[:ja]居場所[:]

[:ja]居場所[:]

[:ja]居場所というのは、社会の大河の流れに棹を差す小船のようなものである。 流れ着く人が体を乾かし、また泳ぎ去っていく。 そのうちの幾人かが、船の乗り組み員を買って出る。 そうして、船は流れに反してその場にとどまったり、時には航行してほうぼうを回ったりする。 感傷的なたとえはこのくらいにして、今回は実務面からこの「船」を見てみよう。 「船」の運営にはスタッフ(乗り組み員)が必要だ。船長はいる場合もいない場合もある。船長がいない場合は合議制だろう。しかし船頭多くして船山に登るということわざもあるとおり、多すぎるのはよくない。かといって少なすぎるのも過重負担になるので、バランスが難しい。いずれにしても、乗り組み員全員が納得して運営の方向性を決めていくことが望ましい。 乗り組み員としてどのような人を迎え入れるのかは悩ましい問題だ。 乗り組み員を希望する人はひとりひとりスキルとエネルギー(情熱)を持っている。持っていない人を乗り組み員として受け入れてはいけない。このエネルギーをどういう方向にもっていくかで、社会を動かす運動にもなるし、内紛や場合によっては分裂の危機をもたらすこともある。乗り組み員と信頼関係を築き、そのエネルギーの方向性を見極めて、うまく活かすことができるかが、船の発展を決める。 また人によっては最初から他人を傷つけるのが目的だったり、船を乗っ取ることが目的だったりして、そうした目的を隠して入ってこようとすることもある。そうした背後の目的がわかったときに、その人をどう処遇するかも決めておかなければならない。 乗り組み員として受け入れることを決めたら、船の意思決定に参加してもらい、一人の仲間として対等に接し、そうして任せられるところから任せていくこと。そのうちに乗り組み員としての自覚が生まれ、主体的に参画していくようになる。 さらに、乗り組み員はいつまでも船にとどまるわけではない。当初の目的が達成されたり、本人と船の方向性が違っていたり、環境の変化だったり、仲たがいだったり、あるいは不幸な事故だったり、さまざまな理由で船から離れていく。そのときに理由をつけて先延ばしにしたり、じゃけんにしたりすると感情的なしこりが残り、あとあとまで尾を引くこともあるので、「来るものは拒まず去る者は追わず」といった境地でいることが大事である。 「船」の大きさが小さい場合、一人でもトラブルの種をかかえこんでいると容易に崩壊する危険性がある。[:]