Language Beyond #5のレポート 2018年8月11日

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今回のブッククラブは、「怒り」についての話題から始まりました。最近、某国会議員に対する抗議デモに参加したAさんは、デモの熱が高まるにつれ、自身の「怒り」の対象が当人の行為から当人の存在そのものへとうつっていくことに、ある種のこわさ−−自分自身がコントロールしているはずの「怒り」という感情の向く先がぼやけてわからなくなるこわさ−−を感じたといいます。

今回、私はソル・フアナという作家を選びました。冒頭の話と結びつけて考えるならば、フアナは自分自身の「怒り」という感情を、かなり率直なかたちで表現した作家だと言えます。「怒り」という感情を持つとき、その感情の実体について無反省でいるのは危険です。ただ、それ以前に、フアナという作家にとっては、感情の存在そのものの方が重要だった。自分の中にある感情の実体を、すみずみまで把握するよりも早く、その感情の存在を、ただみとめること。フアナのテクストからは、そのことの重視が強く感じられます。それは、自分が自分の感情を抑圧してしまい、なかったことにしてしまうことに対する、おそろしさのあらわれであったかもしれません。
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何の縁もなかったソル・フアナという作家、あるいは手紙という形式を選んだ理由のひとつに、「個人的な物語を語ること」への興味がありました。旧くからある日記や手紙の他に、最近はZINEやSNS等による方法もあります。たとえばZINEは、気軽な個人出版の形態として広まるにあたり、「個人的なことは政治的なこと」というフェミニズムのスローガンと呼応していました。それもあり、ZINEにおけるテクストは、社会的な自己ではなく、個人的な自己を始点として書かれることに主眼が置かれています。今回は、そうしたテクストが個人を始点としながらより大きな問題へとつながっていくことの可能性について、ブッククラブのみなさんと考えてみたい、という意図もありました。

ただ、みなさんの色々な意見を聞く中で、それは個人の感情をなかったことにしてしまわないという意味で−−「あなたはそこにいていいんだよ」というメッセージを読み手にうけわたす役割で−−重要なのだと気づきました。小さな問題が、より大きな問題−−たとえば沢山の人間に共通するような普遍の問題へとつながっていくか否か、という問いもありますが、それよりもただ単純に、私たちは個人的なものを始点にしてもいいのだ、と・・・。私たちには、そこから話をはじめる権利がある、と。それを知っているだけで、どんなに勇気が出るだろう、と思うのです。シンプルですが、「個人的な物語を語ること」の要点はそこにあるのかもしれない、と思います。

ひとりひとりのうちにある物語は、断片的な論理の中で書かれる、かよわいものかもしれません。それに、脈絡がなかったり、いったりきたりの話になってしまうかもしれませんね(フアナが、自分の詩は万全の状態で書かれたものではないのだといいわけしていたのを、なんとなく連想します)。・・・だとしても、だとしても・・・三百年前にフアナの抱いた怒りや、「学びたい」という感情を、抑える権利は誰にもありません。もちろん、フアナ自身もそれを抑える気はありません。・・・いきいきとした文章から、彼女の声が聞こえてくるようです。「ほら、私の情熱を見て。世界は広い」と。

藤田