『森のこもれび』


『森のこもれび』

 

今日いちにちを生きて、どこかに無理はなかったかをたしかめる。

ひずみもヨレも丁寧に扱えば、布地になじんで明日を彩る味わいになっていく。

この私は私ではないとしても、私を生きるしかならず、私よりももっと息づいているものが、かけがえなくこの場所にある。

そうだとしたら、無理に直線に生きなくても、どこかに探しに行かなければと思わなくとも、すでにおのずから息づいている。

 

柔らかなタオルを使うたびに、何度も洗ってはしぼり、ひろげ、空気を含むようにゆったりとたたむ。

タオルは毛羽だって灰色とも黄色ともつかない色に筋がうっすらと入っていく。

窓の外の水平線のにじむ明るみとともに、今日一日を静かにむかえ入れている。

 

蓋つきのペットボトルは熱によわくて、熱いお湯を注いではきっとひしゃげてしまう。

やったことがなくともやったような気になっているのは、そのものの声が伝わってくるからだ。

その声を聴けるようにすることの日々。

 

溢れているものたちに名前と物語を与える者の居場所をかんがえよう。

アキレス腱と名づけた途端、それは身体から離れて目の前に立ち現れてしまう。

階段を下ったときに階段と、アキレス腱だけがあるようで、何もなくなってしまうようで実感がないから。

 

あの人の「てにをは」の少しの素朴さが好きだ。

あの人の好意に、そのまま、触れることができるような気がするから。

 

縄文人のひとりひとりを墓石に祀って、毎年墓参りに行かなければ、いつまでたっても教科書の歴史上の「縄文人」のままだよ。

あるいは今日はドングリのパン粉をこねて。

 

すきなひとも、すきなものも、ドアで、それは実体なのに限りなく静かな世界につながっている。奇跡と、この世で過ごしてきた歳月を思う。

 

今日庭で咲いた花が、庭に奉られている。

 

鼓膜から少し離れた場所で眼の不自由な女の人が今日も白杖を手に通勤していく。

 

恥ずかしがって声を出せない黄色いジャンパーを着た君の呼び込みの声を、好きな人もいるはずだよ。

 

高層ビルは今日は34階建てで明日の三時までには41階建てになる。

 

カラスですら雲をすべて吸い込むことは出来ないというのに。

 

柔らかな種の芽吹く力を信じよう。それは「ちから」というものとはとうてい無縁の、生きるよろこびそのものだから。

 

少しだけでいいからそばにいてほしい。もうすぐ星が瞬くから。

 

そっと猫の背中の毛羽立ちを撫でる風が今朝も吹いている。