Language Beyond#1 レポート 2017年12月9日

Language Beyond#1 レポート 2017年12月9日

ブッククラブ「Language Beyond」第1回 レポート

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ブッククラブ「Language Beyond」の第1回は、12月9日(土)の16時30分から2時間にわたって行われました。今回は、11名の方が参加しました。

前回のオリエンテーションを兼ねた「ミーティング」(10月)では、このブッククラブの考え方や進め方を話し合ったのですが、そこで
・隔月(2ヶ月に1回)で開催する
・それぞれの回で2名の方に選書をお願いする
ということが決まりました。

ということで、さっそく今回選書を担当してくださったのは、JさんとNさん。選んでいただいた本はこの二冊でした。
・井上靖『天平の甍』(Jさん選)
・イェホシュア『エルサレムの秋』(Nさん選)

Language Beyond、スタートです。

……

初対面の方もいらっしゃいましたので、はじめに自己紹介を兼ねて近況(最近気になっていること、はまっていること、読んだ本など……)についてのおしゃべりから始めることにしました。ご自分の仕事、ブッククラブに興味をもった理由、最近はじめて挑戦したこと、読んでいる本、長年携わってきたこと、気をつけていること……様々なお話をきくことができました。参加されたみなさんの年齢層も(20代の方から50代くらいの方までだったでしょうか)幅があり、様々なバックボーンや興味、活動について知ることができたとおもいます。個人の伝手でブッククラブをするとなると、メンバーがどうしても同年代の人に偏りがちですが、今回のブッククラブはこの年齢層の多様さも一つの特徴で、「あなたの公-差-転」という場所ならではの場になったと感じました。

……

その後に、さっそく今回みんなで読んだ本をめぐるおしゃべりの時間に入りました。最初はJさんが選んだ井上靖の『天平の甍』を取り上げます。

Jさんは、井上靖のほかの本は特に読んではいないそうですが、この『天平の甍』を読んだ時に、文化を伝えることにかける人間の真剣さとか情熱といったところに深い感銘を受けたのだそうです。参加されたUさんによれば、ある年代までこの作品は教科書に掲載されたり、教師の推薦書であったそうで、かなり有名だということです。Eさんは、この本を英語版で読まれていました(英訳は東大出版会から出ていて、The Roof Tile of Tempyoという題です)。

当日話題に挙がったテーマの中で、個人的に面白く感じたのは以下の2つです。
★留学生であることについて
当日、たまたま留学経験のある人がメンバーの中に数名いらっしゃったので、留学生の物語としての『天平の甍』という話題がありました。当時の日本から唐にわたった留学生たちは、現代の留学生にも通じる留学生の典型的なタイプを表しているのではないか、という話でした。例えば放浪に出るタイプの留学生としての戒融、現地で結婚して落ち着いてしまうタイプとしての玄朗、ひたすら勉強に勤しむ業行、などのタイプです。こういう意味でも現代に通じる小説だったのか!という点は、この小説への視線を新鮮なものにしてくれました。この視点は、ただ面白いだけでなく、思いがけなく深いところにつながりました。留学生は、文化の狭間にいる存在です。留学先で、どのようにオリジナリティを獲得していくかという論点は、いまも昔も変わらない普遍的な問題だと思います。簡単に言えば、「日本人であることを捨て、唐の文化に没入する」か「必要以上に日本人であることで、唐文化のなかに日本人として存在を確立する」か。留学先と母国との距離感、バランスの問題です。ここでは、異文化コミュニケーションにおけるアイデンティティの確立が問われています。井上靖は昭和の人ですから、唐の時代のことを書きながら、こうした点で現代的な視座を提供しているのではなかったでしょうか。

★歴史小説の文体について
Iさんが問題提起されたのは、この小説の文体の奇妙さということでした。Iさんはヨーロッパ、ロシアの小説に造詣が深く、そうした地域の歴史小説と比較して、『天平の甍』の文体が継ぎはぎだらけのように感じ、違和感を覚えたそうです。この違和感はどこから出てくるのか? Nさんは、地の文が漢文調、会話文は和文と、違う文体が共存していることを指摘します。Uさんは、この小説の文体が「海外ドキュメンタリーみたいだ」とおっしゃっていました。つまり、ナレーションと、登場人物の台詞とで文体のレベルが異なるのですが、違うものが一つの場所に合わさっていることからくる違和感だったのかもしれません。

他にもいろいろな話題が出つつ、40分ほどお話ができたと思います。

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次に、『エルサレムの秋』に話題が移りました。これはイスラエルの作家アブラハム・イェホシュア(Abraham Yehoshua)の日本語で読める唯一の本です。選書してくださったNさんは大学でアラビア語を勉強されていたのですが、日本であまり知られていないイスラエルの小説を知ってもらいたいという理由から今回この本を選んでくれました。また、訳者の母袋夏生(もたいなつう)さんの文体(漢字とかなの選択など)が好きなのだそうです。トランプの「エルサレムはイスラエルの首都」宣言がこのクラブの数日前にニュースになり、奇しくもアクチュアルな読書となったようです。

当日出た話題から、興味深かった論点を2つほど紹介します。

★物語の「うすさ」
例えばUさんが指摘されていましたが、『天平の甍』と同時に読んだおかげで、「エルサレムの秋」の「うすい」感じが浮き彫りになったようです。この「うすさ」とは、どういうことでしょうか。
まず一つ、見た目の問題として、行間が広く、スカスカな印象を受けることがあります(Nさん)。体言止めが多用され、結果として歯切れのよい、読みやすい文章になっている。吉本ばななの文章を想い出すという感想もありました(Jさん)。淡々と日常を描きながら、しかしそこでは何かが起こっている、という点です。
二つ目に、主人公の「うすさ」が挙げられました。主人公はあらゆることに客観的で、あらゆることから距離があるようだ(Iさん)。子どもが家に来ても、友人とあっても、自分のことばかりで、真剣に人に向き合おうとしていないのではないか。「研究者」タイプの人の「浮き方」(Kさん)。地元で浮いてしまうこと。「まだ結婚しないの、子どもいないの」とか(Mさん)。「Three Days AND a Child」という原題が、主人公のこの距離間をうまく表している気がしたという感想もありました(Kさん)。withでなく、andであり、「3日間」と「子ども」、まるで物体が二つ並べられているようです。
三つ目として、「うすさ」とはちょっと違うのかもしれませんが、シンボルの街としてのエルサレム(90ページ)という舞台設定にも関係が深いかもしれません。Nさんによると、エルサレムは、歴史地区である旧市街と、イスラエルが建設した新市街とに別れていて、このお話は新市街を舞台にしているそうです。エルサレムのどこか現実離れした感じ。日常のすぐ隣に踏み越えられない境界線がある。あらゆる現実の挙措がメタファーになってしまう特殊な街、エルサレム。そこでは現実の感覚はある意味「うすく」、すぐに突き破って、歴史の層に沈潜してしまう……そんな感覚がありました。またEさんが、この物語はメタファー(暗喩)に満ちている、アレゴリーの物語ではないかと指摘されていました。聖書(ヤギ、3日間、創世記、アブラハム)を想起させるエピソードが随所にあること、また動物の名をもつ登場人物たちが登場することからです。

★子どもを愛しているのか、愛していないのか
原題が「Three Days AND a Child」であり、withでないことについては、上で書きましたが、この題に特徴的に現れているのは、子どもの「異物」感ではないでしょうか。預けられる子どもは、主人公の男の部屋に突然侵入してきた他所者として描かれているようです。動物園で子どもを遊ばせる(放っておく?)シーンでは、子どもが塀から落ちて死ぬところを想像しさえします。
子どもの異物感。子どもへの殺意。Jさんは知人から聞いたことのある、ある言葉を想い出しました。その知人の方が子育てをしているときに、Jさんが「子どもってかわいいよねえ」と話しかけたところ、知人の方は「う~んかわいいだけではないね、時々殺してやりたいと思うこともある」と答え、Jさんはびっくりしてしまったそうです。
主人公は子どもを「それでもやっぱり愛している」のか「まったくの無感動」なのか。主人公は自分がやりたいことしかやっていないようにも見える。毒蛇を持った友人に対する態度もひどい。Jさんは「それでもやっぱり愛している」のではないかと言います。逆にIさんは人間としての感情を持っているとは思えない、と反応します。
さて、とはいえこのブッククラブは正解を求めることが目的ではありません。この議論を通して、なるほど捉え方ひとつでこうも違うものか、という点を知り、それぞれが自分の見方についてもう一度考える機会を持つことができたのではないか……とおもいました。

本が品切れ状態でもあり、またamazonの中古本在庫も値段が高騰してしまった(このブッククラブのせいでしょうか……)ために、本を入手することができない人もいましたが、そうした方も、実は会話を深めることに一役買ってくれていました。というのは、本を読まれていない方に対して、読み終わった人が説明しながらクラブを進めていくことで理解を深めることができますし、本を読まれていない方の質問は、テクストに対して少し距離がある抽象的なものであったり、そもそもの前提を問うものであったりするからです。こうした存在もブッククラブにとっては大変ありがたく、貴重なのだ、と気づけたことは面白かったです。

また、ブッククラブの終了後に、参加者の一人から以下のコメントがありました:

「このようにきちんとした読書会は初めてです。

2冊を読むこと、その選択等も工夫され、参加される方のバリエーションも広く、素晴らしいと思いました。
あと、その場で言い忘れた(すぐ思い出して言えば良かったと後悔した)ことなのですが、「エルサレムの秋」が書かれたのは、1970年だということでした。
この時期は、第3次中東戦争の直後です。
この戦争は、イスラエルの歴史的完勝ですが、実態は国連が定めたアラブ地帯を不法占拠したのです。
この占拠は、今も継続しています。
また、占拠地には東エルサレムも入っています。
イスラエルは完勝に浮かれていた時期ですが、それに批判的な眼を持って、あのように力ないストーリーが書かれたように思えます。
精いっぱいの抵抗だったのではないかと思えます。 」
……

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2冊の本を比較しながら読むことができたことで、テクスト同士の予想できない出会いを生み、ブッククラブではそれが面白い効果を生んでいました。あえて共通点を探すとすれば、「学者・研究者」が主人公の「宗教」を背景にした物語というところでしょうか(Fさん)。
参加してくださったみなさんのおかげで、当日は時に深く、時に楽しく、時間をかけて話を膨らませることができたのではないかな、と感じました。今回とてもよかったと個人的に感じたことはこんなことです。

・一人ひとりがお互いの話にしっかりと耳を傾けていたこと。話を遮ったり、一人の人がしゃべり過ぎるようなことがなかったこと。(当たり前のように思われるかもしれませんが、これが結構難しいし、信頼の醸成という点で本質的なことだと思います)
・年齢層の多様さ。普段出会うことのない方々に会い、お互いの感じたことを交換できたこと。
・知識を補いあいながら、話を深めていくことができたこと。
そして何より、
・様々な人と同じ本を読み、会話をする楽しさを感じられたこと。

今回のブッククラブでは、年齢的な多様さに恵まれましたが、言語的な多様さがあっても、また別の意味で興味ふかいお話ができるのではないか、と思いました。

次回のブッククラブは、
◆2月4日(日)の16時30分から
開催予定です。
今回も2人の方に選書をお願いしています。続報をお待ちください。

じっくりお話しをするには10名ほどがちょうど良い人数なのかな、とも感じましたが、新規メンバーも大歓迎です。試しに参加してみるだけでも、ぜひお気軽にご参加ください。

(工藤杳)