『アウトプット』


『アウトプット』

「アウトプット」
してない時間が続くと、
不全感が湧いてくる。

そして、寂しい。

数年前、
とてつもない寂しさや絶望感に襲われ、
死にたいという気持ちが晴れずにいた、
人生で一番辛かった頃、
同じようにアウトプットできない、
泣き寝入りのなす術のない時間を送っていた日々。

その状況から抜け出したキッカケは自分のこれまでの人生を振り返り、文章に書いたことだった。

それはとても大きなアウトプットだったと思う。

僕は当時とてつもなく惨めな日々を送っていたと思っていたし、
これまでの人生も決して素晴らしいものだとは思えなかったが、
どういうわけか、
自分のこれまでの人生を文章に書いているうちに、次第に自信が湧いてきた。

振り返った時も、
振り返った時を思い出している今も、
僕の人生の中で一番心に残っている時期やエピソード、
というより、
一番印象に残っていて思い出したいのは、
どういうわけか、
大学の夜間部に通っていた頃。

「どういうわけか」
と、言ったのは、
普通は人生を振り返った時、
一番ジンワリとするのはもっと子どもの頃のこと、小学校や中学、高校に通っていた頃のような気がするからだが、
それは僕の思い込みだろうか。

もちろん大学以前のもっと若い頃もやっぱりジンワリとくる。
今もじっくり時間をかけて振り返って一つ一つのエピソードを頭に浮かべながら言語化する作業に耽ってみたい。

でも今は没頭していられない。
どうも他にやらなければならないことが多い気がしてしまい、没頭することを恐れてしまう。

これは詩だ。
詩でなくてもエッセイだから余り時間がない。
本題に戻る。
確かこの詩の、文章のタイトルは『アウトプット』だ。
アウトプットに対する葛藤を表現する場であって、アウトプットそのものの快楽を味わう場ではない。
それも僕の思い込みか。

大学の夜間部に入学したのは、
僕が工業高校を卒業し、
その高校の付属の大学に進学してから僅か半年で退学した一年半後
高校を卒業してから2年後のことだった。

高校は男子校で、
普通の(と僕がイメージしている)男女共学の華やかな雰囲気がなく、
私生活も含めて何となく世俗を離れていたような気分だったので、
夜間部とはいえ、
私大文系の大学の雰囲気は僕には華やかに思え、新鮮だった。

高校を卒業してからは最初の2ヶ月ほどは付属の大学に通っていたとはいえ、
だいぶ世間と隔絶して暮らしていた印象があるせいか、
中学を卒業以来、
久しぶりに世俗に帰ってきたような気分だった。

特に、
高校が男子校だったので、
若い女性がたくさんいるのがものすごく嬉しかったのをよく覚えている。

20歳。

夜間部だったが、
サークル活動などもいくらか行われており、
昼間部にも入れるサークルがあるみたいだった。

最初に行った付属の工業系大学に入った時、
キャンパスを歩いていると色んなサークル団体が勧誘活動を行なっていたが、
僕はその光景が何となく好きだった。
自分が勧誘の対象になっているという優越感もあったかもしれないが、
そんな活気のあるキャンパスの光景は微笑ましい。

どうも話が脱線する。
どうやら僕は大学時代を頭に想い浮かべ、
言語化する作業に没頭したいらしい。
僕は没頭は堕落だと思っている。
そしてどういうわけか、
堕落してはいけないと思っている。
没頭は快楽、
アウトプットは快楽だ。
なぜやりたいことをやってはいけないのだ?

僕は自由のはずだ。
いや自由じゃない。
だって、
視力矯正の不具合の改善に協力してくれる人たちがまだ見つかっていないから。
でもここで視力矯正の不具合について語り出すのはやめよう。

せっかく大学時代を振り替えながら気持ちの良い気分を味わっていたのに台無しになってしまう。

本筋に戻ろうと思う。

どうして
一番印象に残っていて思い出したいのは、
大学の夜間部に通っていた頃なのか。

それは、
やり残して後悔していることが多いからだと思う。

まず、
僕が自分の人生の中で一番好きだなと思っていて印象に残っている友人。
彼の存在が大きい。

そして、
何となく気に入っていた女の子が一人。
友だちとして付き合っていて…というよりたまに会話をするくらいだったが、
何となく雰囲気が好きだった女性が一人。
その女性と仲が良く、
一緒につるんでいた女性グループ。
それらの女性全員と僕が所属していた勉強系のサークルの存在...。

少し暗めで切実な話ができる、
何か一緒にやろう(具体的には音楽活動、
バンドだった)と言っていた友人。

他にも色々とあるが、
今こうして振り返って想い浮かべても胸がときめくような、
儚いような、
幻のような日々の光景が愛おしい。

そしてその時代の光景を緻密に思い出そうとする作業に没頭している今は、
不全感が消えていくような感覚を味わえる。

全力のアウトプットとは言えない。
でも、
感じていたくない不全感や寂しさという感覚が消えていくこの作業のメリットは、
この場にアウトプットして伝える意義があると思う。

すっかり寂しさが晴れてしまった。
次はこのようなモノローグではなく、
対話が欲しい。
対話がないと次に進めない。
前進しない。

僕はコミュニケーションがしたいし、
創造的でありたい。

僕が没頭して一人の世界に篭ってしまうことを恐れ、
小説家を志さなかった理由の一つは、
僕が対話に創造性を見出しているからかもしれない。

でも、
今、そのように書いて、揺れた。
小説を書くように、
あの時代を振り返り、
言語化する快楽に没頭してみたいという衝動がよぎった。

だから、
この次の文章で取り上げるテーマは、
僕のこれまでの人生の中で
一番印象に残っていて思い出したい、
大学の夜間部に通っていた頃かもしれない。

対話か小説(モノローグ)か。

ただ、僕は自信を持って創造的だと思える対話の場を、
今は持ち得ていない。
(2020.04.03)