[:ja]「目の前で起きている抑圧に対処できない」[:]

[:ja]「目の前で起きている抑圧に対処できない」[:]

[:ja]7、8月、勉強会という名の話し合いを重ねる間にも、問題として指摘された「目の前で起きている抑圧に対処できない」ことが何回か起きました。

あなたの公差転には、様々な人が自由に出入りできるため、偏見や決めつけ、善意の差別、エイジズム・ルッキズム・セクシズム・レイシズム、性別二元論、異性愛主義、性別役割分業、家父長制や世間の主流の価値基準も持ち込まれます。私たちは、公差転が多様な人たちの居場所であることを願い、しかし誰も排除しないことを望んだため、抑圧した側ではなく、抑圧された側が退出するという矛盾が、今回またも発生しました。

抑圧する側を制止することができなければ、これからも同じことが繰り返し起きます。主催側は、ジェンダー格差や権力差のある双方の意見を同等に考えることはできません。私は主催側として、これから抑圧や暴力や差別を察知したとき、受け入れられない要求をされたとき、率直にやめてほしいと相手に伝え、相手にやめる様子がみられない場合、出て行くように伝えることを選択します。「私はいまこの場の安全が保てないと感じています。後日あなたの話を聴きますので、一旦退出していただけますか」と。

しかし、その場が安全になったとしても、その後、紛糾することには変わりないかもしれません。なぜなら自分の低い立場はよく見えるけど、特権はよく見えないからです。特権とは不都合なくあたりまえにできることです。言いたいことが言える、話を聞いてもらえる、部屋を借りられる、公的支援が受けられるなど。この社会では「男性」「日本人」という立場はとても大きな特権をもっています。

特権を批判されるとこう感じるかもしれません。
「差別(抑圧・ハラスメント)とは知らなかった」
「みんなの前で、突然批判されて驚いた。くやしい、恥ずかしい。悲しい。つらい」
「侮辱されて謝りたくないし学ぶ気にもなれない。みんなの前で批判したことを謝って欲しい」
「自分は特権を感じたことはない。逆に相手の方が特権を持っている」

現在、特権への批判を自分の存在への非難と感じ、自身を被害者と認識した相手との葛藤が続いています。しかしこの構造は、数年前にすでに起きていました。そのとき、考え方や対処の方針を合意していなかったことが、現在の状況に続いていると思います。相手の事情を考えて人権侵害を許容してしまう私たちが呼び込んだものです。ゆえに主催する者は変わらなければなりません。相手を変えることはできませんが、自分が変われば関係性は変えられます。

あなたの公差転は、様々な属性、背景、価値観の違いを持った方たちが、その違いをないことにせず、どのような関係性がつくれるか、試行錯誤しながら互いに学べる場所です。しかしその過程で、自分の価値観や態度が問われたり、意見が批判される場合があります。それは私も同様です。自分の当たり前が揺さぶられる不安を感じたり、自らを問い直すという苦い思いをしたり、居心地悪さを感じるかもしれません。

これまで公差転では、異なる価値観がぶつかったとき、それらを個別に話し合っても、みんなで聴き合う機会はほぼありませんでした。言いっぱなしになったり、別の話にたくさんの時間をとられたりで、互いの思いや考えを深く知り合うことができませんでした。これから「警察と収監」で起きたことについて、言葉として表れていない声も含めて、いろんな視点を深く聴き合う状況が必要ですが、8月末に勉強会を終えた後、その機会をつくることはまだできていません。

勉強会のあいだ、わたしは暴言を浴びたり、恐れたり、泣いたり、はらわた煮えくり返ったり、自分を振り返って苦々しい思いをかみしめながらも公差転にとどまり、お金を出し、労働をし、アサーティブに努めていて、我ながらアホかと思います。でもその泥沼のような対立と対話の先に、異なる属性をもちながら、互いの存在を尊重して意見を聴きあえる新たな関係性を作れる可能性があると考えています。しかし試行錯誤を経たうえでそれが叶わなかった場合は、私はしかるべき決断を下すつもりです。

あなたの公-差-転としてどうするかのステイトメントを作るには、まだ時間がかかりそうです。もうしばらくお待ちいただけるとありがたいです。
佐野[:]