[:ja]Language Beyond #7のレポート 2018年12月16日[:]

[:ja]Language Beyond #7のレポート 2018年12月16日[:]

[:ja]Language Beyond #7のレポート 2018年12月16日

今回読んだ本:

・レイ・ブラッドベリ『華氏451度』

・多和田葉子『地球にちりばめられて』

31410622467_0774336645_z

私にとってこのブッククラブは2回目で、すでに本を選ばせていただいてとても嬉しかったです。自分が読んで気に入った本について本格的に話し合う機会が意外と少ないからです。文学に近い分野で研究していますから本当にそれは不思議ですが、周りの人たちは大体自分のテーマに打ち込んでいて、誰かに勧められた本を読むまで手が回らないことが多いです。結局、本を読んで、アマゾンなどの口コミを覗いて意見交流の疑似体験のようなものをして、終わりということが多いですね。でも、同じ本を読んでいる人たちとリアルなコミュニケーションを取って、意見を話し合うということはなかなかない貴重な体験です。ですから、とてもありがたいですし、他の人の選んだ本も大事にだいじに読みたい気持ちになります。

 

私は多和田葉子の『地球にちりばめられて』という最近の本を選びました。日本が何らかの理由で消滅したという設定で、そのときに北欧で留学していた日本人女性Hirukoは難民の立場になる。法律で定期的に国から国へ移らなければならないことが決められていて、Hirukoは各国の言語を覚えるのが嫌になって、北欧の各国でなんとか通じる言語を自分で作る。そこから不思議なつながりでHirukoの周りに色々な人が集まり始める。言語学を専門とするデンマーク人の学生、女性として生きようとするインド人の青年など、本当に多彩な人たちが集まって、彼女の言語(日本語)を母語として話す人を探すために一緒に旅に出る。目標達成はともかく、この旅で得るものは予想よりずっと大きい。

 

この本には移民の問題、原発問題、日本の社会が秘める色々な問題、そして、私にとって特に歯ごたえのある言語問題など、たくさんの問題が取り上げられていますが、言葉遊びなどが多くて、その割には明るい本です。ブッククラブの皆さんもこの本を読んでくれて、以下のテーマを中心に話し合いました:

 

・この本では、母語の常識の外に出ることが様々なアングルから取り上げられています。なので、(主に)日本語の制限や時々その外に出る必要について話しました。例えば、英語やロシア語のような Good luck という一般的な表現がない日本語では、「頑張って」の使用頻度がとても高くなり、息苦しくなることがあります。その対策として、「お気楽に」など、もう少し相手に肩の力を抜かせる表現を積極的に使うことなど挙げられました。また、今の日本語と江戸時代の日本語がかなり違っていて、そのときの人も違っていたのではないかという指摘もありました。

・主人公は自分の国の消滅に対して素っ気なすぎるのではないか、という疑問もありました。この本では、日本の消滅はとても曖昧に描かれて、むしろ象徴的な存在になっています。主人公もあまり詳細(親戚がどうなったかなど)について興味を持たないようです。転々と国を変えると、母国に対しても素っ気ない感覚になってしまうのではないでしょうか。確かに愛国の概念が薄い未来を描いている本ですが、それをポジティブにとらえるか、ネガティブにとられるかは、人によって違うようです。少なくとも考えさせられるのは確かです。

・日本を批判し、北欧を可愛がっている著者の立場についても話し合いました。多和田さんの国際作家なりの批判的な観点が確かに色々なところから見えてくる。原発を考えさせるところや北欧の方が気楽に生きれるという主張がたくさんあります。しかし、一方で、ヨーロッパの潜在的な問題(テロ、移民問題など)についても述べられていますから、極端な立場ではないことを、話し合いながら分かりました。

 

現代を生きる皆がよく直面する社会的な問題や言語の制限が取り上げられている作品で、話し合うのはとても楽しかったです。続きを唆すインタビューも出ているので、もし続きが出たら、またこのブッククラブで話し合いたいな~と思いました。

lb

さて、今回の二冊目の本はブラッドベリの『華氏451度』という有名な本でした。時代背景がかなり違います(1953年 vs 2018年)が、多和田さんの本と同様に、未来の世界を描くファンタジーです。その世界の中では、人が何も考えたり悩んだりせずに幸せに生きられるように、本がほぼすべて禁止され、見つかったらファイアマンに燃やされます。その代わりに、お楽しみ番組いっぱいのテレビやラジオがどんどん発展していきます。考えることをやめた人々は自分たちが幸せだと思い込んでいるが、本当は幸せではなく、自殺未遂を起こすのも日常茶飯事です。そして、ある女性との出会いをきっかけに、その現状に気付くファイアマンの主人公がいます。(続きはスポイラーなので書きません)

 

これも色々な面から現代人にも十分に通じる作品で、話し合いがかなり盛り上がりました。話題に上ったものをいくつか挙げましょう:

 

・女性と男性の比率について。この作品では、主人公や教授や最後に出てくる老人たちなどを含め現状に気付いている人が主に男性であるのに対して、主人公の妻やその女性友達などはかなり馬鹿な存在、現状を見ようとしない存在として描かれます。一方で、主人公も女性との出会いをきっかけで現状に気付いたことも忘れてはいけないし、秘密で本を家で保存している人たちの中にも女性はいました。でも、確かに、まだフェミニズムやジェンダー研究が今ほど普及していなかった時代を感じるところがあります(ファイアマンにも女性がいなさそうで、今は差別として見られるかもしれません)。作家の無意識的(または意識的?)女性観が現れているのかもしれないし、男性の作家はどうしても男性を主人公として取り上げやすいという傾向も現れているのではないでしょうか。

・この作品はテレビの悪影響を語る作品ですが、今の時代だとむしろインターネットの方が危険に感じる人が多いです。ブラッドベリも今の時代に生きるなら、依存症になりやすく情報量もとても多いSNSを取り上げたのではないでしょうか。一方で、その対比項目として挙げられたのはきっと同じ本ではないでしょうか。本の価値はそのときでも今でも変わりません。このように「現代ブラッドベリ」を想像してみると、考える力を育てる本という媒体(文化)の良さが分かります。

・検閲問題についても話し合いました。検閲には良いことがないという人もいた一方で、ある程度の不自由があった方が作家はそのストレス発散を含めて陰で良い作品が書けるのではないかという人もいました。私の生まれたロシアでは、詩人は不幸な存在であるべきだ、という言われがあります。つまり、苦しみから様々な悩み、考え、そして、人生の意味を探そうとする努力が始まり、結果的には苦しみがいい作品を生むというのです。それも極端な意見ですが、やはり問題性があってはじめて作品が成り立つため、周りに問題がないと作家も熱意を入れて書くことは難しいかもしれないですね。ただ、作家体質の人なら、自分の内面など、どこにも問題性を見出せるのではないでしょうか。それで、わざわざ外から苦しみを加えなくてもいいのではありませんか。本当に難しい、多面的な問題です。

 

このように、二冊ともについてとても充実した話し合いができて、嬉しかったです。色々な意見が受け入れられる堅苦しくないブッククラブの存在は、文学にとっても喜ばしいものだと思います。また、最初の自己紹介もとても貴重な場だと思いました。最近気になったこと、昔の出来事、自分の詩など、話す内容は具体的に決められていないからこそ、その人その人の個性がよく見えます。そして、このようによく知らない人同士で個人的な話をし合うことは、親しい友人の輪ではできない大事な心の体験になっている気がします。文学に対する色々な意見だけではなく、色々な人の色々な事情を受け入れる練習(実践?)の場として、これからも長く活躍してほしいと思います。

Language Beyond

マリア

 [:]