Monthly Archives: April 2019

[:ja]Being(Between) 私とあなたの間に何が存在するでしょうか?ただの空気としてとられるのですが、実はほんの少しの隙間でも大海原になり、越えられない壁でもあります。自分自身の価値でその隙間を埋め込むという要求も逆にその空間を拡大してしまう効果もあり、何かのスタンダードがあるという妄想も社会によって構築された障碍を生み出してしまいます。他者の目を通してみるという想像力が足りなければ、障壁が自然に形成されます。   一方、このズレは創造力と可能性の空間でもあるので慌てて埋めようとする必要がないのですが、ギャップの存在自体を認識し、その間に衝突とシンクロニシティのねじれた線を織り込むことが重要です。親近感とウンハイムリッヒ(不気味さ)の間で振動することで個人として新しい基盤、新しい居住環境がみつけられます。知らないものを遭遇すること、今まで見えていない観点を垣間見ること、植民地化して、消費するのではなく、尊重し観察し、対話すれば異物と自分の摩擦は知恵とラーニングの会得につながるでしょう。   差異があることによって私たちのそれぞれの存在が可能になります。「その間にある空間」によって私たちが作りあげられ、形になるのですが、その空間が測られたり、カテゴリー化されたり、その任意の価値によって私たちにラベルをはられることもあります。人それぞれの異なるニーズもあるし、それぞれの関心とスキルが無数の道として広がっているのに、社会的構造はこのみちを無理やり狭い回路に収束させようとしています。結果として多くの人が何かの壁を感じています。しかしそれは私たちの中の限界ではなく、私たち周りの世界の制限です。   Being(Between) Being(Between) はさまざまな異なる背景や経験を持つ方との支え合いのネットワークであり、信頼性、リスペクト、コミュニケーション、個人のニーズと、それぞれの異なる事情を認めることを通して私たちの間にある空間を渡れる繋がりを育み、私たちのありのままで居られる、これからなりたい自分への道に踏み出す勇気を一緒に作り出します。   日本語で言えば「ケア」は福祉、支援を提供する側、支援を受ける側をはっきりわけて、何かの上下関係を提唱する言葉になっていますが、それよりもより幅広い意味があります。何かに関心を持つこと、何かに不安を持つこと、何か気になることという意味もあります。誰でもケアが必要で、人生はサポートを受けながら知らないことに向き合うことと言えるのでしょう。   感情労働においてケアは歴史的に性別分業されて、「家庭」という領域に置かれて、無償であまり価値を持つ労働とされてこなかったのですが、現在はますますビジネスとして民間化され、アウトソースされているものになっています。しかしケアが規制されることで、根本的に重荷や「非生産性」としてケアを認識している実用主義によって決められている分類化の中でそれがさらに階層化され分離されます。   ケアがピンポイントされることとつれて隔絶されることも起こっています。例えば子ども、障碍を持つ方、高齢者、ある種のケアを必要としているグループが特定な場に割り当てられます。また難民、ホームレスである方、DVの被害者、ひきこもりの状況である方、NEET、移住労働者など(カテゴリー化してしまうこと自体もよろしくないのですが)、自分のニーズがマイノリティ性を持つとされている人は自分のニーズに対応してくれる、数が少ない場所を探すことで見えない存在であると感じさせられています。   私たちのそれぞれの居場所、心地よい場所、所属感がある場所、安全で避難できる場所を確保するのがとても大切だと同時に、私たちを固定させ、選別する構造から脱臼させることも重要です。それぞれの人を絡み合うケアと感心事の横断面を作りつつ、私たちのケアが相互接続し、お互いに切り離すことができない状況であること、またお互いの人生をより豊かにするためにどのようにともに「居られる」かということに対して意識を高めていきたいと思います。   ケアは一点で集まると他のところに届けないでしょう。ある場所があまりにも快適だと他の場所に行く特は不安になります。社会はあるグループのラベルをはることでそのグループのウェルフェアに対する責任を隔離し、個人の多様なニーズを上下関係になり、制限がある「枠」に当てはまれ、その結果としてケアの空間的な分節が起こります。   さまざまな点をつなげる行き来する線、ネットワークとしてBeing(Between)は単なるラベルや枠を超える、個人のエンパワーメントや自己決定の可能性を持つ支流を探りながら、コレクティブで相互的なケアを育みたいです。人間の条件である根本的な相互依存というレンズをとおして「自立」とは何かを見直して、私たちそれぞれ生きていきたい形をサポートしたいと思っています。   このように私たちの声のためのプラットフォームと回路をともに作り上げ、私たちの存在を表現していきます。創造力・想像力、クリエイティビティを自分内外の世界を反映する、もうひとつの可能性を想像する、今まで見えてこなかったことを可視化するエネルギーとして重視していきます。横断的なピアサポートによってそれぞれの表現の場、聞き合う場を少しずつ形にします。     有機的な横のつながりによるネットワークを促進することで個人の声のための舞台を増やし、地域の中でともに生けるための共有スペースを展開し、ケアする人のケアを含めて、個人のケアの可能性とニーズに対する意識を深めていきたいと思います。   経済的な再生産を中心として価値つける社会では「何かをやらないといけない」というプレッシャーが圧倒的ですが、Being(Between)は「何かをする」より「ありのままでいる」ことを重視したいのです。この枠その枠をチェックしなくてもいい、何かの固まった形にあてはめなくてもいい、あっちとこっちの間、その隙間で存在すること、being betweenのことを尊敬したいのです。他の人の期待を満ちなくても、自分の可能性を自分なりに実現し、いろいろな方向で交差しなから日々の生活を一緒に送ることがBeing(Between)の姿です。     Being(between) What is it that makes up the space between? It may seem like merely air but in fact the merest gap may be vast oceans or impenetrable walls. The demand to close that gap by our own value serves to widen it, and the delusion of a set standard serves to socially construct disability. When we lack imagination to see through someone else’s eyes barriers are naturally formed.   Yet gaps are also a space of creativity and possibility, we should not be in a rush to fill them in but to recognize they are there and spin a set of ever twisting lines of collision and synchronicity across these. In an oscillation between familiarity and the…

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[:ja]「滝山コミューン」とも、2月24日の公・差・転とも関係ないかもしれないけれど 僕は、1996年からの10年ばかり、T-theater という詩の朗読の舞台集団の代表をやっていたことがあります。 代表といっても、当時知り合ったパソコン通信(インターネットはまだなかった)で知り合った方たちと一緒に、「詩の朗読の舞台をやろう」と立ち上げた、言ってみれば素人の集まりです。 (ただし、失礼のないように書いておけば、趣旨に賛同して協力して下さったプロの方々も参加しています。) 歌詞や詩に救われて生きてきた僕は、詩の朗読だって素晴らしいエンタティメントだと思っていました。 だから、朗読の舞台集団を始めました。 そこで僕が言い続けたことがあります。 :一緒に何かをやり遂げた達成感とか、頑張ったという自己陶酔に陥らないでください。 :会場に足を運ばれてくるお客様にとっては、あなた方の一人ひとりが何をやりたくて表現を行っているのかが大切なのです。 :身勝手にやりたいことをやってください。 詳細は触れませんが、同じ時期に詩の朗読、もしくはポエトリー・リーディングを始めた方々があちこちでおられました。 t-theaterは、2000年代に入ってから解散しました。 すでに、「集団」など作らなくとも、自由に朗読・リーディング活動を出来る場が、あちこちにできていました。 t-theaterの解散と前後して、僕は単独の詩の朗読会を開催するようになりました。 音響・音楽・美術を揃えた舞台ではない、自分一人しかいない朗読に向かうようになりました。 概ね観客動員数の少ない会になりました。 それでも、お褒めの言葉もいただくことがありました。 そうした中で僕が何回か繰り返して語ってきたことがあります。 :もしも僕の言葉に心を動かされたのであれば、僕の言葉を肯定しないでください。 :いったい何に心を動かされたのかを考え始めてください。 :感動したからといって、誰かの言うことを無条件に受け入れてしまう。 :これほど怖ろしいことはないのですから。 これからも繰り返し続けると思います。 ところで、僕は子どもの頃から宮澤賢治の書く物語が好きでした。 とても神聖なものに感じていました。 妻と知り合った頃、妻が宮澤賢治を嫌いと知り、そうした考え方も理解するようにしました。 長く抵抗がありました。宮澤賢治はやはり、とても巧みな物語の書き手なのです。 やはり僕の好きな作家である山口泉が「宮澤賢治伝説」(河出書房新社)を出したのは2004年です。 初めて妻の覚えてきた違和感を受け止められた気がしました。 (錯覚かもしれません。) 何かを信奉せずに疑うことは大切であると同時に、いたずらに周囲の価値観の変遷の変化に追従してしまうことも恐ろしいことだと思います。 僕が子どもの頃には、絵本の結末に「ぶんどりひん」という言葉が使われていたのを思い出したのは、「世の途中からかくされていること」(木下直之、晶文社)を読んだときのことでした。 「ももたろうは ぶんどりひんを もちかえりました」といった文言が、「めでたしめでたし」一杯の雰囲気でえがかれたりしていました。 こうした言葉を肯定的に使っていた価値観の時代がかつてはありました。 映画「拝啓天皇陛下様」には、侵略戦争が終わった後も「ぶんどること」を止められなかった愚かな臣民の姿が描かれています。 しかし、いつしか言葉は使われなくなり、そうした言葉を使う意識も忘れられていきました。 忘れ去ることで、「なかったこと」にできる状況が生じたのです。 「飛ぶ教室」、「滝山コミューン」の二冊に関する対話を聞きながら、僕が思い出していたのは「クオレ」(デ・アミーチス、複数の訳有り。)のことです。 僕が子どもの頃には、子どもへの啓蒙的な小説として数種の翻訳が出ていました。 後に、イタリアのファシズムを誘導した作品として分析された本です。 これは、いじめられっ子であった僕にとっては、ある意味、救いの一冊でした。 世の中に僕の実際の生活とはかけ離れたところで、「絶対の正義」みたいなものが存在していて、それと同化してしてしまえば自分は救済されるみたいな。 成長物語というのは、向上心のある子よりも、劣等感のある子にとっての救済の発想みたいだなと思っています。 「正しい/悪い」の価値観を確立し、自分が「正しい」側に身を置いていると思えれば、ある種の快楽が約束される。 先述の宮澤賢治の魔力にも通じるものがあります。 (一見求道的な「本当の幸せ」という言葉が、「本当」ではないものを選別することを前提としている怖ろしさ。) 塾教師という仕事柄、教え子といろいろなことを話すことがあります。 最近、「3年A組」というTVドラマが、彼らの心をひきつけていることに気がつきました。 学校を舞台にした作品です。 高校教師が、自分の担任している生徒たちを人質に取り、学校に立てこもるという設定です。 その中で、既に自死している一人の生徒に対して、「クラス」によって代表される社会がどれだけ「加害者」であったかが、浮き彫りにされていく展開となっています。 自分が加害者であることをまず自覚しろ。 そうしたドラマの内容が、とても複雑な思いの中で子どもらを捕えているのではないかなと思いました。 奥主榮 [:]

[:ja]『アウトプット②』 これで次に進める。  [:]

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