Language Beyond #9のレポート 2019年4月21日

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『風船を買った』チョ・ギョンナン(趙京蘭)
関係ないかもしれないが、じぶんと韓国のこと。
  高校のとき、東方神起が好きな友人がいた。それがきっかけで、彼女は韓国語を勉強してもいた。帰り道、いつも彼女が「ペゴパヨ(お腹が減った)」といって、お腹が空いた手振りをするので、そういうときは、いっしょにローソンに寄って、Lチキを買うのが定番だった。が、わたしはなぜか、「ペゴパヨ」というのは彼女の造語で「お腹が減った」という意味なのだと思いこみ、それが韓国語だとは気づかなかった。「ケンチャナ(大丈夫だよ)」や「オットッケ(どうしよう)」なども、日常的に使っていたように思う。ただ彼女はとても表情豊かで、なんとなくその意味がつたわってきたので、それぞれのことばについて、あえて聞き返したりはしなかった。
  ついさいきん、韓国語に触れるようになった(わたしも、K-POPにはまった)。そこでやっと、彼女があのときなにをつたえようとしていたかわかった。学校から駅までの道のりと、そのときの空気とともに、とてもおおげさにいえば、記憶が変容していった。それはわたしにとって、とても感動的なことだった。ことばがことばにされてから、十年が経っていた。
  と同時に、韓国のひとについて、いくつか発見があった。どんなときに、どんなことばで表現するのか。どんなふうに、年上、年下、同い年のひとと接するのか。全然、知らなかったことだった。
  なかでも、個々のひとの自信のもち方が、ちょっとすごい。これは伝えにくいのだが、ただアイドルだから、というものではないと思った。たとえば、「このなかで〇〇に一番すぐれているひとは?」とかいった、〇〇にポジティブなことばが入るような質問に対して、「ナ!(僕!)」と、ごく自然に答える。その自然さがすばらしい。しかも、それに対して、まわりは茶化したり、嘲笑したり、絶対にしない(たぶん)。どころか、そういう自信をもっているひと、じぶんを好きでいることができるひとのそばにいることを、誇らしく思うような雰囲気もある(わたしの妄想でなければ)。
  書いてみるとあたりまえのような感じ。なんだけれど、テレビのように既定のコードがある場で、なかなかできることじゃない。だから、そんなやりとりが、最初印象的だった。とにかくなんだか、ああ、いいなあ、と思った。じぶんを好きでいられることの価値、自尊心というものに対する理解の深さ? 新鮮さ、そして、うらやましさとまぶしさ。
  個人的なトピックについて、書いてみた。
  あなたとわたしのちがいがうれしい。すぐには思い出せないが、そんな詩があったような気がする。ひとつのものごとについて、ちがった見方のあることが、ちがっていることが、こんなにうれしい。なんとなく、韓国に触れるとき、そんなことを思う。
藤田瑞都