僕は3ヶ月前までは数年間ほぼニートでした。
自分の家で今後の人生の方向性を考えてて、
でも見つからなくて苦しんでました。
ある時、知人に
「Y.Fさん、違うんだよ、自分の家で
頭かきむしって考えてたってダメだよ、
動いてるうちに人生の方向性が
見えて来るんだよ」
と、言われハッとしてその人に会いに行ったら
その人が一冊の本を貸してくれました。
その本の著者は産まれてすぐ難聴になり
言語障害になって40歳で難聴も言語障害も
良くなりましたが、それまで思ってたこととは
違って、みんなせっかく会話出来るのに
ぎまんしか言ってないことに気づいて、
舞台を立ち上げて舞台の脚本を書き
音楽療法士の育成をした人でした。
本を貸してくれた人は
「Y.Fさんは言語障害だからそれを生かしなさい」
と言ってくれて、その辺りから音楽療法士が
気になって、音楽療法士の資格を取れる学校を
探して説明会に行って、結局、金銭面や
その他の理由で入学は出来ませんでしたが、
並行して受けてた音楽療法がとても良くて
音楽療法士の先生もいい人でした。
僕は、思い切って音楽療法士の先生に
お手伝い出来ませんか?と聞いてみました。
先生の職場である病院の入院病棟での
音楽療法を見学させてもらえることになり、
凄く嬉しくなりました。
音楽療法で使えるようにギター教室の
無料体験レッスンに行きました。
蛇足なのですが、
今までなんでミュージシャンは安全な所から
愛の歌を歌って満足してるんだろうって
疑問でしたが、ギターを持つと愛の歌を
歌いたくなる現象が発覚しました(笑)。
前述の本にマザーテレサの逸話が載ってて
興味を持ち読んでみたら
文庫本一冊読み終わるまでに、20回以上
大泣きして、何回も自分で頭を叩きながら
泣きながら読むハメになりました(笑)。
本の最後に、マザーテレサの日本の修道院の
住所と電話番号が書いてあったので
本を読み終わって5分後に修道院に電話かけ、
話を聞きに行きたいとお願いしました。
シスターに色々話を聞き、僕がインドに
旅行した時、マザーハウスに行ったことや、
マザーテレサと僕が同じ誕生日って言ったら
喜んでくれて、マザーテレサのメダルを
ネックレスにしたのを頂きました。
その後、ナイチンゲールの伝記を読んだり
もう一度修道院へ行き、荒川の土手に住む
ホームレス40人への炊き出しボランティアに
参加しました。
一見綺麗な土手にけもの道があって
お弁当を持ってシスターの後をついていくと
ホームレスの人が作った家があり、それぞれ
色々な家がありました。例えば元一流料理人が
ホームレスになって友達と飲んでたり、
伝書鳩の小屋まであったり、
本当にボロボロの家も沢山ありました。
歩きながら修道院長が僕に各ホームレスの
裏話をしてくれました。
修道院に戻ると、コーヒーと甘い蒸しパンが
出され、やけに旨くて、後々僕は正しいことを
したと蒸しパンで確信しました(笑)。
あくまで、僕が見たホームレスの一部の
人たちはですが、今のサラリーマンよりよっぽど
心豊かな生活してると思いました。
音楽療法の見学に行きました。
音楽療法士の先生のお手伝いは、
既にベテランのボランティアスタッフがいて
無理でした。先生が病院の他のボランティアは
どうかと言ってくれて、言語障害があっても
大丈夫みたいなので、音楽療法に
たずさわれないのは残念でしたが
自分がやりたい分野だし、
後は自分次第で変わっていくので、
病院でのボランティアを始めました。
そして前々から気になってた公差転に
足を運んで今に至ります。
この3ヶ月間に得た人との繋がりは
自分の財産になりました。
最後に
僕が違和感を感じている嫌なこと
「平和ボケ」してる世界
僕の中での定義は
生きる、死ぬが曖昧になってる日本
愛と言う言葉が安易に使われている世界
僕の東北に住んでいる親友が前に
もう一度東日本大震災起きたら
みんなまた気付くのにって
言ってたのが印象的だけど
それでもまたみんな
平和ボケするんだと思う
マザーテレサの言葉で
「愛の反対は無関心である」
ってあるけど
僕もそうだし、周りもそうだし、日本もそう
日本のマザーテレサの修道院のシスターは
本気でイエスを愛してるし
病院ではもっと生きたいって人が死んでいく
マザーテレサの言葉で僕が大好きな言葉の一つに
「人間の価値は何をしたかではなく
どれだけ愛を持って物事を成したかである」
ってあるけど僕もそれを価値観にしたい
小さい頃
愛って物凄いものなんだと思っていたが
いつの間にか薄い愛ばかりしか見えなくて
感覚がマヒしてたけど
マザーテレサの本を読んで
あ、これが自分が小さい頃思ってたやつだ
と発見して
じゃあ、この世界に生きなきゃ嘘だと思った
僕も「平和ボケ」の世界から抜け出して
真剣勝負の絶対感のある世界に身を置きたい
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