『苦しみ 2』


『苦しみ 2』
視力矯正の不具合を抱えていても、
苦しみを表現することはできる。

視力矯正の不具合による苦しみ、
ネガティヴな気持ちをさらけ出して文学作品に結実させれば、
素晴らしいものができるかもしれない。

けれど、
僕には、
文学作品を産み出したいというモチベーションが余りない。

いや、
視力矯正の不具合が改善して落ち着いて生活をしたり読み書きができれば、
文学作品を産み出したいという欲求も高まるかもしれない。

けれど今は、
視力矯正の不具合による苦しみを表現することよりも、
視力矯正の不具合による苦しみや
ネガティヴな気持ちをさらけ出して文学作品に結実させるよりも、
視力矯正の不具合を改善したい。
視力矯正の不具合を改善するための然るべき行動が取れるようになりたい。
視力矯正の不具合を改善するための然るべき行動が取れるようになるための知恵を身につけたい。
視力矯正の不具合を改善するための然るべき行動が取れるようになるための知恵を身につけるために、
本をたくさん読み、
セミナーやワークショップに参加し、
新しい知識を身につけたり情報を入手したい。
そのためには視力矯正の不具合を改善しなければならない…。

しかし、
この負のサイクルに対する認識はどこか間違っている気がする。
もっと、力を抜こう…。

今の自分を動かすためには、
僕が、
「この人は日本一高い志や問題意識を持った人だ」
と、心の底から思える人に出会って触発しなければ、
僕は自分自身を動かすことができない、
そういう人に出会えれば、
きっと然るべき行動が取れるようになれるだろうというのが、
最初の直感だった。

でも、
もしかしたら力が入り過ぎているのかもしれない、
色々な人のアドバイスを、
素直に受け取れていない自分がいるのではないかという想いもよぎり続けている。

これが長いトンネルだろうか。

「トンネルを抜けると 次のトンネルの入口で」
と、
『天頂バス』で歌うミスチルの歌が頭に響き、残る。

直感と論理、
どちらが正解か分からない。

といっても僕は、
直感に従って思いっきり前に進んだとは言い切れない。

直感に従って思いっきり前に進むためにも自分を触発してくれる何かを必要としてしまっている。

このような思考がグルグルと回る。
でも、直感に従って思いっきり突き抜けることができたら、
どんなに気持ち良かったか。

突き抜けたい。

これも、最近の、
いや、だいぶ前からの口癖だ…

…。

ここまで書いて自分の思考と文章を省みて読み直す。

文学作品としての価値があるだろうか、
よく分からない。

別に文学的価値なんてなくたって構わない。

ただ、今の自分を遺したいと思ったのは確かだ。

次へ行きたい。