『いのちというものをめぐって2』


『いのちというものをめぐって2』

 

今朝、歌を歌った。一人で、庭に向かって歌った。福島の復興を祈念して一人の作家が詩を書いた歌だった。

夏のような陽気。

苦しみを抱えている人は誤解されやすい。誤解されたことがまた、その者の糧となるだろう。

私は苦しんでいるのです。つらいのです。もうこのままではどうしようもないのです。そう言ったとき、その人は言った。そう。でも、もっともっと、苦しまないとね。

私には優しさがわからない。そのことを、目には見えないなにかをふくめていとしく感じる。

そんなことを、したくはないのだ。でも、人は、生きているだけで巻き込まれていく。こんなはずではなかったのに、縁があれば、手を染めてゆく。

そのことがいとおしい。たまらなく、くやしく、そのかなしみは、人間に残された自由のようにすら感じる。

いとおしい。ままならないことがいとおしい。ままならないままにいとおしい。

 

のんびりとくつろいで寝転がってみんなといる。外では桜が咲き始めていて、風は笑ってしまうような温かさを帯びている。

私たちの生体のリズムは私たちの意思とは無頓着に別様のリズムで独立している。その周縁として社会はある。胎児の安らぎが、私たちをはぐくんでいる。

よくここまで歩いてきましたね。そう、その人は言って、私の手をとってそっと握ってくれた。いや、それは握るというのではなく、つつみこむもので、私は手を預けたまま小さな動物のようにじっとしていた。わたしは微かに怖れてもいた。きっと、たしかに、手を握られることはその人との別れをどことなく予感させえたから。

その方は何も言わず、笑いもせず、ただ黙って食事の支度をしてくださった。

みなでなんとなく居心地の悪さを感じながら、どこまで居住まいをただせばいいのか周りをうかがいながら味噌汁の入った碗を口に運んだ。

「そういえば以前ロジェ神父様と出会ったときに」と話し始めた人がいた。その声は夢の中で聴いたことのある声のようにおぼろににじんでいった。

食事を終えて私は緑と薄茶色の横じまのニット帽をかぶった竹前君と一緒に外の勝手口のところの石段に並んで腰かけていた。

竹前君は大股に開いた右ももに肘を載せて煙草を吸っていた。竹前君と久しぶりに会えてうれしかったけれど、すこし疲れているようにも見えた。

竹前君が右手をあげたとき煙は闇の中に一段と溶け込むように立体的に消えていった。

竹前くんは何気ないことを言うときにもわずかに顔をふせた。そうだ、この人の何か言う時の少し緊張するところが好きだったんだと思いながらわたしはその指先の白く光る煙草を見つめていた。

長い前髪を顔にかぶせるようにしてうつむいて、平気な顔を装いながらいつまでたっても物慣れないところがのぞく様子に安心していたんだった。

「僕は人が好きだよ」と私は言った。そのことが何を意味するのかは分からなかったが、その言葉は私の耳にも真実らしく響いた。

竹前君はちらと私のほうを眺めて、少しだけ口元をゆるめて笑った。

「渋谷に一緒に行ったときさ、君先に帰っただろ?」と竹前君は言った。

僕は覚えていなかった。

それだから、そのまま、覚えていないと言った。それから思い出した。それから僕たちはまた黙って暗闇の中でじっとしていた。

備え付けの温泉に浸かってから私たちはみな障子で仕切られた畳敷きの大広間の和室に布団をそれぞれ敷きのべた。

今日も生きて一日を終えましたと言って、おそらく知らない誰かが電気を消した。

どこからかジュニパーベリーの香りが香っていた。

 

ゆっくりと、シクラメンが花開いていく。私はレモンティーをその鉢植えに注ぐ。レモンティーはライオンの頭骨という感じがする。小さい頃に読んだカバラ神秘学の本にその連関が書いてあったような気がする。見上げると空はコーヒーフレッシュの漂うような雲に山並みの内側をその輪郭を淡く光らせながら囲われている。コップの底だと私はいつも思うようなことをまた思った。誰かにのぞきこまれるコップの底で私たちはうごめいているのだ。

よく眠れましたかとその方は台所で小さな声でおっしゃった。

大変よく眠れましたと私は言った。

よかったと、その方はおっしゃった。

今はおびえている人が多いのです。よく眠らなければ。そう、その方は言った。

台所には朝陽が射し込んでいた。

ごはんの炊けるおいしい匂いが漂っている。みんなぞくぞくと起きだして眠そうに目をこすりながらにこにこして挨拶を交わして大きな丸いちゃぶ台の周りに寝転んだり座ったりしている。廊下の向こうの洗面所からは水をバシャバシャ流す威勢のいい音が響いてきている。

朝ごはんの時間だ。