。 ⑥具体的には特に様々な背景を持った外国の方々の交流の場作りに参加したいと思います。現在、にほんごを一緒に勉強していますがこれからも続けたいと思います。パントリーにも関わっていきたいです。[:]

[:ja]Reinventing Conflict in Everyday Life By Jong Pairez 12 September 2020 —   I have not been actively participating in the activities of Kosaten since the past two years. It is because my day job as a service worker has completely taken over my time. The precarious work in the IT industry demands so much energy and time. This is perhaps the reason why I am a bit detached with the development of Kosaten recently.   Kosaten is a cross-platform community space and safe space for different minorities in Tokyo. It started as a women-run art project but eventually evolved into a long-term project that aims to bring together different people from all walks of life. From the website, Kosaten is described as a place of meaningful conflict and a public crossing for everyone. As a practicing artist who is critical of a stereotypical art world, Kosaten was a perfect…

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[:ja]今回、立ち止まって反省と学びの場をもつことを、長い間求めていたと思います。自分の違和感や疑問をどのように周りの人に伝えるのかを保留にしたまま、長い時間を過ごしてしまったからです。2ヶ月間イベントを全て休むことになって、自分の気持ちと向き合う時間もできました。自分が活動に積極的に関わることに負担を感じていたところ、コロナ渦で全体の活動も変化することになりました。その間にも、関わっている人たちにさまざまな負担がかかってしまったことを反省しています。せっかく話し合いの場が設けられたのに、その場に参加することができないジレンマがありました。他にも予期せぬ出来事もあり、さまざまな場面で私ではない誰かに大変なケア労働が発生しました。これまでにも意見の衝突や違和感の共有で、辛い思いをしたこともあるし、傷ついた人がいました。そのことを省みる必要性を感じています。でも、このことを誰かに話したいという気持ちになかなかなれずにいました。それを話したら、また誰かが傷つき、怒り、誰かがそのケアをしなくてはいけない、言葉を発することが億劫で、かといってそれも無責任なことのように感じていました。書きたい気持ちはあったけれど、どうしても書くことができませんでした。ひどく怒っているのか、悲しんでいるのか、絶望しているのか、その全部なのか、わからない。でも、何が問題なのか、自分自身に真摯に問うていき、学んでいきたいと思います。 ——————————————————————————————————————   時間をかけて、多少びくびくしながら文章を書いて、後で後悔することも容易に想像ができるけれども、書くことをやめるわけにはいかなかった。   強く抗議したり、抵抗せず、NOとはっきり言わないこと。 強いられた痛みに対して、どのように応答するか。どう責任をとればいいのだろうか。 深い痛みと失望が私を襲った。 自分が時にはなぜここにいるのかわからなかった。 怒りにのみこまれて、何がなんだかわからくなってしまった。 どうしても言えない、表現できない。 痛みが痛みをさらに呼び出して、どこにも逃げ場がない。 自分や誰かを責めたり、何かに怯えたり、焦ったりせずに向き合う姿勢をもちたい。 真摯に批判を受け入れ、自分の言葉を紡いでいくことは難しいけれども、そうすることでしか私は自分を受け入れることができないと思う。 でも自分を支配しそうなほどの圧倒的な怒りが、おそろしく、傲慢なようで、かなしい。   信頼は一方的に築かれるものではない。 相手の立場を想像することなく、身勝手なふるまいによって人を傷つけた自分自身の経験。 問題を自分の想定範囲のなかでだけ受け入れて、それ以外はなかったことにしてしまった時。 他者にとっての「興味深い」エピソードとして、マイノリティの経験が消費された時。   痛みと向き合うことからでしかはじまらない、対話があると思う。 あの時、なぜそう言ったのか? なぜ、あのようにふるまったのか? 自分が責められないため? 問題をうやむやにするため? 私は、何をした? 過去を乗り越えるという言い方はあまりしない。 乗り越えられないけれど、ずっとその痛みを忘れないことが、今を生きるための私の責任だ。 ひどく苦しみ、憎み、怒りを覚えるその瞬間に、自分自身とも、深く向き合っていけるようになりたい。   ゆっくりと対話する時間・考える時間に余裕がなかったこと。 自分のできなさを心苦しく思った。 少人数での意思決定、ケアと労働……… 負担を当然視して、我慢することに慣れてしまうこと。 誰かに任せる、押し付けること。 責任とは、平等とは、どういうことだろうという、漠然とした問い。 お金のやりとりをなるべく避けて関係性を作っていくことへの希望と、矛盾を、おもった。 負担を「同じ」にするのではなく、各々の関わり方を尊重することが平等だと感じていた。 みんなそれぞれとまとめるのは簡単だが、主語を大きくしたら何が言いたいのかわからない。 個々に存在している問題を普遍化して、結局みんな大変だし、仲良くやっていけばいいじゃない…と無造作に言ってしまったらかなしい。 それにしても、お互いを尊重できる、理解しているとは、どうやって「わかる」のだろうか。   「…それってそんなに重要なの?」 「真面目に考えすぎ」 「頑張っていて偉いですね」 …………これまでの学びと経験を活かすことができなかった。 私は自分の頑張りを誰かに認めてもらいたいのだろうか。 自分に酔っているのだろうか。 「かわいそうな自分」ごととして、「偉い自分」として、何かをアピールしているのか。     加害と被害の二項対立で何事も普遍化できないとわかっているけれど、はっきりしているのは、自分の被害を訴えることと、自分の加害を認めることと、どちらにも痛みが伴うということ。たとえば後者の痛みと、私自身はどう向き合えば良いのだろうか。自分の過ちを見つめて、そこから成長していける場所を、求めている。自分が直に受ける「抑圧」には敏感だけれども、自分が意識せずにいられる別の「暴力」には、無頓着で、あまりにも無関心に日々過ごしているから。どうやってそういう場所を作ったらいいのか、わからない。辛くても、自分の当事者性と他者のそれを天秤に掛けるのではなく、相手の立場も想像して一歩引いてみることができるだろうか?自分の失敗や過失も認めた上で、どういう構造で差別が起きるのかを時間をかけて向き合っていき、次に活かすことができるのかどうか?     私が怒りを表明しようとした途端、それを許すまいとするもう一人の自分の声が聞こえる。 私のこの怒りは「不適切」で、自ら謝罪すれば、静寂を手に入れることができるのだ。 ああ、もう何も言いたくない。 ある種のミソジニーとエイジズムではないかとも考えた。 そういう環境に一方では自分も甘えているのかもしれない。 怒れなかった自分に絶望した。 怒りが微塵も伝わっていないこと。 そもそも、怒りが伝えられないこと。   自分が信念をもって、真摯に何かに取り組めているという自負は? もっと頑張らないといけないんじゃない? バーンアウトではなくて、怠けてるだけじゃない? 「頑張る」という言葉は好きではないのに、頑張るって言うのは矛盾だな。 本当に辛いことは、しばしば言葉にできないと思う。 だから「頑張らなきゃ」とか「大丈夫」とか言うんだと思う。 自分なりの問い方、議論の場のあり方、暴力を再生産させないための、安心安全の場のつくりかた。 考え続けていくこと、学び続けていくこと。 まだまだ、掘り下げて、内省する時間も必要だ。 やり方はいろいろあると思う。複数のやり方を探す。 誠実さは言葉や態度によっても示されるものだと思うけれど。 誰にも何も話したくなかった、長いあいだ言えなかったこと。 なんとなくごまかしたこと。 抑圧されたもの、対象化されたもの、揶揄されたもの、矮小化されたもの。 そのひとつひとつ。 さまざまなことを放り投げて、自分の身勝手な憶測と妄想の中に落ちてしまっていないか。 私は今まで何のために何を「頑張ってきた」? そもそも何を?ってもう一度、問うてみよう。 m.  [:]

[:ja]7、8月、勉強会という名の話し合いを重ねる間にも、問題として指摘された「目の前で起きている抑圧に対処できない」ことが何回か起きました。 あなたの公差転には、様々な人が自由に出入りできるため、偏見や決めつけ、善意の差別、エイジズム・ルッキズム・セクシズム・レイシズム、性別二元論、異性愛主義、性別役割分業、家父長制や世間の主流の価値基準も持ち込まれます。私たちは、公差転が多様な人たちの居場所であることを願い、しかし誰も排除しないことを望んだため、抑圧した側ではなく、抑圧された側が退出するという矛盾が、今回またも発生しました。 抑圧する側を制止することができなければ、これからも同じことが繰り返し起きます。主催側は、ジェンダー格差や権力差のある双方の意見を同等に考えることはできません。私は主催側として、これから抑圧や暴力や差別を察知したとき、受け入れられない要求をされたとき、率直にやめてほしいと相手に伝え、相手にやめる様子がみられない場合、出て行くように伝えることを選択します。「私はいまこの場の安全が保てないと感じています。後日あなたの話を聴きますので、一旦退出していただけますか」と。 しかし、その場が安全になったとしても、その後、紛糾することには変わりないかもしれません。なぜなら自分の低い立場はよく見えるけど、特権はよく見えないからです。特権とは不都合なくあたりまえにできることです。言いたいことが言える、話を聞いてもらえる、部屋を借りられる、公的支援が受けられるなど。この社会では「男性」「日本人」という立場はとても大きな特権をもっています。 特権を批判されるとこう感じるかもしれません。 「差別(抑圧・ハラスメント)とは知らなかった」 「みんなの前で、突然批判されて驚いた。くやしい、恥ずかしい。悲しい。つらい」 「侮辱されて謝りたくないし学ぶ気にもなれない。みんなの前で批判したことを謝って欲しい」 「自分は特権を感じたことはない。逆に相手の方が特権を持っている」 現在、特権への批判を自分の存在への非難と感じ、自身を被害者と認識した相手との葛藤が続いています。しかしこの構造は、数年前にすでに起きていました。そのとき、考え方や対処の方針を合意していなかったことが、現在の状況に続いていると思います。相手の事情を考えて人権侵害を許容してしまう私たちが呼び込んだものです。ゆえに主催する者は変わらなければなりません。相手を変えることはできませんが、自分が変われば関係性は変えられます。 あなたの公差転は、様々な属性、背景、価値観の違いを持った方たちが、その違いをないことにせず、どのような関係性がつくれるか、試行錯誤しながら互いに学べる場所です。しかしその過程で、自分の価値観や態度が問われたり、意見が批判される場合があります。それは私も同様です。自分の当たり前が揺さぶられる不安を感じたり、自らを問い直すという苦い思いをしたり、居心地悪さを感じるかもしれません。 これまで公差転では、異なる価値観がぶつかったとき、それらを個別に話し合っても、みんなで聴き合う機会はほぼありませんでした。言いっぱなしになったり、別の話にたくさんの時間をとられたりで、互いの思いや考えを深く知り合うことができませんでした。これから「警察と収監」で起きたことについて、言葉として表れていない声も含めて、いろんな視点を深く聴き合う状況が必要ですが、8月末に勉強会を終えた後、その機会をつくることはまだできていません。 勉強会のあいだ、わたしは暴言を浴びたり、恐れたり、泣いたり、はらわた煮えくり返ったり、自分を振り返って苦々しい思いをかみしめながらも公差転にとどまり、お金を出し、労働をし、アサーティブに努めていて、我ながらアホかと思います。でもその泥沼のような対立と対話の先に、異なる属性をもちながら、互いの存在を尊重して意見を聴きあえる新たな関係性を作れる可能性があると考えています。しかし試行錯誤を経たうえでそれが叶わなかった場合は、私はしかるべき決断を下すつもりです。 あなたの公-差-転としてどうするかのステイトメントを作るには、まだ時間がかかりそうです。もうしばらくお待ちいただけるとありがたいです。 佐野[:]

[:ja]居場所というのは、社会の大河の流れに棹を差す小船のようなものである。 流れ着く人が体を乾かし、また泳ぎ去っていく。 そのうちの幾人かが、船の乗り組み員を買って出る。 そうして、船は流れに反してその場にとどまったり、時には航行してほうぼうを回ったりする。 感傷的なたとえはこのくらいにして、今回は実務面からこの「船」を見てみよう。 「船」の運営にはスタッフ(乗り組み員)が必要だ。船長はいる場合もいない場合もある。船長がいない場合は合議制だろう。しかし船頭多くして船山に登るということわざもあるとおり、多すぎるのはよくない。かといって少なすぎるのも過重負担になるので、バランスが難しい。いずれにしても、乗り組み員全員が納得して運営の方向性を決めていくことが望ましい。 乗り組み員としてどのような人を迎え入れるのかは悩ましい問題だ。 乗り組み員を希望する人はひとりひとりスキルとエネルギー(情熱)を持っている。持っていない人を乗り組み員として受け入れてはいけない。このエネルギーをどういう方向にもっていくかで、社会を動かす運動にもなるし、内紛や場合によっては分裂の危機をもたらすこともある。乗り組み員と信頼関係を築き、そのエネルギーの方向性を見極めて、うまく活かすことができるかが、船の発展を決める。 また人によっては最初から他人を傷つけるのが目的だったり、船を乗っ取ることが目的だったりして、そうした目的を隠して入ってこようとすることもある。そうした背後の目的がわかったときに、その人をどう処遇するかも決めておかなければならない。 乗り組み員として受け入れることを決めたら、船の意思決定に参加してもらい、一人の仲間として対等に接し、そうして任せられるところから任せていくこと。そのうちに乗り組み員としての自覚が生まれ、主体的に参画していくようになる。 さらに、乗り組み員はいつまでも船にとどまるわけではない。当初の目的が達成されたり、本人と船の方向性が違っていたり、環境の変化だったり、仲たがいだったり、あるいは不幸な事故だったり、さまざまな理由で船から離れていく。そのときに理由をつけて先延ばしにしたり、じゃけんにしたりすると感情的なしこりが残り、あとあとまで尾を引くこともあるので、「来るものは拒まず去る者は追わず」といった境地でいることが大事である。 「船」の大きさが小さい場合、一人でもトラブルの種をかかえこんでいると容易に崩壊する危険性がある。[:]

[:ja]勉強会となってからは、あまり参加が出来ていません。オンラインとなっているので まだなれていないのが理由です。 kosatenで起きている問題、いろいろな意見もでてくるので、そういう考えもあるのかと考えさせられることが多い。問題提起されてはじめて気づくことも多い。 暴力構造について気付いたこと、知識が多いほど良いという社会だと思いますから、言葉をしゃべるほど力が増強するかもしれませんね。 これからやりたいこと言葉にたよらない意思疎通。[:]

[:ja] 無自覚な言動 文責:黒岩堅 今回学んだことをまとめてみました。 その人にとっては常識であること、その常識は他人を傷つける可能性があるということ そして相手を傷つけたということにはその人は気が付かないということ。 その人の中では傷ついた相手がおかしいんだと信じていること。 私はどうなのだろう?!言動はどうなのか?その人と同じことを他の人にしていないか? 無自覚な言動、常識は差別を生む。 この2か月で差別の温床となっている構図を学んだと思いました。自分自身の差別の温床と向き合っていきたいとおもいました。 [:]

[:ja]公差転について考えたこと 野田光太郎 自分は「アートと社会的な意識の関係」というテーマから公差転に興味を持ったので、表現の自由と責任のあり方については気になっています。最初に公差転の存在を知ったのが、とあるイベントのウェブサイトだったので、そのイベントの周辺で起きたトラブル(セクハラ発言とそれへの責任追及、および仲裁しようとした人への排除行動)を解説したブログを読んで、そういえばそんな話を耳にしたことがあったなぁと思い出しました。何にせよ、こういうことはどこでも起こりうるな、と感じました。 以前、誰かから「公差転でのコミュニケーションが表面的なものにとどまっていて、本音をぶつけ合う場になっていない気がする。本気で問題を解決しようとしているのか、疑問がある」という指摘があったと思いますが、私もそのことは薄々感じていました。しかし、このスペースが他者への配慮を優先事項として掲げている以上、不用意に「本音をぶつけ合う」=「思ったことをそのまま表現する」ことは許されないだろうし、それをすれば厄介な対立を生じるだろう、と考えていました。 公差転のような社会的弱者(この呼び方が適切なものかわかりませんが)に配慮した場所では、日本国籍保有者、男性、「健常」者、就労者など、社会的により優位な立場にある人間は、発言に気を付けた方が良いと考えていました。もっとも、私自身は自己が社会的に優位な立場にいるなどとは考えておらず、むしろきわめて低い地位にあるのですが、こういうことはあくまで相対的な比較の問題ですので、やはり自分はこの場では控えめにしているのがいいだろうと判断していました。そもそも私の本来の動機は、公差転の掲げているような理念や方法論を知りたいということにあるので、自分が自己表現したり意見表明することには積極的ではありませんでした。あえてお互いの考えを問いたださなくても、同じ空間に座っているだけでも何かしらの相互理解にはなるだろう、という消極的な態度を取ることが多かったです。ただ、イベントの質疑応答に参加したり、オープンマイクの出演者に触発される中で、もう少し自己主張しても良いのではないか、という気持ちが出てきたことも確かです。そうしないとイベントの趣旨に貢献できないし、自分自身の学びとしても中途半端だなと感じていました。 公差転マガジンに創作風の文章が載るようになったことは、ちょっと注目していたので、それが今回の事態をもたらしたことは残念です。特に「監督失格」(林由美香の映画)の紹介など強い印象を受けました。たしかに、公差転のカラーからすると場違いな言葉づかいや内容が目だちましたが、いわゆるマジョリティの、マスのサブカルチャーにはありがちな表現なので、そういうものが内面から出てくるパーソナリティとどう向き合っていくか、という問題提起にはなるかもしれないと感じていました。個人的にはけっこう書き手の孤独感や鬱屈に共感して読んでいる部分もありましたね。 創作など自己表現としての文章は、どれだけ自己を率直に出せるかという辺りに真剣さが問われるので、それを抑えて読者への配慮をどこまでするべきか、というのはなかなか難しいところがあります。私もよその発行物へ寄稿した時に、原稿を根本的な部分に及んでいろいろと修整させられたことがあり、こういうことは編集者の権限と責任が明確にされた上で、書き手との信頼関係ができていないと、なかなか納得できることではないなあ、と感じたことがあります。 私は他人を支援しなくてはならないとか、嫌な気分にさせてはならないという、配慮を前もってめぐらせておくことが苦手です。そういう責任感が希薄であり、そういうことは「自分がそうしたいからそうする」ものだと考えているので、行動はその時の気分に左右されます(あるいは「依頼されたからやる」という受動的な態度)。また、私は自分の思考や発言に対して、他人から制限をくわえられるというのは好きではないのです。それは、今までの人生で自分が散々そういう目に遭ってきて、かなり理不尽な抑圧を受けていたという感情があるので、常にそういう制限からの自由・解放を求めているところがあります。他人からジャッジをされるという体験は多いのですが、それをそのまま受け入れるということはまずありません。私にとって「自分が自分であること」を守ることはきわめて重要で、人間性なり認識を根本的に変えるということは深い納得がないと起こりえません。その「認識を変える深い納得」に出会いたくていろいろな場所に出かけていく、ということもあるのですが。 コミュニケーションというのは根本的には自我と自我のぶつかり合いだと思っていて、必ずしも平和的に進行するものではないと考えています。その衝撃をどのように、どれぐらい和らげるか、という「さじ加減」の問題であって、不安や憤りを全面的に回避することは難しいと考えています。そういう意味で自分自身の安全・安心(安全と安心はどう違うのか?)は「自衛」によってしか守れないし、他人によって守ってもらうことは期待できないと思っています。 とはいえ、こういった認識は自分の頭で考えたものでしかなく、実際にそういった態度や考え方が実践された時に、どういう現象が起こるか、ということは理解していないのです。そういう意味で今回のメーリングリストでのやりとり、そしてZOOMを使ったミーティングは、私にとっては公差転におけるかつてないほど「ホットな」コミュニケーションの体験だったといえます。残念なのは新型コロナウイルスの影響で生身の対面した対話ができないことで、そのことが非常にぎこちなく、信頼感の築きづらい状況が生じていると思いますが、逆に対面でないことから率直な発言がしやすくなった人もいるかもしれません。 今回のZOOMミーティングは、自分の人生経験の乏しさから、他人の心理状態を推察することがまったくできない、ということが判明しました。「想像力を働かせる」といっても、しょせん自分の経験以外に参考できるものは、フィクションやドキュメンタリーといったメディアを介した疑似体験しかないし、そういったメディアにしても、自己の偏った好みで選んだ作品にしか触れていないので、大して役に立たないわけです。私は今まで友人知人を含めて他人と本音で話し合ったことがどれくらいあったかなあ、と反省せざるを得ません。 まず、言葉という道具をうまく使いこなさないと、自分の思いを正確に伝えることができない。それが非常に難しい。こういうことは実際の人間関係で失敗を重ねながら学ぶしかない気がしますが、自分にはそういう体験が決定的に欠けているな、と感じます。むしろ、そういう難しい局面を回避するために他人との深い関係を避けて生きてきたので、他人のことがわからない、またそのことがまたハンディや恐れとなって、対人関係が表面的なところに留まってしまう、という繰り返しが、今までの自分の人格を形成してきたと言えるでしょう。 そのように気持ちに余裕がないので、他者への配慮を十分にめぐらせることができない。しかし公差転ではリラックスした空間が「用意されている」ので、いつもの自分より一歩踏み出して、今までより幅広い交流をできた気がします。そこのルールというか、disciplineに従う、というようなことではなくて、その場所が心地よいからそこの考え方を尊重しようということです。 むろん、「ゲスト」である(という意識でそこにいる)私にとって居心地の良い公差転の空間は、誰かの(「メンバー」なり「協力者」の)努力なり献身、あるいは我慢や忍耐、「犠牲」の上に成り立っていることは感じていたわけですが、そういう「貢献」の姿を見ることで、こちらもそれをほんのわずかずつですが「見習う」という面もあったと思います。具体的には、新しく入ってきた人にお茶を入れてあげるとか、声かけとか、そんな程度のことですが。一方で「運営」の本質にかかわることには関与しない、口を挟まないというのは、「ゲスト」としての「分をわきまえた」態度、あるいは「面倒なことには関わらない」という責任回避の行動であります。このような「つまみ食い」的な態度は、公差転のコンセプトとは違うものでしょうが、自分としてはそこをコミュニティではなく、社交場としてとらえてきた(そこがコミュニティであるなら、自分はその外にいる存在であると考える)ということです。 こういう態度ゆえに、私は公差転の抱えている問題点については気が付かないか、深く考えないようにしてきたと言えます。その点では、7/11の勉強会の記録で指摘されたような、「他の場所で自己を抑圧された男性が、己の見たされないマッチョな自我の発散欲求を満たすために公差転にやってきて、女性はそのケアをさせられる」(正確な引用ではないがそのようなこと)という状況を見過ごしてきたし、私自らも多少そういう風潮に便乗して、助長しているような面もある気がします。自分自身ではそこまで「困ったちゃん」な行動は自制できているつもりですが、他人から見たらどうかわからないですから。少なくともそういう構造に気づかないでいた(自分は負担を感じてないから)とか、うすうす感じていても見て見ぬふりをしてきた(それは「メンバー」が考えるべきことだから‥)ことは確かです。 今回、公差転という貴重なスペースの活動が中断してしまった、あるいは問題を解消しないと存続が危うい、という状況が現れて、それは困るし、もったいないと思ってミーティングに参加してみたのですが、では自分にとって公差転がどういう存在であり、なぜ必要か、ということは明確につかめていません。その目指していることが何なのか、おおまかな趣旨は賛成なのですが(「kosatenの想い」は改めて読み返してもすばらしい内容だと思います。あまりにもすばらしいのでユートピア的に感じるところもあります)、問題のとらえ方とか言葉の使い方で違いがあるように感じます。 たとえば、公差転の抱えている問題を表す言葉として、暴力構造とか植民地主義、帝国主義とか家父長制という用語が使われていますが、それによって目の前にある問題の実際的なところが明確に見えてくるという感覚がありません。何か抽象的で巨大な命題に飲み込まれてしまったようで、「非常に悪い状態だ」という以上のことが今ひとつピンと来ないのです。組織とか集団の問題を考える場合に、私は「抑圧」「不公平」「依存」「搾取」「同調圧力」「権威主義」「従属」というような言葉で考えることが多いです。たしかにエドワード・サイードが「ポスト・コロニアル」という言葉を使った本を読んだ時に、植民地主義や暴力という概念を経済構造や国家(軍事・警察力)だけでなく、文化・表象や個人の精神構造の問題にまで拡張したと感じましたが、それは慎重な手続きで論証され、定義されたものだったように記憶しています(まったくおぼろげな記憶ですが)。 他人の陥っている偏狭な古い価値観を指摘するにしても、「何々主義」(○○ism)という言葉を使うことに、私は慎重です。当人が何らかのismを自ら信奉しているのならば別ですが。たとえば権威主義というような批判はかなり強硬で断定的な言い方で、よほどのことがないと私は使わないです。その言葉が事態をうまく言い表している時で、しかもそういう言い方をするのが必要な場合・・。 どうも、考えが抽象的になってしまってまとまらないのですが、公差転が「代表者」を持たない構造を目指しているにしろ、現状では誰かが方針を示し、みんなをある方向へうながし、そのことでその人格が権威を帯びるとともにその結果の責任を引き受ける、というプロセスは必要ではないかなという気はしています。リーダーが常に独裁的な存在だということもないでしょうし。ただ、それが特定の個人だけに負わされるのはおかしいし、危険というか、あまり面白くないことで、段階的に複数の人間がそういう役割を分担して担っていく、そうしてその権限と役目の負担を徐々に信頼できる諸個人全員に委譲していく、ということは考えられないかなと思います。 リーダーなり責任者でもファシリテーターでも何でもいいのですが、その場に応じた委任によって一時的にトラブルに対応する‥積極的な言い方をすれば他人と全体に配慮してケアするというか場を整える‥係を指名して、その役割を固定化せずに、また他の人々が受動性に眠ってしまわないようにする工夫はあるのではないか?と思います。前にもこんなことを話したおぼえがあるので、思考の堂々巡りもあるようですが。[:]

[:ja]沈黙と暴力   kosatenの暴力構造について話し合うつもりでしたが、その構造によってそのことができませんでした。 差別的な発言、偏見、マイクロアグレッションはどこでも起こるのですが、起こった時周りの対応がとても重要です。Kosatenではその対応が十分できていないのです。 目の前でハラスメントなどが起こっているのにそれも止めることができない。黙ってしまう文化をどうやって壊せるのでしょう。何でここまで暴力を許してしまったか? 何でここまで暴力を越してしまったか?   Kosatenって? 私は5年間以上、kosatenの運営と関わってきました。最初の頃は少人数で、近所の方、遠くからいらっしゃった方、さまざまな年齢、ジェンダー、セクシュアリティ、国籍、アビリティ(障碍)のある方が立ち上げて、コミュニティの中で表現と対話を重視するパブリックスペースとしてそれぞれの「違い」を共有し、社会的な変化につながるような場所を作ろうとしました。個人の望みとして、この場所ではそれぞれ関わる人が自分の主体性を活かして、中心がない、オープンで、有機的に展開するチームとして一緒にこのスペースを作っていくことを目指しました。社会においてさまざまな抑圧を受けている人たちがこの空間で自分の居場所を見出して、連帯する可能性を掘り探ることを願いました。   パブリックとコミュニティ Kosatenが始まる前でも長い間「パブリック」と「コミュニティ」の意味についてよく考えてきました。人間関係の中でよく安全な距離を取る者として、複数の人と共に存在する空間は怖くて、興味深いです。長くパブリックスペースを政治的な主体性として捉えて、コミュニティが共存のことと思いました。(権力によって支配されているスペースと塀に囲まれている生活でないです)パブリックは活性化するスペースであり、アクションを起こして独創力を活かす場所で、様々なアイディアや違いが衝突するところです。コミュニティは日々の暮らしで取り組む人間関係のネットワークであり、理想としてはサポートになる繋がり、近接や共通点によって生まれるものです。 パブリックとコミュニティは社会の基盤となり、理想化もされ、集団への楽観主義もある一方、矛盾でもあり、不可能なところもあり、非常にリアルな危険性もあります。パブリックはただのパフォーマンスになり、コミュニティはサインしたくない、押し付けられた社会契約になる可能性もあります。どんな人間の集まりでも権力の政治が生じ、全体主義とその他の暴力の恐れもあります。残念ながらkosatenではこの後者のほうがもう頭をもたげてきました。 都市開発や行政による「パブリックスペース」は誰に対してもオープンな場であるはずなのですが、ルールに沿って、制限の中でしかアクセスできなくて、自分の主体性やパブリックを生み出す想像力を縮小することにつながることもあるし、条件によって完全アクセスできない人もいて、そのこと自体が暴力になります。個人と集団の主体性を活かすためにある制約・権力に対して抵抗することが必要です。権力・暴力に対する抵抗自体が自律(オートノミー)への折衝であり、パブリックの本格的な姿と言えるでしょう。あるルールや規制を問いかけることで自分自身の立場を見出して、表現することも可能になるのでしょう。 それにつれてパブリック性は見られること・可視性でもあります。最近の世の中の出来事が強調するように、人によってパブリックスペースにいるだけでその人自身が非常に不安全な状況に置かれています。「パブリックセーフティ」の名前で暴力が常にお越されて、特権のある人のセーフティが優先され、「不都合の存在」への暴力が当たり前化され、結局パブリックは暴力への鈍感化・無関心・忍耐になってしまいます。   パブリック「公」は実際にkosatenの名前に反映されています。Kosatenの根本的なあり方の重要な軸となっています。誰でも自主的に作りあげられるスペースで、ヒエラルキーを壊すオートノミー、日々の生活に溢れる抑圧に対する抵抗、マジョリティーがない、ただ複数性のある、さまざまな異なる存在のあるスペースを目指しています。フェミニズムの原理を重視して、さまざまな差別と抑圧と闘うこと、暴力への抵抗自体がパブリックであることという想いもありました。提供された公園のように何ができるか何ができないかを指示するルールの長いリストもありません。私はルールが大嫌いです。ルールは曲げて、破るものと信じています。ただし、お互いのリスペクトと理解のために、それぞれの違いへの意識や配慮する環境も作ろうとしていて、「お互いを尊重するために」の宣言も作りました。ただ、この宣言があっても数えられないほどkosatenでお互いの尊重を捨ててしまうことが起こってきました。   表現の自由と民主主義 パブリックは民主主義の用語でもあります。ザ・パブリック(公衆)は市民であり、ある自治体、ある国にいる人であり、市民権、選挙権にもつながります。パブリックスペースは「ザ・パブリック」に宿われている空間であり、公衆の意見が可視化される場所であり、政治のディスコースが行う拠点でもあり、「選択肢」が勝つ場でもあります。 ただ、民主主義はすべての人に公民権を与えるわけではない。声がない人が置かれてしまい、一番大声しか聞こえない状況もあります。必ず排除されてしまう人が出てしまいます。よく「民主主義のために」根本的に反民主主義的な行動が起こされています。デモクラシーの原理の一つとして誰でも自分の意見が言える、自由に自分の考え方を表現する、どんな思想でも正当性があり、言語化される「権利」があるという立場があると思います。 しかし、「表現の自由」(また消費する自由)はよく何もより優先され、自由とデモクラシーのすべて象徴するものとして取れあげられています。人権、正義、尊厳、事実、参加度などなど他の側面あるのに。この自由がすべてであれば人を傷つける意見、他人の存在自体を否定する立場、他人の基本的な権利を奪う考え、他人のジェンダー、セクシュアリティ、人種、国籍、障碍に関して決め付ける発言を自由に発声してもいいというスタンスになるのでしょう。そんな自由と民主主義を求めているでしょうか??   脱中心化 権力によって提供されて、支配されたパブリックスペースに対して深い不信感があります。この社会において「平等」はただの夢だと思いますが、ヒエラルキーを解体し、同じレベルでお互いに向き合い、脱中心化することがある目的になります。リーダーがいなくても方向性が生み出せることを信じていたのですが、不透明性、コミュニケーションの問題、パワーの蓄積、また「お任せ」の精神の結果として少ない人数が「権力」となり、kosatenの政治は二心になっています。 パブリックは不特定な開放性で定義できない、コントロールできない存在が「同じ空間に共存する」「同じスペースへのアクセスがある」。次の瞬間誰がドアから入るか、誰がとなりにいるかがわかりません。恐怖と容疑ではなく、好意と信用が必要ですが、自分の人権が面白く議論されている場合その好意は無理でしょう。誰かがストップをかけないとどんどんその痛みが深刻になり、もう自分の居場所がなくなってしまいます。     そのままでいい? 閉鎖的な空間である自助会では言いっぱなし、聞きっぱなしのルールもよくあります。このルールによってそれぞれ参加者の経験を受け止めて、今まで普段なかなか表現できないことを安全に表現できる環境が整えます。この場合批判や議論はウェルカムではないのです。しかし、自助会ではなく、複数のアイデンティティや背景を持つ人が集まるスペースで同じ規制を当てはまると攪乱した結果があります。何でもありということです。愛国主義的な発言、反移民的な意見を表明してもいいわけです。それを聞きっぱなしできるかしら? お互いを寛容する場もほしいです。日常の社会における圧力をよくわかるからです。外国のルーツのある人、LGBTQのアイデンティティを持つ人、障碍のある方が直面してきた抑圧はある程度直接に経験したこともあり、よく想像できます。自分のありのままでいられる場所、自分の存在はジャッジされない場、ステレオタイプが押し付けられない空間、他の人の満足感のためにラベルを張らなくてもいいスペースを探してきました。その場所はBE存在する・いられる場所です。自分らしくいられるBE myselfできる場所です。 しかし、自分ありのままいながら、BEINGしながら、BEING Together 他人と共にいることがあり、自分の言葉・行動によって周りの人に影響を与えます。幸せな無知への無制限の許可があるわけではありません。誰かに傷をつける時にコールアウトされることの免除がありません。自分の言動が批判の対象にならないという保証がないのです。 何か批判があってもそれは自分のBEING存在するに対する批判ではなく、その存在から発生する表現(他の人のBEINGに強く当たってしまう表現)が対象となります。ケアとリスペクトを込めて批判することがもちろん理想的なのですが、あなたの発言で直接に影響されている方、話題の対象であり、あなたより強い繋がりのある方がいる時、そのなりの痛みがあり、威厳を込めて立ち上げようとする時、感情も強くて、いつも丁寧に礼儀に正しい声で話せることが難しいのです。このような状況の中のトーンポリシングはただ自分の特権を主張することです。   特権 私たちの特権によってお互いの弱さが見えなくなってしまいました。特権を意識することが非常に難しいのです。なぜなら、特権は生活の中で考えなくても進むこと、意識しなくてもいいことです。自分の特権を失う可能性がある時に直覚的に特権を守ろうとしてしまうことで特権の存在が少しでも見えてきます。人種、国籍、言語、ジェンダー、セクシュアリティ、健常者性、階級、経済、教育、在留資格の特権によってその特権のない人が直面する抑圧が感じられないのです。(またもちろん特権と抑圧は同じ人の中で様々な層で重なっているので抑圧されているところしか見えないこともあります) 特にkosatenでは白人至上主義、ジェンダー、健常者主義につながる特権が問題になっていると思います。私自身はヨーロッパにある英語圏の国(植民地主義の長い暴力的な歴史のある国)出身の白人で、日本では安定な在留資格もあり、日本語学習や大学の教育へのアクセスがあり、しようと思ったらシスジェンダー、健常者としてパスできる者として黒人の方、有色の方(people of colour)、G8国ではない国出身の方、第一言語は英語でも日本語でもない方、アクセスしたい教育へのアクセスがない方、シスジェンダーとしてパスできない人・したくない人、見える障碍のある方の経験に対してとても無知のことが多いです。一方移民であり、日本語が流暢ではない、ぎりぎり生活できているもの、メンタルヘルスの問題を抱えているもの、クィアである人としてその事情ではない人の特権がよく見えます。 でも圧倒的に特権が強くて、白人で英語・日本語しか話せない、植民地主義的な目から見る世界で見えるものは非常に狭い視野というかすでに暴力のレンズを通してみていることです。そしてこのような観点がkosatenのようなパブリックな場所で中心となってしまうとそれは権力となり、他人を抑圧してしまうものになります。   権利 特権と権利との大きい違いがあるのですが、よく同一視されています。自分の特権を捨てることは権利を捨ていることと同じことではないのです。いつ黙って他の人を聴くかを理解すること。他人の声が聴聞を受ける権利を尊重すること。社会に生じる様々な抑圧から逃げる・取り組むスペースとして自然に「セーフスペース」を求めることもあるかもしれません。つまり広い社会の中で保護されていない権利を守る場所です。見た目でジャッジされない権利、シスジェンダー・異性愛主義、健常者主義の決め付けから解放される権利、非生産的である権利、今安全が感じないと言える権利、その原因を取り組んでもらう権利です。   ミューチュアルエイド・相互扶助 Kosatenをお互いから学び合う、共に生きていく、お互いの尊重、お互いの助け合い、お互いの権利のために声をあげていく、相互扶助の空間として想像したいのです。一方的な教示、枠付けの生活、相手にいつも頭を下げる、支配的に・従順にお手伝い・支援を与えるということではなく、お互いを支え合うことです。自助・自己責任のレトリックがますます普及することですが、落ち込んでしまう穴があまり多くて、本当に必要なところで公的なサポートが全くなくて、セーフティネットがない世の中でお互いのことに希望しか持ちません。残念ながらkosatenでは「相互扶助」の相互の部分は実現できていないのです。よく特定な人が「ケア」してしまい、その直接な恩返し・返礼を求めていなくても、パワーと依存の関係を構築してしまいます。結果として誰かサポートしようとするとそのこと自体も批判されてきました。   ケア 他人の存在、他人の経験、他人の事情に関心を持つこと。何かを問いかけること。違和感を持つこと。一人じゃないという望み。私がいると伝えること。誰かがやりたいことを実現するために手を貸すこと。誰かの痛み・フラストレーションを少しでも減らしたいこと。誰かに役に立つになりたいこと。他の人が気になってくれるのを希望すること。白人の救世主の精神。(自分の人生の中でコントロールがないから)誰かの人生をコントロールすること。自分の影響を与えること。ホスピタリティ(おもてなし)とホスティリティとの紙一重。暖かいウェルカムで迎える笑顔の中で隠れた「ここは私のもの、あなたのものではない」。私のものをあなたとシェアしますのでえらいでしょう。 ケアがないと生きていけない。 ケアばかりしていて、いつ誰かが私をケアしてくれるかという疑問をもつこと。   でもケアは搾取される場合もあります。一方的なケアを提供して、非常におかしい関係をつくってしまったことがあります。見た目で判断されたジェンダーのジェンダーロールもあまりにも飲み込んでしまって、恥をかかされたこともあります。ここはカフェでもないし、お店でもないし、スタッフとお客さんがいる場所ではないはずなのにずっと相手を楽させるために自分が努力していて、しばらくたってから圧倒的多くのシスジェンダーの男性が自分の慰めのためにこのスペースを利用している状況を気付いたらショックになりました。   自分自身の個人の意見が他の誰かの意見と会わない時、また誰かが要求していることを拒否する時に怒りと告発の対象になって、自分が持っている権力を利用している、この空間の中立性を壊していると言われています。頭を下げて、どんな人の意見(自分が反対している意見でも)にこっくりとうなずいて、「丁寧」に誰かの「愛情を込めた関心」からの抜き道を探して、数時間ずっと誰かの問題について話しを聞いてあげて、要求されていることをできるだけ答えるように努力して、料理をつくって、掃除をして、心地良い雰囲気を作って、笑顔したら何でも大丈夫でしょう。   7・8月はイベントを休んで上記の問題について話し合うことにして、週2~3回ほど内部の勉強会を開いてそれぞれの問題意識を共有しようとしましたが、アカウンタビリティのプロセスがなかなか進めなくて、ますます暴力が起こってしまいました。お互いのジェンダーの問題、エイブリズム、権力主義を指摘し合っても、ちゃんと自分の問題に向き合えない状況が続いて、自分の責任を遁れるために相手の欠点を強調してしまうゲームが止まらなかったです。 コミュニケーション方法によって困難を抱える人への配慮が足りなさ、みんなが自分の感情をコントロールができ、論理的に話せるという前提、誰でも批評が受け止められるという思い込み、情報の処理は人によって違うのにそれを理解していないこと、アグレッシブで上からの目線、感情労働をずっともとめてしまうこと、見た目で判断されたジェンダーによってケアや何かサービスの提供を期待してしまうこと、自分の特権を認識しないこと、自分が違っていない・必ず正しいと強く信じていること、自分の意見を押し付けってしまうこと、セクハラの問題あまり意識していないこと、ジェンダーの二分法を押し付けてしまうこと、自分のパワーを利用してしまうこと、自分の都合がよい方向へコントロールしてしまうこと。。。などなど。   誰かがある暴力の存在を指摘したら、そのカウンターとしてその人自身が暴力を起こしていると言い返されることが多くて、告訴の絶えない循環になってしまいます。その循環の中でそもそも最初に問題とされたことに何も取り組まなくなってしまい、注意を向けられなくなってしまいます。   Kosatenで起こっているマイクロアグレッションと自分の取り組みができなさに対してますます違和感が増え、立ち上げるために周りの人のお手伝いをお願いしたら「細かすぎる」「自分の考えを教え付けってしまう」「もっと仲良くすればいいじゃん」と言われました。その結論であればあなたにとって「心地良い場所」があり、何でも言える、何でもできる、すべて寛容する場所で、きれいごとで済ませる空間でみんなニコニコする場所ができるかもしれませんが、私自身は見えないところで怒りで煮えくり返っています。   暴力 暴力は多様な姿を持つですが、マイクロアグレッションから意図的な加害までが含まれています。ミスジェンダーすること、見た目で勝手に判断すること、見下ろすこと、誰かを対象化することから、相手がやりたくないことをやらせてしまうこと、本格的なハラスメントまで。傍観者としてただ観察して、アクションを起こさないという暴力もあります。この暴力はkosatenで一番よく生じる暴力です。お互いのために擁護すること、現時点いない人のために擁護することができていない状況で、何も言わず言動を流してしまうことです。私自身はよくこの暴力を起こしてきました。   痛み それぞれは痛みを感じている状況。それぞれはその痛みを誰かと共有したいこともあります。それぞれはお互いを傷つけあっていることもあります。そのそれぞれの原因もあります。痛みがあるので他人も痛めてしまう、ニーズが満ちていない状況なのである行動をとるということもよくあります。それぞれのケアとヒーリングが必要ですが、それはすべて一つの場所でできないことです。Kosatenはそれすべてに答えられるわけではないのです。少なくとも「私は痛い」と言いたら、その痛みを与える行為をやめてほしい。   セーフスペースと擁護 セーフスペースは逃げ込める場であり、擁護を提供する場所です。日々の抑圧・差別から距離が取れる場所、周りの人を信頼できる場所。恐怖、屈辱、ハラスメントの恐れから解放されている場所。Kosatenは誰も排除しないセーフスペースを目指していますが、このパブリックな場に入り、ずっと加害を起こす言動を続ける人がいたらどうしたらよいでしょうか?その加害を許すことができないのですが、「もう出ていけ!」「もう来るな!」と言えるのでしょう?暴力に対して立ち上げないとその暴力を可能にして、暴力の継続の責任があります。人の考えを変えることができないかもしれませんが、自分の考え・自分の痛みを使えることができます。自分にとって許すことができないことがある時、 迷わず、はっきり「NO」と言わないといけないのです。 この言葉を口にする準備が必要で、この言葉を自分に対して受け止めるための準備も要ります。あるコミュニティへの無制限のアクセスがありません。誰も排除したくないと思ってもそれぞれを守るためにバウンダリーがないとどんどん刃物で刺しこんでしまうような行為を許してしまいます。永遠に気になる言動のために言い訳をし続けないのです。痛くとも黙って忍耐できません。対立から逃げて、調和をずっと優先し続けられません。丁寧に、哀れみを込めてそれぞれのアグレッション・痛みに向き合って、取り組むことができればいいのですが、必要な時「もういかげんにしよう」を言うしかないでしょう。   この世界で溢れている抑圧で非常に絶望になってしまいましたが、少しでもkosatenでその抑圧と戦うことができるという願いがありました。その抑圧から避難できるところ、軽減できる場所、抵抗する場所で、様々な異なる側面によって抑圧されている人と連帯してお互いサポートできる空間を求めましたが、事実としてはただ抑圧を持続させてしまった場所になってしまいました。   自分がやってしまったこと・言えなかったこと・やらなかったことによってこの状況をつくってしまいました。自分が悪かったです。この状況が続かないように自分に対してストライクしようと思っています。下記のことを取り組まないと今までのkosatenの活動が続けられないでしょう。   *私が自分の意見があり、あなたと合わせなくてもいいと理解する *この場所を使ってきた人たちをより積極的に責任をとる *より多様なバックグラウンドのある人により対等な立場で運営に関わってもらう *みんながアクセスできるコミュニケーション方法をみつけて、決定するプロセスをつくる *それぞれのイベントや活動を企画するチームをいくつかつくる *ミューチュアルエイド・相互扶助に対する理解の基盤をつくる *それぞれの痛み・大切にしたいことを聞き合う *経済的な問題を改善するための取り組み *もっと近所と他のコミュニティとの繋がりを育む *暴力、抑圧、マイクロアグレッションとの闘いへのコミットを確認する *パブリックとセーフスペースの原理を確認する e.o.[:]

[:ja] ペルシャ語を勉強しませんか? ペルシャ語を勉強しませんか? 東京在住のイラン出身の友達はぜひペルシャ語の勉強する機会を作りたいのです。一対一・少人数のプライベート・レッスンを提供します。ご興味があればご連絡ください。 contact@kosaten.org Do You Want to Study Persian? Our friend from Iran living in Tokyo would like to help you learn the Persian language. They can provide invidiual and small group tutorage. Please get in touch if you are interested. contact@kosaten.org [:]

[:ja] 6月28日に開催されたディスカッションに参加して、積極的にご意見や立場を共有してくださった方に感謝しています。 このイベントで発生した問題に関していろいろ反省し、学ぶことが必要だと思います。参加者一人ひとりにお詫び申し上げます。 安全ではない環境を作ってしまい、批判しようとしている暴力構造をただそのまま持続させてしまったことを謝りたいと思います。 Thank you again for joining in the discussion and actively sharing your views and opinions in the event which took place on 28th June. I think there is a lot to be reflected upon with regards the problems which arose from this discussion and I would like to first apologize to each of you. I would like to apologize for creating an unsafe environment and perpetuating a structure of violence which was supposed to have been under critique. まずはこのイベントの企画段階で問題があったということを向き合いたいと思います。企画者のものは直接に現在アメリカで起こっていることに影響されているものではないし、そんなに警察と収監の暴力を経験したものでもないのです。また企画者自身は白人であるものです。この事実でけでも課題があると思います。直接に影響されている友達に声をかけて、企画に参加してもらうように提案することもしたらよかったかもしれませんが、対象化され、何かの代表になってしまうという危険性もある(よくkosatenで起こっている問題)と思いました。と同時に「わたしたちがいないところで私たちについて話すな」というスタンスもよく頭に入っていました。この葛藤があるのに企画を進めてしまいました。結局このイベントは特権のある人の目を通して企画され、解体しようとしている暴力そのものちゃんと分かっていないところが多かったです。 I would like to first state that the premise under which this event itself was organized had particular issues from the start. I as an organizer was not a person directly impacted by the events in the US, and am not a direct victim of police violence or incarceration, and am a white person with of course white-privilege. This in itself was problematic. Although we could have…

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[:ja]作:カンダタ[:]

[:ja]作、カンダタ 心の尺度は その時によって恥ずかしいほど変わります。 その日の始まりは優しい光りに満ちていました。 今日はいきょんとデート、デートと言っても僕といきょんは十年くらい友情で結ばれている仲、彼女のことはよく知っている。辛いこともいっぱいある、かなり問題がある困ったちゃんだけどほっとけない、今日はそんないきょんを誘ってたまには吉祥寺井の頭公園でぶらぶら散歩して美味いものでも食おうぜ、の誘いで始まった一日のことです。 約束は12時、一時間前に僕は発車前の電車に乗った。 停車中の電車で騒がしくバタバタ走り鬼ごっこをする子供、 おいおいそんなに走り回って転んで怪我するなよ、 停車中の車内は昼の陽射しが車窓から差し込み気持ちいい、いきょん痩せちゃったから今日は美味い店連れていこう、 ここで気付いた、今日はいつもと違うなんだか優しい気持ちになっている自分がいる、 電車の車内には倖田來未のポスター、普段好きでも嫌いでもない彼女の写真を見て、 意外と愛嬌ある顔しているんだな、 かわいいじゃん……なんか今日の俺、優しい! 皆がこんな気持ちなら世界中に争いなんて起きないのに、 おいらの優しい気持ち皆に届けたい、 いつしか電車も動き出し吉祥寺駅に着いたのは約束の十五分前。まだ流石にいきょんは来ていない。 今日はどんなコースたどるかな、池でボート乗って古着屋みて名物の焼鳥いせや食べて… そうこうしているうちに12時、 後発の電車が停まり人々が押し寄せてくる、満面のスマイルで迎えてあげるつもりだ ……12時15分、なんだ遅刻か、しょうがないな電話かけてみるか、繋がらない、電車乗っていて出れないのかな?よし来たら (遅いぞ、ぷんぷん)と拗ねた真似でふざけて笑わしてやろう ……12時30分、おいおい随分遅いなぁメール位くれてもいいのにな喫茶店で待つこともできないしな ……1時。携帯に連続して連絡入れるが繋がらない …1時15分やっと繋がる (す〜ごめん目覚まし時計止めてねちゃっていたの〜) ヒクヒク顔面が引き攣る俺 (でもね〜今から出掛けたら2時にはつくから、ごめんね〜) はよ、こいや、 駅前を小学生が鬼ごっこして走り回っている (バタバタ走り回ってうるせぇな) ……2時まだこない ……2時15分 ………ブツブツブツブツ ……2時30分駅前をパチンコの宣伝カーが通り大音響で倖田來未の曲が流れる (うっせ!うっせ!うっせーよっっ!!) ……3時。呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪 ……3時15分いきょんあらわれ(す〜ごめん二度寝しちゃった〜) 飛び掛かりいきょんの首を絞める俺、 まちゆく人が振り向く………心の尺度はその時で恥ずかしいほど変わるものです………… 、[:]

[:ja]Language Beyondオンライン読書会 方丈記 2020年5月24日(日曜日)16:30〜18:50 参加者:15名 (当日の流れ) 初めての参加者が複数名いらっしゃったこともあり、読書会は自己紹介(名前やコロナウイルス状況下で気になっていること等)から始まった。その後は「方丈記」の感想を五分程度の休憩も挟みつつ自由に話し合い、全員からのフィードバックという形で締めくくった。 (方丈記について、参加者の方々の感想) ・前半と後半で、災害のルポルタージュから文学へと変化している等、作品のスタイルに変化がある。震災やコロナ等、現代の日本もまさに無常を体験している。(Tさん) ・作品として、構成が非常にロジカルである。はかなさを表す水の泡の話に始まり、事実を並べ、そのなかで自分の選択(隠遁)を描いている。現代とも共通点がある本だ。(Uさん) ・山奥に一人で暮らせることを羨ましく思った。独りでずっといると寂しいので、他人との関わりはあったほうがいいと感じた。(Sさん) ・(鴨長明が隠遁していたことを受けて)一人は独りと一緒ではない。独り=孤立、一人=ひとりでも大丈夫、という違いがあると思う。イベントの最後に、個々の参加者の感想が聞けるとよかった。(Yさん) ・現代と鴨長明の時代と大きく違う点は、現代人は、無常観は感じていない点ではないか。改めて、本書を最後まで読んでみようと思った。(Iさん) ・コロナもそうだが、鴨長明のように独りになると、個人個人が大切なものを見つめ直し始めるように思う。しかし、鴨長明の無常観は大災害に対するもので、社会に対するそれと一概には議論できない面もある。(Kさん) ・コロナウイルスの現状について、ニヒリズムのような感覚を抱いている。その一方で、アクションを起こす、声を出していく必要性も最近感じている。(Iさん) ・飢饉の中、仏具を焚きつけにして売っている人たちをあさましいと呼ぶ描写があるが、はたしてその渦中にいる人たちにそういうことを考えられただろうか。作品が書かれた時代にあって、鴨長明もまた衰退していく貴族側の人間だったのではないか。この人が描いた歴史の向こう側にリアルなまた別の歴史があるはずだ。(Nさん) ・言いたいことは言える世の中であってほしい。鴨長明にとって、この作品は当初の予定とはまた違った書き上がりになったのではないか。(Fさん) ・鴨長明がこの時代にこういう思想のものを書いた点に感心した。本人の晩年にこれを書いたことも着目する必要がある。最後に(南無阿弥陀仏を唱えてやめたというところで)彼の人間くさい部分が垣間見えて面白かった(=鴨長明は実は悟っていない)。(Iさん) ・今回のコロナは人災か天災か、鴨長明が見た災害は人災か天災か、という点も考えてみたいと思った。(Tさん) (運営として感じた、オンライン開催のメリット・デメリット) オンライン開催をして良かったこと ・遠方の人も参加することができた。 ・同時に複数の人が話せないため、一人一人の話が傾聴されていた。これは参加されたみなさんの協力のおかげが大きいです。 オンライン開催で留意すべきと感じたこと ・どうしても1対1の対話の連続になってしまい、対面で起こるような偶発的な・同時多発的な対話が起こりにくい。 ・だからこそ、主催者が事前に問いかけや観点をできるだけ広く準備しておくこと、そしていつも以上に話の振り方に工夫することが必要と感じた。 ・今回の『方丈記』はボリュームもそう多くなく、通読した上で自分の中で考える余裕が参加者にあったため、どんな方向に話が向かっても参加者みんながそれなりに受け止めることができていた。大著よりは、短めの本がオンラインの場合向いている可能性はある。 ・沈黙を恐れないこと。どうしても対面よりも、沈黙が重い。しかし喋らない時間があってもよく、そこは最初に参加者どうしの確認があっても良いかもしれません。 ・休憩は大切。少なくとも1時間に1回は必要。オンラインは疲れやすいと感じた。 ・アプリによる参加方法について、より細やかな案内を送る必要がある。 (運営側からの感想) ・今回のブッククラブは、はじめてzoomを使ってオンラインで開催しました。オンラインでこのような会を運営すること自体初めてだったので最初はかなり緊張していましたが、結果としてはかなり深くまでしっかり話すことができたかな、と感じています。Language Beyondでは、「中心がない」ブッククラブということを大切にしてきましたので、その意味ではオンラインでのコミュニケーションにはまだまだ課題があると感じました。しかしオンラインならではのアドバンテージも大きく、こういう形も全然アリだと感じています。 最後に、今回初めてのオンライン開催のテーマが『方丈記』であったことはとても面白くて、私はzoomの会議画面を見ながら、参加者一人一人の「方丈」がここにあるのだな、と一人で興がっていました。ブッククラブの中でも、「一人であること」についての問いかけがありましたが、一人一人が自主隔離する中、一人でいる時間の意味を『方丈記』を通じて考えることができたという意味で、今だからこその有意義なブッククラブにすることができたのではないか、と思いました。(工藤) ・初めて企画に参加したが、たくさんの方に参加頂けて大変嬉しかった。反面、パソコンの操作が分からず参加できなかったという連絡も頂き、次回以降、企画者としてより細やかな説明が必要であると反省した。Zoomには参加者を少人数の小部屋に分ける機能があり、もう少し少人数で話したい時に有用かと思うが、参加者の方々のストレスになる可能性もあるので、検討が必要。「方丈記」については、ささやかなものに愛着を持った後にそれさえも否定する、という思想の過程に、幸せよりも清らかさが重要だと答えたジッドの「狭き門」を連想した。中世のステイホーム随筆は、タイムリーな選書でした(私のアパートは狭いです。さすがに方丈=四畳半よりは広いけれど・・・)。次回も楽しみにしています。(吉川)[:]

[:ja]「人間の最大の病いは孤独です」 8年間務めた会社を辞めて 生活保護で暮らしている。 しかし、この一年間でニートから 随分アクティブさを取り戻した。 病院でのボランティア (今は例のアレで休止)や 公差転での例のアレによるオンライン配信、 趣味でオカリナ始めて人に恵まれ 一か月半でライブハウスの ステージデビュー(今は例のアレで休止) などなど、サラリーマン時代より イキイキ出来て、やりがいのある環境に 身を置けた(リア充です、はい)。 ベーシックインカム (政府が全ての国民に対して最低限の 生活を送るのに必要とされている額の 現金を定期的に支給するという政策) は、もっとお金が欲しい人は働いて 働きたくない人は働かないで趣味や ボランティアなど自由に生活するのだが 生活保護を受けている僕は少し ベーシックインカムの状態に似ていると 思っていて、今後の人生、やりがいのある ことをして生きたいと思っていた。 この2.3日で5人に同じことを言われた。 「やりがいがある仕事したら?」 さすがにここまで言われると僕も考えた。 そして決めた。 生活保護を受けながらリハビリを兼ねて 僕がやりがいのあると思う所で 無理のない範囲で働きはじめる。 もちろん例のアレ(しつこい)で 仕事見つけるのは大変だと思う。 でも目標が決まったので、後は焦らず ゆっくりといい所を探そうと思う。 アドラー心理学に共同体感覚という物が あるが、今の時代に必要だと凄く感じる ・人と繋がること ・居場所があること ・自分を許すこと (自己受容)→(自己肯定感) ・できた!を増やすこと ・貢献すること、役に立つこと ・感謝すること、されること これを実践して生きたいし 自分の周りの人もそうであって欲しいし みんながそうであって欲しい[:]

[:ja]『旅立ち』 シガーロスの曲が流れる。 その世界に、 逃げ込みたくなる。 母に、 シガーロスの思い出を語ろうとする場面を思い浮かべようとするが、 踏み止まる。 昔話はもう終わりだ。 実家のある、 地域での思い出は寂しいものばかり。 まるで、 全て捨て去るためにあるかのよう… 捨て去るためのもののように。 あの暖かな世界を知るまでは、 知らなかった。 これまでの思い出は全て、 捨て去って良いものだと。 それに対して後ろめたさも大きな決意も必要ないんだと。 そこにはただ優しさしかない。 暖かさ、温もりしかない。 争いはあるかもしれない。 寂しい気持ちも訪れるかもしれない。 でも幸せだ。 生まれ育った町の、世界の、 その寂しさとは違う。 不本意だ。 居てはいけない。 旅立ちの時。 僕は人々と関わろうとしている。 ジッパーを下ろして開こうとしている。 おおっぴろげている。 暖かい。 この世界は美しいと、 素晴らしいと、 今なら本当に、 あの人たちのように歌える気がする。 言葉が欲しい。 音楽が聴きたい。 今は、 残されたものだけで、 この切なさを埋めようとしている。 それは、 寂しい。 寂しさの正体は分かっている。 これまで何度も問うてきた。 でも問いや分析なんてどうでもいい。 サーフボードを抱えて、 あの暑い陽射しの下で、 眉間にしわを寄せながら、 ムサムサと歩いている方がよっぽど良い。 でも、そこも良いけれど、 今、本当に向かいたい場所は、 そこではない。 旅立ちの時、 今は寂しさを感じる、だろう。 でもそれは思い込みに過ぎない。 (2020.05.12) [:]

[:ja]『卵料理好きが高じて』 卵料理好きが高じて。 始まりは何だったか、 もう、覚えていない。 昔から半熟の目玉焼きが好きだったのはよく覚えているものの、 無性に卵の半熟に取り憑かれたのは、 いつからだったか。 もちろん、 卵焼きもオムレツもスクランブルエッグも温泉卵も好きだ。 だけど、 あの、半熟の黄身を割った時、 したたり流れるドロドロが溜まらない。 白身と合わせて食べれば、 天国行き、 そしてどんな料理(メシ)にも合う。 ビーフシチュー、 生キャベツ、 春巻き、 ハンバーグ、 ギョーザ… 何にでも合う。 挙げたりない… しかし最近は、 半熟の目玉焼きでも黄身のドロドロ感が物足りなくなり、 生卵を割ってその中に生キャベツを入れて混ぜ、 そこに色々な料理を入れたりしながら楽しんでいる。 いろんなタレをつけつつ。 何でもかんでもぶっ込んで、 あらゆる味を混ぜ合わせ、 飽くなき飽くなき、 楽しく、辞めることが出来ず、 そして虚しい時間。 意味を求めたら終わりだ。 もっと恥ずかしいこと、 もっと人には言えないこと、 あえて言葉にする必要ないが、 言葉にしなければ、 共有できない。 鳳凰の卵、求めなくても、 今のまま、このまま、 無限の楽しみが広がっている。 カウンター席に腰掛けて、 天井を見上げる。 目を閉じれば、 無限の空が広がっている。 すぐにもあそこに戻っていける。。 卵好きが昂じて、 いつのまにか、 春巻きバリボリ、取り憑かれてる。 (2020.05.06) [:]

[:ja]『ロバーツ・コーヒー千歳烏山店にて』 苦しい。 この苦しみから逃れたいという気持ちを、 吐き出さずには居られなかった。 本当はポジティヴで、 建設的な考えが想いついたり、 成長につながるような行動をしたり、 それはつまり視力矯正の不具合の改善につながるような行動でもあり… ダメだ… また、何かが揺らいだ…。 この店は雰囲気といい、 音楽といい、 カウンター席の前の窓から見える 目の前のTSUTAYAの灯りと言い、 とても良い感じだ。 来て、良かった。 本当に、良かった。 コロナウィルスの騒ぎの影響で緊急事態宣言が出されたためスターバックスが休業中なこともあり、 こんな気分は、 久しぶりだ。 俺はこんな風にして、 日々の疲れを癒し、 未来について考えていたんだ。 次第に気持ちがポジティヴになってくる。 やはり、 カフェは、良い…。 カフェのカウンター席と、 カウンター席の前の窓から見える、 夜の街の灯りは良い。 他にもこんなカフェはあるだろうか…。 もっと高いフロアから、 夜空の街を見下ろしてみたい。。 ラスベガスにはそんな落ち着けるカフェはあるだろうか。 騒がし過ぎて安らげないだろうか。 まだ行ったことがない世界が本当にたくさんある。 ここで終わりたくない。 ……. 今日は本当に苦しかった。 本当にどうしようもなかった。 ぶちまけられないことは承知しつつ、 この、怒りや不満を誰かにぶちまけてやりたい気持ちだった。 ボブ・ディラン。 今日の朝、 zoomで参加したある対話会で、 俺はいつものように、 『サブタレニアン・ホームシックブルース』 でボブ・ディランがやっていたような、 言葉が書いてある白い紙を紙芝居のようにめくりながら、 こみあがり、 湧き上がり、 溢れてくる止めどない言葉を、 思いっ切り発散させてみたい。 そんな贅沢とワガママを、 自分にさせてあげたい。 それくらい、 良いだろう? 本音を言いたい。 本音を言いたい。 本音を言いたい。。。 でも本音が言えないのは分かってる。 それは、僕が選んだ状況でもあり、 人々が望んだ結果だ。 俺は人々に問いかける。 独走はしない。 独走は独裁。 人々を依存させてしまう。 …… 建設的な考えに戻ろう。 今日、余りの苦しさに、 とりあえず、もう、 いくつかの視力の問題に取り組んでいる機関に連絡をし、 一度、相談に伺うことを思いついた。 このままYouTubeで発信したり、 共同研究できる専門家を探し続けているだけでは、 悶々とした日々を送るだけで人生が終わってしまう。 それにとても耐えられなかった。 それ以上に不具合による頭痛や違和感を、 何とかしてやわらげたかった。 何とか、 したかった。 何とか、 して欲しかった。 もう、 歯を喰いしばり続けるのは限界なのかもしれない。 この世界はこんなに素敵な音楽で溢れているのに、 豊かなのに。 Help! 僕もそんな風に大声で叫びい気持ちがあった。 できそうにない、だからここに書いている。 止めどない想いをここに書き連ねるのは生産的ではないが、 Help! と叫ぶのは、 とてもクリエイティブだ。 僕はそう思う。。。 もう少し、 もう少しで力が抜けて、 風が吹く。 僕はついに、 解放される。 世界はこんなにも優しいから。 きっと誰かが、 優しい歌を歌ってくれるから…。 …… 本当は、 この視力矯正の不具合による苦しみを、 もっと繊細に、 丁寧に言葉で表現しなければいけないのに、 どうしても苦しくなってしまい、 それができない。 いつか、 ここから解放されて、 旅立つ日々が訪れたら、 このkosaten magazineの日々と産み出した言葉達は失敗だったと、 良い笑顔で、 本当に心の底から良い笑顔で、 笑える日がやってくるだろうか。 そこに近づいている気がする。。 僕の頭の中にはいつだって、 ジョイ・ディビジョンのセレモニーが流れている。 (2020.05.05) [:]

[:ja]『すべてが虚しい、このまま散ってしまいたい。』 すべてが虚しい、 このまま散ってしまいたい。 僕が一番、愚かだった。 愚かなのに歌さえ歌わなかった。 叫んでいる人と、 黙っている人との違いは、 どこにあるのだろうか? 叫んでいるか、 黙っているか、 歴史に残るか、 ひっそりと生きるか。 この心がもう、 寿命が来ている、 退屈な葛藤の中に、 もう気づき始めた、 何の意味もないことに、 自分の信じる道を歩んで良いことに。 すべてが虚しい、 このまま新しい世界にいきたい。 僕はその新しい世界を知っている。 現実に、知っている。 いつでもそこに行けるのに、 僕は足を踏み入れない。 ただ、見送っている。 いつでもそこに行けるのに、 誰かに背中を押して欲しいと願っている。 そこは天国というよりは、 始まりの街。 まだ僕が歩んでいないフィールド、 冒険の世界。 青い海と空の向こう。 眩しく、暖かい光が当たるストリート、 ビーチ。 素朴で、懐かしい、 映画に出てくるような家が並び、 行き過ぎる。 僕はこれからその風景に鮮明さを与えていくのか、 それとも、振り返らず、駆け抜けて行くのか。 (2020.04.15)[:]

[:ja]『最強のコーチと日本一のコーチ』 今のこの俺のコーチになれるコーチは、 最強のコーチだと思う。 今の俺が然るべき行動が取れるようになるためには、 俺が、日本一高い志や問題意識を持っていると感じるような知性のある人との出会いが必要だという、 直感がある。 俺のコーチになるやつも、 そんな高い志や問題意識を持てるだけの知性と実力がなければ務まらない。 いわば、 最強のコーチだと思う。 数年前、 俺にコーチングを教えてくれた師匠は、 日本一のコーチだった。 恐らく世の中には、 もっと知名度の高い、 実績のあるコーチがいるだろうが、 俺は俺の師匠が日本一だと勝手に思っている。 俺はそのコーチからビジネスコンサルティングも受けていて、 いよいよ独立しようかという話になったが、 視力矯正の不具合を抱えているため、 どうしてもビジネスの世界へは踏み出せなかった。 そして、ひきこもりの問題や、 視力矯正の不具合を抱える中で芽生えた問題意識を捨てきることができなかった。 俺はそのように師匠に伝え、 師匠の元を去った。 師匠の元を去ったその日だったか、 少し経った日に会った時だったか忘れたが、 コーチングとは別に、 ある貴重な、とても有難いお誘いを頂いたことがある。 けれど俺はその場では返事が出来ず、 師匠はもし俺がその気になったら連絡をくれと言っていたが、 俺は何年も連絡をせず、 1人で自分の道を切り開くための生活を始めた。 自分の道を切り開く、 というとカッコが良いが、 実際は、不思議な言い方かもしれないが、 とても不本意で、惨めな道だった。 話が逸れるので元に戻す。 この記事では主に俺の師匠について書きたい。 ただ、こうして何度も自分の人生を振り返っていると、 自分史というのを改めて、 今度はもっと丁寧に書いてみたいと思う。 ただ、自分史を勢いではなく、 丁寧に書こうと意識し出すと、 それを文学作品に結実させたいという衝動に駆られ、 かつ短く圧縮させて密度を濃くしようと思い出すと、 悔しいが、 どうしても村上春樹の『風の歌を聴け』 を意識してしまい、 どうも自分のオリジナルな道を切り開いていないようで少し嫌になる。 また話が逸れ出した。 俺のコーチはとにかく、 俺は日本一のコーチだと思っている。 視力矯正の不具合を改善するための然るべき行動が取れるように自分をサポートしてくれるコーチを探そうと思った時、 最初は確か、 師匠以外のコーチを探してみたが、 どうも上手く見つからないので師匠に連絡を取ろうとしたが、 師匠のメールアドレスは現在は使われていないらしく、 連絡を取ることができなかった。 師匠と付き合いのあった当時、 交流のあった人たちに片っ端から師匠のことを訪ねたが、 今、師匠がどこでどうしているか、 誰も知らなかった。 音信不通だった。 …僕は、 もしかしたら、 もうこの世にはいないのではないかとさえ思った。 師匠は余りにも天才肌だったから… それとも、 天才であるがゆえに凡人である僕らとは一切縁を切って、 どこかでその才能を発揮させているのかもしれないという想いもよぎる。 いずれにしても、 僕は師匠に会えないでいる。 そして僕は師匠に会いたいと思っている。 僕はその後、 現在までも、 然るべき行動が取れるように自分をサポートしてくれるコーチを探しているが、 新しいコーチに会うたびに師匠と比べてしまい、 物足りなさを感じてしまう。 それに、 僕自身がコーチングを学んでしまったこともあり、 相手がやろうとしていることが分かってしまうか、 想定内の対話が繰り広げられ、 新しい気づきや、 然るべき行動が取れるための何かが起こらず、 やはり、 物足りなさを感じてしまう。 時には怒りも感じさせる。 師匠が当時、俺に言ったことは本当だった。 まだコーチの世界については右も左も分からず、 コーチやカウンセラーといった人たちとも余り会っていなかった僕には全く見えていない世界が、 師匠には手に取るように見えていた、 のだと思う。 師匠の元を去ってから、 何十人かのコーチに会い、 若い世代の間で流行っているのか、 コーチングを身につけた若い世代達の雰囲気をみていると、当時、師匠が僕に言った言葉の真実が、 だんだん分かるようになってきて、 寂しさを感じるようになっている。 そして、あの時、師匠を信じて一歩踏み出せなかった自分を強く後悔している。 …… 先行く人がいないのは寂しい…。 (2020.04.14)[:]

[:ja]『揚げ物好きが高じて、今のところ』 揚げ物好きが高じて、 今のところ、 皮だけ揚げた春巻きも、 バリボリと食べるようになってきた。 しかも揚げる作業を、 母に頼んで… オニオンリングもハンバーガーショップで買うと高いので節約も兼ねて、 玉ねぎを揚げて、時々作るようになってきた。 揚げる作業を母に頼んで… 母は揚げる作業にも慣れてきたと言う。 僕も母から教わり、 揚げる作業を自分で行うことができれば、 千切りキャベツを更に細かく千切る作業に続いて、 朝に新しいリズムを産み出す、 新しい習慣になるかもしれない。 新しいリズムを産み出す、 新しい習慣。 素敵な言葉だ。 毎日こんな素敵な言葉に基づいた生活を送っていれば、 幸せにならないはずはずはない、 と思う。 でも、 素敵な言葉だけが並んでいる文章に、 物足りなさを感じる繊細さも身につけてしまったのでそこに安住はできない。 だから視力矯正の不具合という、 人生で抱えてしまったシンドイ悩みを言葉にして加えてみる。 このシンドさはなかなかオシャレな雑誌置き場や雑貨屋さんに並べるわけにはいかない。 このままマクロビ生活を、 セレブな生活を、南国生活を、 満喫するだけではまだ物足りない。 いやなんとなく、 視力矯正の不具合による苦しみも、 お肌の悩みや運動不足と同じように、 オシャレな雑誌置き場や雑貨屋さんに並べられそうな気がしてきた。 ヨガをやっているうちに、 素材にこだわった食事をしているうちに、 改善しそうな気がしてきた。 分からないものだ。 これも新しい夜明け、 新しいステージ。 いつのまにか、 峠を越えた? 長い夜の可能性。 非、生産的だと思っていた、 眠れぬ夜の、クリエイティヴィティー。 こんな夜を抜けた一行目から始まる、 小説を遺してみたいものです、 ヒャッホォォォォィィィィ。 (2020.04.12) [:]

[:ja]『まだまだHelp!にいたるまで』 なぜ寂しさが消えないのか。 完璧なはずだった。 ここで長い時間、 過ごしていれば良いはずだった。 でも違った。 僕は早く旅に出たかった。 留まっていたくなかったんだ。 早く出なければ手遅れになる。 午前と午後の境目。 今日も空港には人が行き交い、 飛行機は遠くへ飛んでいる。 僕もそこに行きたかった。 そこに行きたいだけだった。 こんな詩を書いているだけでなく、 もう、とにもかくにも旅立ちたい。 陽が沈んでしまう。 助けてくれっ! 寝たきりで陽射しが沈むのを待つなんて真っ平だ。 寂しすぎる。 寝たきりの人、ごめんよ。 でもやっぱり僕は寂しい。 そして今日も陽が暮れるのを見送ってしまう。 本当に寂しい。 寂しい、 寂しい… 暖かい光よ… こんなにも、 暖かい光よ… 我に… (2020.04.06) [:]

[:ja]『トンネル』 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」 (川端康成『雪国』冒頭より) (2020.04.12) [:]

[:ja]『不毛な対話の対義語…』 この苦しみから抜け出したいと想うばかり、 僕は視野が狭く、 近視眼的になっている。 この苦しみ、 視力矯正の不具合だ。 「視力矯正の不具合」という単語を文章表現に使っていけないとは、 誰も言ってない。 ただ、誰も美しいとは思わないかもしれない。 芸術的だとは、文学的だとは思わないかもしれない、もってこい。 好きな音楽について、その想いを文章に書き残しても、いいねをもらっても対話をしても、 この想いは全く解消されない。 歌わないと、 もう歌わないと出口がない。 だけど、嬉しい。 僕は歌うことができる。 歌うことによって旅立つことも、 この苦しみから解放されることも、 世界を変えることもできる。 僕だけが持っている才能、武器、希望。 アコースティックギターを持った若き日のボブディランの姿は、とても尊かった。 そこには寂しさなんて感じなかった。 ただただ正直に、 自分の想いを叫んでいるだけだった。 それだけで勇気を与えられる。 きっと歌っている本人が一番、 勇気が湧いてくるんじゃないかと想う。 僕の心にも勇気が湧いてくる。 こんなにも、 溢れてくる。 疲れ切って、 何もないと思っていたはずなのに、 こんなにも、 溢れてくる。 豊かさ。 不毛の対義語。 不毛な対話の対義語… また、 然るべき希望が見えてきた。 食欲も湧いてくる。 今、何を満たせば良いのだろう? 満たす前に与えられるものは何だろう。 もう、行こう。 西日本が、 九州が、 鹿児島が、 沖縄が、 空港へ行こう。 バスに乗って、羽田へ行こう。 旅立つ君の横顔は、 本当に素敵だ。 風が吹く。 生きてる歓び、 誰かが生きる歓びを、 君や僕に伝えるなんて無理なんだ。 生きる歓びは感じなければならない。 だから、もう、行こう。 何も必要ない。 必要なものは充分持っているだろうし、 本当に何も必要ない。 全てをすっ飛ばして、 君に会いたい。 (2020.04.08)[:]

[:ja]『文学は俺には簡単過ぎた』 文学は俺には簡単過ぎた。 (2020.04.04)[:]

[:ja]『想定外』 僕に想定外なんてない。 ただ、 想定外に備える準備をしていないだけだ。 (2020.04.03) [:]

[:ja]『アウトプット』 「アウトプット」 してない時間が続くと、 不全感が湧いてくる。 そして、寂しい。 数年前、 とてつもない寂しさや絶望感に襲われ、 死にたいという気持ちが晴れずにいた、 人生で一番辛かった頃、 同じようにアウトプットできない、 泣き寝入りのなす術のない時間を送っていた日々。 その状況から抜け出したキッカケは自分のこれまでの人生を振り返り、文章に書いたことだった。 それはとても大きなアウトプットだったと思う。 僕は当時とてつもなく惨めな日々を送っていたと思っていたし、 これまでの人生も決して素晴らしいものだとは思えなかったが、 どういうわけか、 自分のこれまでの人生を文章に書いているうちに、次第に自信が湧いてきた。 振り返った時も、 振り返った時を思い出している今も、 僕の人生の中で一番心に残っている時期やエピソード、 というより、 一番印象に残っていて思い出したいのは、 どういうわけか、 大学の夜間部に通っていた頃。 「どういうわけか」 と、言ったのは、 普通は人生を振り返った時、 一番ジンワリとするのはもっと子どもの頃のこと、小学校や中学、高校に通っていた頃のような気がするからだが、 それは僕の思い込みだろうか。 もちろん大学以前のもっと若い頃もやっぱりジンワリとくる。 今もじっくり時間をかけて振り返って一つ一つのエピソードを頭に浮かべながら言語化する作業に耽ってみたい。 でも今は没頭していられない。 どうも他にやらなければならないことが多い気がしてしまい、没頭することを恐れてしまう。 これは詩だ。 詩でなくてもエッセイだから余り時間がない。 本題に戻る。 確かこの詩の、文章のタイトルは『アウトプット』だ。 アウトプットに対する葛藤を表現する場であって、アウトプットそのものの快楽を味わう場ではない。 それも僕の思い込みか。 大学の夜間部に入学したのは、 僕が工業高校を卒業し、 その高校の付属の大学に進学してから僅か半年で退学した一年半後、 高校を卒業してから2年後のことだった。 高校は男子校で、 普通の(と僕がイメージしている)男女共学の華やかな雰囲気がなく、 私生活も含めて何となく世俗を離れていたような気分だったので、 夜間部とはいえ、 私大文系の大学の雰囲気は僕には華やかに思え、新鮮だった。 高校を卒業してからは最初の2ヶ月ほどは付属の大学に通っていたとはいえ、 だいぶ世間と隔絶して暮らしていた印象があるせいか、 中学を卒業以来、 久しぶりに世俗に帰ってきたような気分だった。 特に、 高校が男子校だったので、 若い女性がたくさんいるのがものすごく嬉しかったのをよく覚えている。 20歳。 夜間部だったが、 サークル活動などもいくらか行われており、 昼間部にも入れるサークルがあるみたいだった。 最初に行った付属の工業系大学に入った時、 キャンパスを歩いていると色んなサークル団体が勧誘活動を行なっていたが、 僕はその光景が何となく好きだった。 自分が勧誘の対象になっているという優越感もあったかもしれないが、 そんな活気のあるキャンパスの光景は微笑ましい。 どうも話が脱線する。 どうやら僕は大学時代を頭に想い浮かべ、 言語化する作業に没頭したいらしい。 僕は没頭は堕落だと思っている。 そしてどういうわけか、 堕落してはいけないと思っている。 没頭は快楽、 アウトプットは快楽だ。 なぜやりたいことをやってはいけないのだ? 僕は自由のはずだ。 いや自由じゃない。 だって、 視力矯正の不具合の改善に協力してくれる人たちがまだ見つかっていないから。 でもここで視力矯正の不具合について語り出すのはやめよう。 せっかく大学時代を振り替えながら気持ちの良い気分を味わっていたのに台無しになってしまう。 本筋に戻ろうと思う。 どうして 一番印象に残っていて思い出したいのは、 大学の夜間部に通っていた頃なのか。 それは、 やり残して後悔していることが多いからだと思う。 まず、 僕が自分の人生の中で一番好きだなと思っていて印象に残っている友人。 彼の存在が大きい。 そして、 何となく気に入っていた女の子が一人。 友だちとして付き合っていて…というよりたまに会話をするくらいだったが、 何となく雰囲気が好きだった女性が一人。 その女性と仲が良く、 一緒につるんでいた女性グループ。 それらの女性全員と僕が所属していた勉強系のサークルの存在…。 少し暗めで切実な話ができる、 何か一緒にやろう(具体的には音楽活動、 バンドだった)と言っていた友人。 他にも色々とあるが、 今こうして振り返って想い浮かべても胸がときめくような、 儚いような、 幻のような日々の光景が愛おしい。 そしてその時代の光景を緻密に思い出そうとする作業に没頭している今は、 不全感が消えていくような感覚を味わえる。 全力のアウトプットとは言えない。 でも、 感じていたくない不全感や寂しさという感覚が消えていくこの作業のメリットは、 この場にアウトプットして伝える意義があると思う。 すっかり寂しさが晴れてしまった。 次はこのようなモノローグではなく、 対話が欲しい。 対話がないと次に進めない。 前進しない。 僕はコミュニケーションがしたいし、 創造的でありたい。 僕が没頭して一人の世界に篭ってしまうことを恐れ、 小説家を志さなかった理由の一つは、 僕が対話に創造性を見出しているからかもしれない。 でも、 今、そのように書いて、揺れた。 小説を書くように、 あの時代を振り返り、 言語化する快楽に没頭してみたいという衝動がよぎった。 だから、 この次の文章で取り上げるテーマは、 僕のこれまでの人生の中で 一番印象に残っていて思い出したい、 大学の夜間部に通っていた頃かもしれない。 対話か小説(モノローグ)か。 ただ、僕は自信を持って創造的だと思える対話の場を、 今は持ち得ていない。 (2020.04.03) [:]

[:ja]『突き抜ける』 『世界の終わり』より突き抜ける。 『リンダ リンダ リンダ』より突き抜ける。 『デソレーション・ロウ』より突き抜ける。 『ブレイクオンスルー』より突き抜ける。 『ダウン・イン・ザ・チューブステーション』より突き抜ける。 『トニー・ウィリアムス』より突き抜ける。 (2020.04.02) [:]

[:ja]『行き場』 行き場がない なぜなら俺が、 頂点だから。 (2020.04.02) [:]

[:ja]【色彩の葬儀:パラレルワールド】   作:カンダタ   「お客さん、お客さんどちらまで?お客さんあきまへん、夢の中まで寝てしまっては、起きてくださいな」   「安岡さん?安岡さん起きてください、安岡さん、先日の案件の報告です」   「ああ、ああ、寝ていたか、すまない、机の上においておいてください、手があいたらみておきます、」   OLたちは安岡さんは相変わらずたそがれてるよね とはなしている   安岡康二、四十八才、この男は生きていない、生きながら死んでいるようである 携帯が鳴る プルルルルル   「え?今日、俺、約束してたっけ?じゃあ、でかけるよ」   会社を出た康二はタクシーをつかまえる 「吉祥寺まで」   「お客さん、うちのタクシー会社でダンボールでもらったファンタオレンジいらないですか?昔はよく販売機でありましたな、、懐かしいでっしゃろ?」   「悪い、疲れてるんだ、無駄口はききたくない」   「お客さん吉祥寺はロンロンの前でよろしいか、お客さん、お忘れものなくね、特に大切なものは知らないうちに忘れてしまうものですよ」   「さっきの運転手、なんだか妙だな、どっかであったような、そうか、どこか、死んだ親父に似てんだ、親父とは気が合わなかった」   康二は携帯のニュースに目をやる 【携帯ニュース:訃報:黄色死去】   「キイロ?なんだ?芸能人?作家?著名人か?」   「あなた、変わったわね、大学時代、夢があるアルバイトと夢がない正社員どちらがいい?、そんな話をきかせてくれたわね、もう会うのも最後ね」 康二は疲れた顔で家に帰ると、背広をソファーにかけてテレビのスイッチをつけた。バラエティーをみても康二は何も無表情。笑い方を忘れてしまったようだ。テレビの画面の上にニュース速報が入る   ピンポンパンポン 【速報:水色、緑色、遺去されました】   康二はハテナ?と小首をかしげる   康二は釈然としない顔で独り呟いて、またテレビをみた   ピンポンパンポン【速報:赤色が遺去】   康二は 「???」   「なんでテレビはモノクロ映画ばかりやってんだ?チャップリン?」   次々 速報が入る ………………………   康二は真っ暗やみの中にいた。   「いつから、いつから俺はこうなっちまったんだ、昔はなんでもできた、未来は無限に広がっていた。あの路地裏を曲がったら異世界があるんじゃないかと思っていたのに、今は毎日、同じことの繰り返し、変わったことはしたくない、色んな色が失われたようだ」   (………康二、色んな色彩があった頃を思い出してみな、一番色彩があった頃、あの幸せだった頃)   「啓太やおばあちゃん、お父さん、カブトムシ、ファンタオレンジ」   【1981年8月18日】 「康二!康二!起きなさい、啓太くんから電話だよ」 「……ん?啓太くん?おはよう」   「やっちゃん、やっちゃんのおばさんにかわってもらったけど、昨日の夕方お寺の樹に蜜を塗ってカブトムシ取りに行く約束、やっちゃんこなかったね、カブトムシいなくてスズメバチに追っかけられて、朝四時のお寺、幽霊、ヒトダマ、出て恐かったんだぞ、お前約束守れよな」   「ええ!?ヒトダマ!嘘だろ!?幽霊っているのかよ!うしろの百太郎みたいだああ、啓太ごめん、夕方の啓太軍団の集まりには行けるからさ、こんど交通事故現場に心霊写真撮りにいこうぜ」   「おやつ300円とファンタオレンジとコロコロコミックとコミックボンボンみんなで集めたからな」   「うん、じゃあ昼の3時に三角くんちであつまるのな、おやつはコアラのマーチを買っていくよ」   「グリコ、森永事件の毒入ってるかもよ、ところでおまえ、ホワイトコーラって飲んだことあるか?」   「げぇ、あれ不味いぜ、サスケコーラのほうがうまいよ」 「康二いつまで電話してんだい、おばあちゃんがカワセでマグロの刺身買ってきてくれたよ」   「かわいい、かわいい康二お前が好きなマグロの刺身買ってきたよ、炊きたてご飯でみなでたべよう、」   「おばあちゃんきょうきょう土曜日だから日本昔話やるよ、泊まっていって、おかあさん三角くんちいってくるね、」   「啓太、みんな、商店街のコーラやビールの空きビン酒屋に持っていって、小銭貰ってヨッチャンイカ買おう、」 「ところでお前、ドリフなんて観てないだろ?タケチャンマンだろ、ひょうきん族だろ、ドリフみるやつバカな、ガンプラ、グフ持ってるぜ」   「おい三角、お前ドリフとひょうきんどっちみてる?ひょうきん?エライ!ひょうきんのほうが新しいよ」 「三角くんちこどもの城な、マーチン軍団むかつくよ、」   「マーチンこのまえう〇こもらしてたぜ、佐久間必死にかばっていたけどな」 「なあ、いま何時だよ」 「もう夕方だから帰るよ」 「あ、お父さんお帰りなさい」   「康二、夏休みに行く伊藤のハトヤホテルの準備してるか?おばあちゃんもう帰るってよ」 「おばあちゃん帰らないで、草履を隠しちゃう」   「おやおや、でも帰らないとね」   「お父さんおばあちゃん帰ったら嫌だ」   「まあ、いいじゃないですか泊まっていってくださいよ」   「あ、ドリフが始まった」 【ゾンビがクルリと輪をかいた、志村!うしろー!】 「わははははは!わははははは!お腹が痛いよ!」   「康二、お前は心が健康にと俺がつけた名前だ、お前は未来がある、お前は何でもできる」   「おやすみ、お父さん、お母さん、おばあちゃん」   康二の顔は泣き濡れた寝顔だった   …………zzz 「運転手さんどこ走ってるんですか?運転手さん?あれ?運転手さんマネキン人形じゃないか?このタクシー自動運転?」 「あれ?あれは虹じゃないか?アハハハアハハハみんな生きていてくれたの?みんな帰ってきてくれたの!?アハハハアハハハ」   康二は夢をみていたようである   会社に出勤する康二。「あれ?安岡さん手に持っているのファンタオレンジじゃないですか?まだ売っているの?なんだかジュース持ってるなんて安岡さん、ギャップあるなあ」 「あ、ああ、いつもとちがう道を寄り道したら駄菓子屋があって、まだファンタ売っていたんだ、なあ、こんど飲み会誘ってくれよ、いい飲み屋探してんだ、ムードがいい店、誘いたい人がいるんだ、」 END[:]

[:ja]『今日は耐えた、我慢した』 今日は耐えた。 我慢した。 良いことなんて一つもない。 昼間の時間、 ゆっくり食事ができるのは貴重だ。 バリボリバリボリ、 本当はどうしたいっ? 何が食べたいか、 徹底的に考えた、 キュビズム。。 今日はデタラメに書いても何も産まれる気がしない。 ただ、ただ、早く帰りたい。 まさかこんな日になるなんて。 第一優先だった不動産物件探しで、 こんなにも不幸になってしまうなんて、 まさか、まさかの出来事だった。 でも、控えめに夕食食べつつ、 楽しむのも悪くない。 サミットにメンチがあったら買って仕舞えば良いじゃないか? サトウのメンチ買い忘れたくらいで… サトウのメンチ… やっぱり吉祥寺は最高…だ。。 イェェェェェッイ、 スモーキンッ、ビッッリィィィッッィ! 昨日はなぜ、あんな奇跡の動画、発見した? kosaten、立ち寄った後の、ジョナサンよ。 残されたガストの半熟卵入りビーフシチューよ。 ジョナサンのサーモンマリネよ。 レンコンのきんぴらにゴマゴボウのサラダよ。 本日悩みに悩んで、 食べる時のバリボリ感を想像して2本だけ買った、昇竜の春巻きよ。 ファミマのエビチリとハンバーグステーキの残りよ。 僅かに残ったローソンの豚の角煮よ。 銀座ビーフハヤシよ。 それでも足りなかったら冷凍食品の白身フライに手をつける。 でも、きっと母が、 春巻きの皮を揚げてくれている、 と信じている。 とにかく僕は新しい世界に行きたい。 この日の悔しさを覚えている。 マーシーよ、 マーシーよ、 オーマーシーマーシーミー。 新しい言葉に辿り着けない… 他力…無だ… 新しい明日に期待しよう。。 弱ってさえいない。 空腹はこんなに俺から力を奪うのか… リロード、 俺はマグナム、 拳銃。。 スーパーマグナム、 拳銃。 (2020.04.02) [:]

[:ja]カンダタ 映画感想文【監督失格】 平野監督は感のよいひとだ新聞受けに鼻孔をちかづけた こんにちは DVD映画のレビューというかこういう映画を観たと紹介をしようと思います 監督失格 これはドキュメンタリー映画です 僕は失恋してから愛する人を失った映画ばかりみていた ネタバレする内容なのでこの映画を楽しみにしている人は先の文章は気を付けてでもネタバレからこの映画に興味を持ってくれる方もいるかと思い筆をとりました 平野勝之46歳 職業AV監督 平野は満身創痍の中自転車を担ぐ場面からこの映画は始まります 遡り 1996年 平野はAV監督としてのデビューで ひとりのAV女優に出会う 林由美香 まだ十代 売れっ子AV女優 平野は監督としては新米嘗められていた 相手にもされなかった 悔しかった 平野は由美香に恋をしていた 平野は由美香を見返す為にAV業界で 頑張った 由美香は男と付き合っても4ヶ月続かない女だった 平野は結婚して妻がいる身分だった AVの世界は自由闊達 何度か仕事をしている内に不倫の関係になった 由美香は細やかな平和な家庭に憧れていた 平野は東京から自転車で北海道に一人旅に行く予定だった由美香が興味を示した 嬉しかった 平野は由美香ママに挨拶する ママは由美香の仕事を理解していた 男勝りのおじさんかと見紛うようなラーメンチェーン店女社長由美香ママ 由美香は長いこと両親の離婚の時にママから捨てられたと誤解していた 孤独さの陰がする由美香 ママは由美香を大切に思っていた 二人の北海道の旅は本邦初AVロードムービーとして映像に記録することになった 愛の記録 ふたりの珍道中 旅での人との出会い ママへの泣き言の電話 泣き虫由美香 ウイスキーで酔っぱらってテントで寝ぼけてトイレを済ませる由美香 沢山の由美香の映像 でも 肝心の場面が撮れていない ふたりの喧嘩 何でも記録する平野監督でも由美香との喧嘩の場面を映像に記録する余裕はなかった 由美香は平野に言う (監督失格だね) このロードムービーは好評で平野の代表作になる AVの世界は大人の世界自由闊達 それぞれ大人の事情で 由美香と平野は別れ由美香はまた別の恋をする でも由美香が失恋で愚痴を言いたくなると 平野はいつでも深夜でも聞いてあげてた 由美香はいつも電話の最後に(ありがとうね)と 平野とAV業界の面面の飲み会由美香は過去の恋人カンパニー松尾と皆で酒を飲む映像 由美香は酒癖が昔より悪くなっていた 何か陰を持つ由美香 平野は 由美香のロードムービーのキャリアを超えようともがいていた また違う女優と北海道に映像を撮りに行ったり 一人旅を映像にしたり 由美香とのキャリアを超えようともがいていた 出会った時は十代だった由美香ももう36歳に なっていた 平野は新たに自分のAV監督としての集大成の映像を撮ろうとしていた それには縁の深い由美香に出演してもらわなければならなかった 何でも映像に記録する平野は由美香のマンションに入った時から映像の記録は始まっていた インターホンを鳴らす平野 おかしいな 約束の時間になっても由美香は 出てこない 電話も留守電 おかしいな 公園で待機する平野 あいつ仕事にルーズではない約束を守る女だ 1度だけ悪い男と付き合って監禁されていたことがある 平野は心配そう 平野は再度マンションに戻り ドアをノックする 平野監督は感のよいひとだ新聞受けに鼻腔をちかづけた 由美香ママに電話する 平野:由美香と連絡が取れないのですがマンションの合鍵持っていませんか? ママがくる 相変わらず男勝りで ママ:平野さん太ったんじゃないの?こちらアシスタントの方?由美香が御世話になってます マンションの鍵をママがあける ドアが開く ここからは玄関にカメラを置いて通路の映像になる ママ:由美香? おーい! え?なんか、おかしいよ! 匂うよ え? ちょっと平野さん 部屋の通路に入るの怖いよ 平野さん先に部屋に入って 平野が部屋の奥に入る 平野:倒れてる! 現場保持!!! 警察呼んで!!警察!! ママ:うわ〜!!!ゆみかー!!なにやってんだよおまえ!! 平野:警察ですか? 実は… ママ:もしもし!いま由美香が由美香が!うわ〜ん! ゆみかー!! ゆみかー!! お前だめだよもうこんな匂いしてるんだもん うわ〜ん!!なにやってんだよおまえ 平野:警察早くして! ママ:警察早くしろよ! 警察、救急隊で騒然となるマンション 平野は仲間に緊急連絡 カンパニー松尾が駆け付けて映像に撮ろうとするが泣き出して撮れない 平野は一部始終を映像に記録する カンパニー松尾は泣きながら (由美香が死にました) 新聞記事にはAV女優の突然の死の見出しが載った死因はアルコールと睡眠薬による事故死 告別式 沢山の弔問 AVの世界は自由闊達由美香の出棺は歴代の恋人達が担ぐ 細やかな平和な家庭に憧れていた由美香 由美香の遺影は笑っていた 平野は大変な顛末でも不思議と涙がでなかった 由美香ママはやり場のない悲しみで 由美香の死は平野さんが関係しているのではないかと疑念があった 何故、彼処でカメラがあったのか何故カメラを回し続けることが出来たのか この映像はママ、平野、事務所三者の協議で封印されることになった 5年後 平野はママの元に訪れる すっかり老け込んだママ 平野は5年間映像が撮れなくなっていた ママ:あんたももう歳じゃないの?ははは 平野:僕はあの時何で映像が撮れたか 由美香にはいつも言われてた【監督失格だね】と 由美香本人から撮れと言われている気がしてならなかった ママ:由美香が?なんかあんたの顔には由美香が張り付いているようだね 平野はママの相談事に乗ってあげるようになっていた 電話の最後はママはいつも (ありがとうね) 由美香と同じことを言った 【あの映像使ってもいいよ】 2010年 平野はぎっくり腰の激痛の中呻いていた 編集で由美香の膨大な映像をみて (怖い…………)…

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