(日本語) 「いのちというものをめぐって3」

TBbbvwFbeNhvjoDRbxCLcvvJd05ZBykyREwMR-r_WGMy_Q85tq9D3iTlmmBTB87eNVX3GlnOxibSOcF_0gYdF9fKicgOTL_0EmnvYQMcjtwv2s__YmTv_Hs6lrN5YxUYd4q3jWDc

Sorry, this entry is only available in Japanese. For the sake of viewer convenience, the content is shown below in the alternative language. You may click the link to switch the active language.

「いのちというものをめぐって3」

マリア様のお母様はアンナ。
アンナ様がマリア様を宿されたとき、どれほどの思いがあったでしょう。
どれだけ世界は光に満ちたでしょう。
どれだけ待ち望んでいたことでしょう。闇は、光を。
墓石に刻まれた名前を見るたびに私は思い出します。かつてアンナでありマリアであったいのちの連なりを。呼びかけるものに呼びかけられることを待つことを。じっとした静かなまなざしを。悪意と愛がまだ一つのものとしてある若さを。無力であることの賢明な愚かさを。矛盾のない残酷さと悲しみを。支配と葛藤を。幼子の目に映る私を。その微笑みを。決して母になりきれない母になってしまった私を。私の少年性であるわが息子を。その間違いを。その偉大さを。
マリア。呼びかけられるものとしてのマリア。母であることはこんなにも世界全体から呼びかけられてしまう。私は望みなく山羊と戯れる幼子を腕に抱いていただけであるのに。けれども私のなかにこの新しい人と出会ったときの物慣れない、澄んだ朝の山の中の空気のような気配はずっと消えずに残っている。この幼子がいることと私が母であることはまったく無関係であるのに切り離せないことであり、ただ唯一初めからこの幼子とそのままにここにいる。
私はこのように生きるということを呼び覚まされただけであり、幼子にとっての謎は私にとっても未知である。ここにこのままこの者とともにいたい。安らぎに静まっていたい。いつか疲れてやってきたときには私の膝の上で休ませよう。見慣れぬものとして、一人の人として、このような出逢い方を与えてくれた者として。
TBbbvwFbeNhvjoDRbxCLcvvJd05ZBykyREwMR-r_WGMy_Q85tq9D3iTlmmBTB87eNVX3GlnOxibSOcF_0gYdF9fKicgOTL_0EmnvYQMcjtwv2s__YmTv_Hs6lrN5YxUYd4q3jWDc