[:ja]Language Beyond #4 レポート
野田光太郎
私にとってブッククラブは、消えかけていた文学への関心をかき立ててくれる貴重な場である。やはりこの世には文学でしか描けないものがあるのだ、と参加するたびに気づかされる。この日は期せずして、植民地支配の問題をテーマにした小説が二本そろって取り上げられた。特にケニアの先住民解放闘争を背景とするグギ・ワ・ジオンゴ『泣くな、わが子よ』に関しては、ギニアとナイジェリアからの参加者があり、身近で語り継がれてきた植民地支配の過酷さについて生々しい話を聞かせてくれた。そのため、この日の会はどことなく緊張感をはらんで始まった。
政治的あるいは社会的なテーマを強く感じさせる作品についておしゃべりをする場合、ややもすると自分の政治的な意見を表明することが中心になってしまいがちだが、小説の内容に立ち戻るよう意識的に心がける人がいたおかげで、小説の細部や書き手の背景へと改めて思いをめぐらせて、かえって社会的な認識を深めることができたように思う。たとえば『泣くな、わが子よ』では、キリスト教とアフリカ先住民の宗教の関係など、一人で読んでいるだけではなかなか考えが及ばないテーマについて意見交換することができた。
沖縄を舞台とした大城立裕『カクテル・パーティー』は、大城の他の作品や、戯曲版をも読み込んできた方々がいて、テキストを提案したわたしのほうが感心してしまった。後半から主人公が「おまえ」と呼ばれることで、語り手の視点が変化し、物事の見え方までが反転する、という手法面に関心が集まった。そこから主人公の娘の描かれ方など戯曲版との比較、さらには米軍基地労働者による反基地闘争の歴史を紹介したテレビドキュメンタリーなど、作品外の現実にも話題が及んだ。
参加者の皆さんの鋭い洞察力と、それを的確に表現する言語能力、誰もが議論に加われるよう話の流れを整えるバランス感覚、興味・関心の広さなど、文学への熱意に触れ、作品への思いを共有できて、非常に楽しい時間を過ごせた。テキストを読んできていない人も、スマートフォンですばやく情報を取り出しながら話に参加したり、他の作品から話題を提供したり、形にとらわれないこのブッククラブの面白みが感じられた。
わたし自身は、つい時を忘れて自説を語りすぎてしまったが(まぁ、ええカッコをしたかったということですな)、もっとさまざまな立場からの意見を出してもらうよう心がければ良かったかなと思う。イギリスとケニアのような旧宗主国と植民地の関係は、それを通じて価値観が互いに浸透していくような逆説めいた面もあり、突き詰めれば沖縄と日本の関係にも相通じるわけで、じっさい小説の中ではそういったコンプレックス——対象への嫌悪と憧れと恐れが切り離せないような形で入り混じった感情——がテーマの一つにもなっている。特に『泣くな、わが子よ』の前半では、幼年期の叙情性と素朴な大家族の共同性、それらを必然的に破壊していく白人「文明」の拡大と、しかしそれにどうしようもなく引きつけられていく主人公という、外部からでは容易に飲み込めない構図を提示している。
このように心のシリアスな部分を深くえぐり出している今回の文学作品を通じて、社会のありようによってどうしようもなく左右されてしまう個人の、それでも尊厳を求めてあがく姿への強い関心を共有できた気がする。