Monthly Archives: June 2020

[:ja]作:カンダタ[:]

[:ja]作、カンダタ 心の尺度は その時によって恥ずかしいほど変わります。 その日の始まりは優しい光りに満ちていました。 今日はいきょんとデート、デートと言っても僕といきょんは十年くらい友情で結ばれている仲、彼女のことはよく知っている。辛いこともいっぱいある、かなり問題がある困ったちゃんだけどほっとけない、今日はそんないきょんを誘ってたまには吉祥寺井の頭公園でぶらぶら散歩して美味いものでも食おうぜ、の誘いで始まった一日のことです。 約束は12時、一時間前に僕は発車前の電車に乗った。 停車中の電車で騒がしくバタバタ走り鬼ごっこをする子供、 おいおいそんなに走り回って転んで怪我するなよ、 停車中の車内は昼の陽射しが車窓から差し込み気持ちいい、いきょん痩せちゃったから今日は美味い店連れていこう、 ここで気付いた、今日はいつもと違うなんだか優しい気持ちになっている自分がいる、 電車の車内には倖田來未のポスター、普段好きでも嫌いでもない彼女の写真を見て、 意外と愛嬌ある顔しているんだな、 かわいいじゃん……なんか今日の俺、優しい! 皆がこんな気持ちなら世界中に争いなんて起きないのに、 おいらの優しい気持ち皆に届けたい、 いつしか電車も動き出し吉祥寺駅に着いたのは約束の十五分前。まだ流石にいきょんは来ていない。 今日はどんなコースたどるかな、池でボート乗って古着屋みて名物の焼鳥いせや食べて… そうこうしているうちに12時、 後発の電車が停まり人々が押し寄せてくる、満面のスマイルで迎えてあげるつもりだ ……12時15分、なんだ遅刻か、しょうがないな電話かけてみるか、繋がらない、電車乗っていて出れないのかな?よし来たら (遅いぞ、ぷんぷん)と拗ねた真似でふざけて笑わしてやろう ……12時30分、おいおい随分遅いなぁメール位くれてもいいのにな喫茶店で待つこともできないしな ……1時。携帯に連続して連絡入れるが繋がらない …1時15分やっと繋がる (す〜ごめん目覚まし時計止めてねちゃっていたの〜) ヒクヒク顔面が引き攣る俺 (でもね〜今から出掛けたら2時にはつくから、ごめんね〜) はよ、こいや、 駅前を小学生が鬼ごっこして走り回っている (バタバタ走り回ってうるせぇな) ……2時まだこない ……2時15分 ………ブツブツブツブツ ……2時30分駅前をパチンコの宣伝カーが通り大音響で倖田來未の曲が流れる (うっせ!うっせ!うっせーよっっ!!) ……3時。呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪 ……3時15分いきょんあらわれ(す〜ごめん二度寝しちゃった〜) 飛び掛かりいきょんの首を絞める俺、 まちゆく人が振り向く………心の尺度はその時で恥ずかしいほど変わるものです………… 、[:]

[:ja]Language Beyondオンライン読書会 方丈記 2020年5月24日(日曜日)16:30〜18:50 参加者:15名 (当日の流れ) 初めての参加者が複数名いらっしゃったこともあり、読書会は自己紹介(名前やコロナウイルス状況下で気になっていること等)から始まった。その後は「方丈記」の感想を五分程度の休憩も挟みつつ自由に話し合い、全員からのフィードバックという形で締めくくった。 (方丈記について、参加者の方々の感想) ・前半と後半で、災害のルポルタージュから文学へと変化している等、作品のスタイルに変化がある。震災やコロナ等、現代の日本もまさに無常を体験している。(Tさん) ・作品として、構成が非常にロジカルである。はかなさを表す水の泡の話に始まり、事実を並べ、そのなかで自分の選択(隠遁)を描いている。現代とも共通点がある本だ。(Uさん) ・山奥に一人で暮らせることを羨ましく思った。独りでずっといると寂しいので、他人との関わりはあったほうがいいと感じた。(Sさん) ・(鴨長明が隠遁していたことを受けて)一人は独りと一緒ではない。独り=孤立、一人=ひとりでも大丈夫、という違いがあると思う。イベントの最後に、個々の参加者の感想が聞けるとよかった。(Yさん) ・現代と鴨長明の時代と大きく違う点は、現代人は、無常観は感じていない点ではないか。改めて、本書を最後まで読んでみようと思った。(Iさん) ・コロナもそうだが、鴨長明のように独りになると、個人個人が大切なものを見つめ直し始めるように思う。しかし、鴨長明の無常観は大災害に対するもので、社会に対するそれと一概には議論できない面もある。(Kさん) ・コロナウイルスの現状について、ニヒリズムのような感覚を抱いている。その一方で、アクションを起こす、声を出していく必要性も最近感じている。(Iさん) ・飢饉の中、仏具を焚きつけにして売っている人たちをあさましいと呼ぶ描写があるが、はたしてその渦中にいる人たちにそういうことを考えられただろうか。作品が書かれた時代にあって、鴨長明もまた衰退していく貴族側の人間だったのではないか。この人が描いた歴史の向こう側にリアルなまた別の歴史があるはずだ。(Nさん) ・言いたいことは言える世の中であってほしい。鴨長明にとって、この作品は当初の予定とはまた違った書き上がりになったのではないか。(Fさん) ・鴨長明がこの時代にこういう思想のものを書いた点に感心した。本人の晩年にこれを書いたことも着目する必要がある。最後に(南無阿弥陀仏を唱えてやめたというところで)彼の人間くさい部分が垣間見えて面白かった(=鴨長明は実は悟っていない)。(Iさん) ・今回のコロナは人災か天災か、鴨長明が見た災害は人災か天災か、という点も考えてみたいと思った。(Tさん) (運営として感じた、オンライン開催のメリット・デメリット) オンライン開催をして良かったこと ・遠方の人も参加することができた。 ・同時に複数の人が話せないため、一人一人の話が傾聴されていた。これは参加されたみなさんの協力のおかげが大きいです。 オンライン開催で留意すべきと感じたこと ・どうしても1対1の対話の連続になってしまい、対面で起こるような偶発的な・同時多発的な対話が起こりにくい。 ・だからこそ、主催者が事前に問いかけや観点をできるだけ広く準備しておくこと、そしていつも以上に話の振り方に工夫することが必要と感じた。 ・今回の『方丈記』はボリュームもそう多くなく、通読した上で自分の中で考える余裕が参加者にあったため、どんな方向に話が向かっても参加者みんながそれなりに受け止めることができていた。大著よりは、短めの本がオンラインの場合向いている可能性はある。 ・沈黙を恐れないこと。どうしても対面よりも、沈黙が重い。しかし喋らない時間があってもよく、そこは最初に参加者どうしの確認があっても良いかもしれません。 ・休憩は大切。少なくとも1時間に1回は必要。オンラインは疲れやすいと感じた。 ・アプリによる参加方法について、より細やかな案内を送る必要がある。 (運営側からの感想) ・今回のブッククラブは、はじめてzoomを使ってオンラインで開催しました。オンラインでこのような会を運営すること自体初めてだったので最初はかなり緊張していましたが、結果としてはかなり深くまでしっかり話すことができたかな、と感じています。Language Beyondでは、「中心がない」ブッククラブということを大切にしてきましたので、その意味ではオンラインでのコミュニケーションにはまだまだ課題があると感じました。しかしオンラインならではのアドバンテージも大きく、こういう形も全然アリだと感じています。 最後に、今回初めてのオンライン開催のテーマが『方丈記』であったことはとても面白くて、私はzoomの会議画面を見ながら、参加者一人一人の「方丈」がここにあるのだな、と一人で興がっていました。ブッククラブの中でも、「一人であること」についての問いかけがありましたが、一人一人が自主隔離する中、一人でいる時間の意味を『方丈記』を通じて考えることができたという意味で、今だからこその有意義なブッククラブにすることができたのではないか、と思いました。(工藤) ・初めて企画に参加したが、たくさんの方に参加頂けて大変嬉しかった。反面、パソコンの操作が分からず参加できなかったという連絡も頂き、次回以降、企画者としてより細やかな説明が必要であると反省した。Zoomには参加者を少人数の小部屋に分ける機能があり、もう少し少人数で話したい時に有用かと思うが、参加者の方々のストレスになる可能性もあるので、検討が必要。「方丈記」については、ささやかなものに愛着を持った後にそれさえも否定する、という思想の過程に、幸せよりも清らかさが重要だと答えたジッドの「狭き門」を連想した。中世のステイホーム随筆は、タイムリーな選書でした(私のアパートは狭いです。さすがに方丈=四畳半よりは広いけれど・・・)。次回も楽しみにしています。(吉川)[:]

[:ja]「人間の最大の病いは孤独です」 8年間務めた会社を辞めて 生活保護で暮らしている。 しかし、この一年間でニートから 随分アクティブさを取り戻した。 病院でのボランティア (今は例のアレで休止)や 公差転での例のアレによるオンライン配信、 趣味でオカリナ始めて人に恵まれ 一か月半でライブハウスの ステージデビュー(今は例のアレで休止) などなど、サラリーマン時代より イキイキ出来て、やりがいのある環境に 身を置けた(リア充です、はい)。 ベーシックインカム (政府が全ての国民に対して最低限の 生活を送るのに必要とされている額の 現金を定期的に支給するという政策) は、もっとお金が欲しい人は働いて 働きたくない人は働かないで趣味や ボランティアなど自由に生活するのだが 生活保護を受けている僕は少し ベーシックインカムの状態に似ていると 思っていて、今後の人生、やりがいのある ことをして生きたいと思っていた。 この2.3日で5人に同じことを言われた。 「やりがいがある仕事したら?」 さすがにここまで言われると僕も考えた。 そして決めた。 生活保護を受けながらリハビリを兼ねて 僕がやりがいのあると思う所で 無理のない範囲で働きはじめる。 もちろん例のアレ(しつこい)で 仕事見つけるのは大変だと思う。 でも目標が決まったので、後は焦らず ゆっくりといい所を探そうと思う。 アドラー心理学に共同体感覚という物が あるが、今の時代に必要だと凄く感じる ・人と繋がること ・居場所があること ・自分を許すこと (自己受容)→(自己肯定感) ・できた!を増やすこと ・貢献すること、役に立つこと ・感謝すること、されること これを実践して生きたいし 自分の周りの人もそうであって欲しいし みんながそうであって欲しい[:]

[:ja]『旅立ち』 シガーロスの曲が流れる。 その世界に、 逃げ込みたくなる。 母に、 シガーロスの思い出を語ろうとする場面を思い浮かべようとするが、 踏み止まる。 昔話はもう終わりだ。 実家のある、 地域での思い出は寂しいものばかり。 まるで、 全て捨て去るためにあるかのよう… 捨て去るためのもののように。 あの暖かな世界を知るまでは、 知らなかった。 これまでの思い出は全て、 捨て去って良いものだと。 それに対して後ろめたさも大きな決意も必要ないんだと。 そこにはただ優しさしかない。 暖かさ、温もりしかない。 争いはあるかもしれない。 寂しい気持ちも訪れるかもしれない。 でも幸せだ。 生まれ育った町の、世界の、 その寂しさとは違う。 不本意だ。 居てはいけない。 旅立ちの時。 僕は人々と関わろうとしている。 ジッパーを下ろして開こうとしている。 おおっぴろげている。 暖かい。 この世界は美しいと、 素晴らしいと、 今なら本当に、 あの人たちのように歌える気がする。 言葉が欲しい。 音楽が聴きたい。 今は、 残されたものだけで、 この切なさを埋めようとしている。 それは、 寂しい。 寂しさの正体は分かっている。 これまで何度も問うてきた。 でも問いや分析なんてどうでもいい。 サーフボードを抱えて、 あの暑い陽射しの下で、 眉間にしわを寄せながら、 ムサムサと歩いている方がよっぽど良い。 でも、そこも良いけれど、 今、本当に向かいたい場所は、 そこではない。 旅立ちの時、 今は寂しさを感じる、だろう。 でもそれは思い込みに過ぎない。 (2020.05.12) [:]

[:ja]『卵料理好きが高じて』 卵料理好きが高じて。 始まりは何だったか、 もう、覚えていない。 昔から半熟の目玉焼きが好きだったのはよく覚えているものの、 無性に卵の半熟に取り憑かれたのは、 いつからだったか。 もちろん、 卵焼きもオムレツもスクランブルエッグも温泉卵も好きだ。 だけど、 あの、半熟の黄身を割った時、 したたり流れるドロドロが溜まらない。 白身と合わせて食べれば、 天国行き、 そしてどんな料理(メシ)にも合う。 ビーフシチュー、 生キャベツ、 春巻き、 ハンバーグ、 ギョーザ… 何にでも合う。 挙げたりない… しかし最近は、 半熟の目玉焼きでも黄身のドロドロ感が物足りなくなり、 生卵を割ってその中に生キャベツを入れて混ぜ、 そこに色々な料理を入れたりしながら楽しんでいる。 いろんなタレをつけつつ。 何でもかんでもぶっ込んで、 あらゆる味を混ぜ合わせ、 飽くなき飽くなき、 楽しく、辞めることが出来ず、 そして虚しい時間。 意味を求めたら終わりだ。 もっと恥ずかしいこと、 もっと人には言えないこと、 あえて言葉にする必要ないが、 言葉にしなければ、 共有できない。 鳳凰の卵、求めなくても、 今のまま、このまま、 無限の楽しみが広がっている。 カウンター席に腰掛けて、 天井を見上げる。 目を閉じれば、 無限の空が広がっている。 すぐにもあそこに戻っていける。。 卵好きが昂じて、 いつのまにか、 春巻きバリボリ、取り憑かれてる。 (2020.05.06) [:]

[:ja]『ロバーツ・コーヒー千歳烏山店にて』 苦しい。 この苦しみから逃れたいという気持ちを、 吐き出さずには居られなかった。 本当はポジティヴで、 建設的な考えが想いついたり、 成長につながるような行動をしたり、 それはつまり視力矯正の不具合の改善につながるような行動でもあり… ダメだ… また、何かが揺らいだ…。 この店は雰囲気といい、 音楽といい、 カウンター席の前の窓から見える 目の前のTSUTAYAの灯りと言い、 とても良い感じだ。 来て、良かった。 本当に、良かった。 コロナウィルスの騒ぎの影響で緊急事態宣言が出されたためスターバックスが休業中なこともあり、 こんな気分は、 久しぶりだ。 俺はこんな風にして、 日々の疲れを癒し、 未来について考えていたんだ。 次第に気持ちがポジティヴになってくる。 やはり、 カフェは、良い…。 カフェのカウンター席と、 カウンター席の前の窓から見える、 夜の街の灯りは良い。 他にもこんなカフェはあるだろうか…。 もっと高いフロアから、 夜空の街を見下ろしてみたい。。 ラスベガスにはそんな落ち着けるカフェはあるだろうか。 騒がし過ぎて安らげないだろうか。 まだ行ったことがない世界が本当にたくさんある。 ここで終わりたくない。 ……. 今日は本当に苦しかった。 本当にどうしようもなかった。 ぶちまけられないことは承知しつつ、 この、怒りや不満を誰かにぶちまけてやりたい気持ちだった。 ボブ・ディラン。 今日の朝、 zoomで参加したある対話会で、 俺はいつものように、 『サブタレニアン・ホームシックブルース』 でボブ・ディランがやっていたような、 言葉が書いてある白い紙を紙芝居のようにめくりながら、 こみあがり、 湧き上がり、 溢れてくる止めどない言葉を、 思いっ切り発散させてみたい。 そんな贅沢とワガママを、 自分にさせてあげたい。 それくらい、 良いだろう? 本音を言いたい。 本音を言いたい。 本音を言いたい。。。 でも本音が言えないのは分かってる。 それは、僕が選んだ状況でもあり、 人々が望んだ結果だ。 俺は人々に問いかける。 独走はしない。 独走は独裁。 人々を依存させてしまう。 …… 建設的な考えに戻ろう。 今日、余りの苦しさに、 とりあえず、もう、 いくつかの視力の問題に取り組んでいる機関に連絡をし、 一度、相談に伺うことを思いついた。 このままYouTubeで発信したり、 共同研究できる専門家を探し続けているだけでは、 悶々とした日々を送るだけで人生が終わってしまう。 それにとても耐えられなかった。 それ以上に不具合による頭痛や違和感を、 何とかしてやわらげたかった。 何とか、 したかった。 何とか、 して欲しかった。 もう、 歯を喰いしばり続けるのは限界なのかもしれない。 この世界はこんなに素敵な音楽で溢れているのに、 豊かなのに。 Help! 僕もそんな風に大声で叫びい気持ちがあった。 できそうにない、だからここに書いている。 止めどない想いをここに書き連ねるのは生産的ではないが、 Help! と叫ぶのは、 とてもクリエイティブだ。 僕はそう思う。。。 もう少し、 もう少しで力が抜けて、 風が吹く。 僕はついに、 解放される。 世界はこんなにも優しいから。 きっと誰かが、 優しい歌を歌ってくれるから…。 …… 本当は、 この視力矯正の不具合による苦しみを、 もっと繊細に、 丁寧に言葉で表現しなければいけないのに、 どうしても苦しくなってしまい、 それができない。 いつか、 ここから解放されて、 旅立つ日々が訪れたら、 このkosaten magazineの日々と産み出した言葉達は失敗だったと、 良い笑顔で、 本当に心の底から良い笑顔で、 笑える日がやってくるだろうか。 そこに近づいている気がする。。 僕の頭の中にはいつだって、 ジョイ・ディビジョンのセレモニーが流れている。 (2020.05.05) [:]

[:ja]『すべてが虚しい、このまま散ってしまいたい。』 すべてが虚しい、 このまま散ってしまいたい。 僕が一番、愚かだった。 愚かなのに歌さえ歌わなかった。 叫んでいる人と、 黙っている人との違いは、 どこにあるのだろうか? 叫んでいるか、 黙っているか、 歴史に残るか、 ひっそりと生きるか。 この心がもう、 寿命が来ている、 退屈な葛藤の中に、 もう気づき始めた、 何の意味もないことに、 自分の信じる道を歩んで良いことに。 すべてが虚しい、 このまま新しい世界にいきたい。 僕はその新しい世界を知っている。 現実に、知っている。 いつでもそこに行けるのに、 僕は足を踏み入れない。 ただ、見送っている。 いつでもそこに行けるのに、 誰かに背中を押して欲しいと願っている。 そこは天国というよりは、 始まりの街。 まだ僕が歩んでいないフィールド、 冒険の世界。 青い海と空の向こう。 眩しく、暖かい光が当たるストリート、 ビーチ。 素朴で、懐かしい、 映画に出てくるような家が並び、 行き過ぎる。 僕はこれからその風景に鮮明さを与えていくのか、 それとも、振り返らず、駆け抜けて行くのか。 (2020.04.15)[:]

[:ja]『最強のコーチと日本一のコーチ』 今のこの俺のコーチになれるコーチは、 最強のコーチだと思う。 今の俺が然るべき行動が取れるようになるためには、 俺が、日本一高い志や問題意識を持っていると感じるような知性のある人との出会いが必要だという、 直感がある。 俺のコーチになるやつも、 そんな高い志や問題意識を持てるだけの知性と実力がなければ務まらない。 いわば、 最強のコーチだと思う。 数年前、 俺にコーチングを教えてくれた師匠は、 日本一のコーチだった。 恐らく世の中には、 もっと知名度の高い、 実績のあるコーチがいるだろうが、 俺は俺の師匠が日本一だと勝手に思っている。 俺はそのコーチからビジネスコンサルティングも受けていて、 いよいよ独立しようかという話になったが、 視力矯正の不具合を抱えているため、 どうしてもビジネスの世界へは踏み出せなかった。 そして、ひきこもりの問題や、 視力矯正の不具合を抱える中で芽生えた問題意識を捨てきることができなかった。 俺はそのように師匠に伝え、 師匠の元を去った。 師匠の元を去ったその日だったか、 少し経った日に会った時だったか忘れたが、 コーチングとは別に、 ある貴重な、とても有難いお誘いを頂いたことがある。 けれど俺はその場では返事が出来ず、 師匠はもし俺がその気になったら連絡をくれと言っていたが、 俺は何年も連絡をせず、 1人で自分の道を切り開くための生活を始めた。 自分の道を切り開く、 というとカッコが良いが、 実際は、不思議な言い方かもしれないが、 とても不本意で、惨めな道だった。 話が逸れるので元に戻す。 この記事では主に俺の師匠について書きたい。 ただ、こうして何度も自分の人生を振り返っていると、 自分史というのを改めて、 今度はもっと丁寧に書いてみたいと思う。 ただ、自分史を勢いではなく、 丁寧に書こうと意識し出すと、 それを文学作品に結実させたいという衝動に駆られ、 かつ短く圧縮させて密度を濃くしようと思い出すと、 悔しいが、 どうしても村上春樹の『風の歌を聴け』 を意識してしまい、 どうも自分のオリジナルな道を切り開いていないようで少し嫌になる。 また話が逸れ出した。 俺のコーチはとにかく、 俺は日本一のコーチだと思っている。 視力矯正の不具合を改善するための然るべき行動が取れるように自分をサポートしてくれるコーチを探そうと思った時、 最初は確か、 師匠以外のコーチを探してみたが、 どうも上手く見つからないので師匠に連絡を取ろうとしたが、 師匠のメールアドレスは現在は使われていないらしく、 連絡を取ることができなかった。 師匠と付き合いのあった当時、 交流のあった人たちに片っ端から師匠のことを訪ねたが、 今、師匠がどこでどうしているか、 誰も知らなかった。 音信不通だった。 …僕は、 もしかしたら、 もうこの世にはいないのではないかとさえ思った。 師匠は余りにも天才肌だったから… それとも、 天才であるがゆえに凡人である僕らとは一切縁を切って、 どこかでその才能を発揮させているのかもしれないという想いもよぎる。 いずれにしても、 僕は師匠に会えないでいる。 そして僕は師匠に会いたいと思っている。 僕はその後、 現在までも、 然るべき行動が取れるように自分をサポートしてくれるコーチを探しているが、 新しいコーチに会うたびに師匠と比べてしまい、 物足りなさを感じてしまう。 それに、 僕自身がコーチングを学んでしまったこともあり、 相手がやろうとしていることが分かってしまうか、 想定内の対話が繰り広げられ、 新しい気づきや、 然るべき行動が取れるための何かが起こらず、 やはり、 物足りなさを感じてしまう。 時には怒りも感じさせる。 師匠が当時、俺に言ったことは本当だった。 まだコーチの世界については右も左も分からず、 コーチやカウンセラーといった人たちとも余り会っていなかった僕には全く見えていない世界が、 師匠には手に取るように見えていた、 のだと思う。 師匠の元を去ってから、 何十人かのコーチに会い、 若い世代の間で流行っているのか、 コーチングを身につけた若い世代達の雰囲気をみていると、当時、師匠が僕に言った言葉の真実が、 だんだん分かるようになってきて、 寂しさを感じるようになっている。 そして、あの時、師匠を信じて一歩踏み出せなかった自分を強く後悔している。 …… 先行く人がいないのは寂しい…。 (2020.04.14)[:]

[:ja]『揚げ物好きが高じて、今のところ』 揚げ物好きが高じて、 今のところ、 皮だけ揚げた春巻きも、 バリボリと食べるようになってきた。 しかも揚げる作業を、 母に頼んで… オニオンリングもハンバーガーショップで買うと高いので節約も兼ねて、 玉ねぎを揚げて、時々作るようになってきた。 揚げる作業を母に頼んで… 母は揚げる作業にも慣れてきたと言う。 僕も母から教わり、 揚げる作業を自分で行うことができれば、 千切りキャベツを更に細かく千切る作業に続いて、 朝に新しいリズムを産み出す、 新しい習慣になるかもしれない。 新しいリズムを産み出す、 新しい習慣。 素敵な言葉だ。 毎日こんな素敵な言葉に基づいた生活を送っていれば、 幸せにならないはずはずはない、 と思う。 でも、 素敵な言葉だけが並んでいる文章に、 物足りなさを感じる繊細さも身につけてしまったのでそこに安住はできない。 だから視力矯正の不具合という、 人生で抱えてしまったシンドイ悩みを言葉にして加えてみる。 このシンドさはなかなかオシャレな雑誌置き場や雑貨屋さんに並べるわけにはいかない。 このままマクロビ生活を、 セレブな生活を、南国生活を、 満喫するだけではまだ物足りない。 いやなんとなく、 視力矯正の不具合による苦しみも、 お肌の悩みや運動不足と同じように、 オシャレな雑誌置き場や雑貨屋さんに並べられそうな気がしてきた。 ヨガをやっているうちに、 素材にこだわった食事をしているうちに、 改善しそうな気がしてきた。 分からないものだ。 これも新しい夜明け、 新しいステージ。 いつのまにか、 峠を越えた? 長い夜の可能性。 非、生産的だと思っていた、 眠れぬ夜の、クリエイティヴィティー。 こんな夜を抜けた一行目から始まる、 小説を遺してみたいものです、 ヒャッホォォォォィィィィ。 (2020.04.12) [:]

[:ja]『まだまだHelp!にいたるまで』 なぜ寂しさが消えないのか。 完璧なはずだった。 ここで長い時間、 過ごしていれば良いはずだった。 でも違った。 僕は早く旅に出たかった。 留まっていたくなかったんだ。 早く出なければ手遅れになる。 午前と午後の境目。 今日も空港には人が行き交い、 飛行機は遠くへ飛んでいる。 僕もそこに行きたかった。 そこに行きたいだけだった。 こんな詩を書いているだけでなく、 もう、とにもかくにも旅立ちたい。 陽が沈んでしまう。 助けてくれっ! 寝たきりで陽射しが沈むのを待つなんて真っ平だ。 寂しすぎる。 寝たきりの人、ごめんよ。 でもやっぱり僕は寂しい。 そして今日も陽が暮れるのを見送ってしまう。 本当に寂しい。 寂しい、 寂しい… 暖かい光よ… こんなにも、 暖かい光よ… 我に… (2020.04.06) [:]

[:ja]『トンネル』 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」 (川端康成『雪国』冒頭より) (2020.04.12) [:]

[:ja]『不毛な対話の対義語…』 この苦しみから抜け出したいと想うばかり、 僕は視野が狭く、 近視眼的になっている。 この苦しみ、 視力矯正の不具合だ。 「視力矯正の不具合」という単語を文章表現に使っていけないとは、 誰も言ってない。 ただ、誰も美しいとは思わないかもしれない。 芸術的だとは、文学的だとは思わないかもしれない、もってこい。 好きな音楽について、その想いを文章に書き残しても、いいねをもらっても対話をしても、 この想いは全く解消されない。 歌わないと、 もう歌わないと出口がない。 だけど、嬉しい。 僕は歌うことができる。 歌うことによって旅立つことも、 この苦しみから解放されることも、 世界を変えることもできる。 僕だけが持っている才能、武器、希望。 アコースティックギターを持った若き日のボブディランの姿は、とても尊かった。 そこには寂しさなんて感じなかった。 ただただ正直に、 自分の想いを叫んでいるだけだった。 それだけで勇気を与えられる。 きっと歌っている本人が一番、 勇気が湧いてくるんじゃないかと想う。 僕の心にも勇気が湧いてくる。 こんなにも、 溢れてくる。 疲れ切って、 何もないと思っていたはずなのに、 こんなにも、 溢れてくる。 豊かさ。 不毛の対義語。 不毛な対話の対義語… また、 然るべき希望が見えてきた。 食欲も湧いてくる。 今、何を満たせば良いのだろう? 満たす前に与えられるものは何だろう。 もう、行こう。 西日本が、 九州が、 鹿児島が、 沖縄が、 空港へ行こう。 バスに乗って、羽田へ行こう。 旅立つ君の横顔は、 本当に素敵だ。 風が吹く。 生きてる歓び、 誰かが生きる歓びを、 君や僕に伝えるなんて無理なんだ。 生きる歓びは感じなければならない。 だから、もう、行こう。 何も必要ない。 必要なものは充分持っているだろうし、 本当に何も必要ない。 全てをすっ飛ばして、 君に会いたい。 (2020.04.08)[:]

[:ja]『文学は俺には簡単過ぎた』 文学は俺には簡単過ぎた。 (2020.04.04)[:]

[:ja]『想定外』 僕に想定外なんてない。 ただ、 想定外に備える準備をしていないだけだ。 (2020.04.03) [:]

[:ja]『アウトプット』 「アウトプット」 してない時間が続くと、 不全感が湧いてくる。 そして、寂しい。 数年前、 とてつもない寂しさや絶望感に襲われ、 死にたいという気持ちが晴れずにいた、 人生で一番辛かった頃、 同じようにアウトプットできない、 泣き寝入りのなす術のない時間を送っていた日々。 その状況から抜け出したキッカケは自分のこれまでの人生を振り返り、文章に書いたことだった。 それはとても大きなアウトプットだったと思う。 僕は当時とてつもなく惨めな日々を送っていたと思っていたし、 これまでの人生も決して素晴らしいものだとは思えなかったが、 どういうわけか、 自分のこれまでの人生を文章に書いているうちに、次第に自信が湧いてきた。 振り返った時も、 振り返った時を思い出している今も、 僕の人生の中で一番心に残っている時期やエピソード、 というより、 一番印象に残っていて思い出したいのは、 どういうわけか、 大学の夜間部に通っていた頃。 「どういうわけか」 と、言ったのは、 普通は人生を振り返った時、 一番ジンワリとするのはもっと子どもの頃のこと、小学校や中学、高校に通っていた頃のような気がするからだが、 それは僕の思い込みだろうか。 もちろん大学以前のもっと若い頃もやっぱりジンワリとくる。 今もじっくり時間をかけて振り返って一つ一つのエピソードを頭に浮かべながら言語化する作業に耽ってみたい。 でも今は没頭していられない。 どうも他にやらなければならないことが多い気がしてしまい、没頭することを恐れてしまう。 これは詩だ。 詩でなくてもエッセイだから余り時間がない。 本題に戻る。 確かこの詩の、文章のタイトルは『アウトプット』だ。 アウトプットに対する葛藤を表現する場であって、アウトプットそのものの快楽を味わう場ではない。 それも僕の思い込みか。 大学の夜間部に入学したのは、 僕が工業高校を卒業し、 その高校の付属の大学に進学してから僅か半年で退学した一年半後、 高校を卒業してから2年後のことだった。 高校は男子校で、 普通の(と僕がイメージしている)男女共学の華やかな雰囲気がなく、 私生活も含めて何となく世俗を離れていたような気分だったので、 夜間部とはいえ、 私大文系の大学の雰囲気は僕には華やかに思え、新鮮だった。 高校を卒業してからは最初の2ヶ月ほどは付属の大学に通っていたとはいえ、 だいぶ世間と隔絶して暮らしていた印象があるせいか、 中学を卒業以来、 久しぶりに世俗に帰ってきたような気分だった。 特に、 高校が男子校だったので、 若い女性がたくさんいるのがものすごく嬉しかったのをよく覚えている。 20歳。 夜間部だったが、 サークル活動などもいくらか行われており、 昼間部にも入れるサークルがあるみたいだった。 最初に行った付属の工業系大学に入った時、 キャンパスを歩いていると色んなサークル団体が勧誘活動を行なっていたが、 僕はその光景が何となく好きだった。 自分が勧誘の対象になっているという優越感もあったかもしれないが、 そんな活気のあるキャンパスの光景は微笑ましい。 どうも話が脱線する。 どうやら僕は大学時代を頭に想い浮かべ、 言語化する作業に没頭したいらしい。 僕は没頭は堕落だと思っている。 そしてどういうわけか、 堕落してはいけないと思っている。 没頭は快楽、 アウトプットは快楽だ。 なぜやりたいことをやってはいけないのだ? 僕は自由のはずだ。 いや自由じゃない。 だって、 視力矯正の不具合の改善に協力してくれる人たちがまだ見つかっていないから。 でもここで視力矯正の不具合について語り出すのはやめよう。 せっかく大学時代を振り替えながら気持ちの良い気分を味わっていたのに台無しになってしまう。 本筋に戻ろうと思う。 どうして 一番印象に残っていて思い出したいのは、 大学の夜間部に通っていた頃なのか。 それは、 やり残して後悔していることが多いからだと思う。 まず、 僕が自分の人生の中で一番好きだなと思っていて印象に残っている友人。 彼の存在が大きい。 そして、 何となく気に入っていた女の子が一人。 友だちとして付き合っていて…というよりたまに会話をするくらいだったが、 何となく雰囲気が好きだった女性が一人。 その女性と仲が良く、 一緒につるんでいた女性グループ。 それらの女性全員と僕が所属していた勉強系のサークルの存在…。 少し暗めで切実な話ができる、 何か一緒にやろう(具体的には音楽活動、 バンドだった)と言っていた友人。 他にも色々とあるが、 今こうして振り返って想い浮かべても胸がときめくような、 儚いような、 幻のような日々の光景が愛おしい。 そしてその時代の光景を緻密に思い出そうとする作業に没頭している今は、 不全感が消えていくような感覚を味わえる。 全力のアウトプットとは言えない。 でも、 感じていたくない不全感や寂しさという感覚が消えていくこの作業のメリットは、 この場にアウトプットして伝える意義があると思う。 すっかり寂しさが晴れてしまった。 次はこのようなモノローグではなく、 対話が欲しい。 対話がないと次に進めない。 前進しない。 僕はコミュニケーションがしたいし、 創造的でありたい。 僕が没頭して一人の世界に篭ってしまうことを恐れ、 小説家を志さなかった理由の一つは、 僕が対話に創造性を見出しているからかもしれない。 でも、 今、そのように書いて、揺れた。 小説を書くように、 あの時代を振り返り、 言語化する快楽に没頭してみたいという衝動がよぎった。 だから、 この次の文章で取り上げるテーマは、 僕のこれまでの人生の中で 一番印象に残っていて思い出したい、 大学の夜間部に通っていた頃かもしれない。 対話か小説(モノローグ)か。 ただ、僕は自信を持って創造的だと思える対話の場を、 今は持ち得ていない。 (2020.04.03) [:]

[:ja]『突き抜ける』 『世界の終わり』より突き抜ける。 『リンダ リンダ リンダ』より突き抜ける。 『デソレーション・ロウ』より突き抜ける。 『ブレイクオンスルー』より突き抜ける。 『ダウン・イン・ザ・チューブステーション』より突き抜ける。 『トニー・ウィリアムス』より突き抜ける。 (2020.04.02) [:]

[:ja]『行き場』 行き場がない なぜなら俺が、 頂点だから。 (2020.04.02) [:]

[:ja]【色彩の葬儀:パラレルワールド】   作:カンダタ   「お客さん、お客さんどちらまで?お客さんあきまへん、夢の中まで寝てしまっては、起きてくださいな」   「安岡さん?安岡さん起きてください、安岡さん、先日の案件の報告です」   「ああ、ああ、寝ていたか、すまない、机の上においておいてください、手があいたらみておきます、」   OLたちは安岡さんは相変わらずたそがれてるよね とはなしている   安岡康二、四十八才、この男は生きていない、生きながら死んでいるようである 携帯が鳴る プルルルルル   「え?今日、俺、約束してたっけ?じゃあ、でかけるよ」   会社を出た康二はタクシーをつかまえる 「吉祥寺まで」   「お客さん、うちのタクシー会社でダンボールでもらったファンタオレンジいらないですか?昔はよく販売機でありましたな、、懐かしいでっしゃろ?」   「悪い、疲れてるんだ、無駄口はききたくない」   「お客さん吉祥寺はロンロンの前でよろしいか、お客さん、お忘れものなくね、特に大切なものは知らないうちに忘れてしまうものですよ」   「さっきの運転手、なんだか妙だな、どっかであったような、そうか、どこか、死んだ親父に似てんだ、親父とは気が合わなかった」   康二は携帯のニュースに目をやる 【携帯ニュース:訃報:黄色死去】   「キイロ?なんだ?芸能人?作家?著名人か?」   「あなた、変わったわね、大学時代、夢があるアルバイトと夢がない正社員どちらがいい?、そんな話をきかせてくれたわね、もう会うのも最後ね」 康二は疲れた顔で家に帰ると、背広をソファーにかけてテレビのスイッチをつけた。バラエティーをみても康二は何も無表情。笑い方を忘れてしまったようだ。テレビの画面の上にニュース速報が入る   ピンポンパンポン 【速報:水色、緑色、遺去されました】   康二はハテナ?と小首をかしげる   康二は釈然としない顔で独り呟いて、またテレビをみた   ピンポンパンポン【速報:赤色が遺去】   康二は 「???」   「なんでテレビはモノクロ映画ばかりやってんだ?チャップリン?」   次々 速報が入る ………………………   康二は真っ暗やみの中にいた。   「いつから、いつから俺はこうなっちまったんだ、昔はなんでもできた、未来は無限に広がっていた。あの路地裏を曲がったら異世界があるんじゃないかと思っていたのに、今は毎日、同じことの繰り返し、変わったことはしたくない、色んな色が失われたようだ」   (………康二、色んな色彩があった頃を思い出してみな、一番色彩があった頃、あの幸せだった頃)   「啓太やおばあちゃん、お父さん、カブトムシ、ファンタオレンジ」   【1981年8月18日】 「康二!康二!起きなさい、啓太くんから電話だよ」 「……ん?啓太くん?おはよう」   「やっちゃん、やっちゃんのおばさんにかわってもらったけど、昨日の夕方お寺の樹に蜜を塗ってカブトムシ取りに行く約束、やっちゃんこなかったね、カブトムシいなくてスズメバチに追っかけられて、朝四時のお寺、幽霊、ヒトダマ、出て恐かったんだぞ、お前約束守れよな」   「ええ!?ヒトダマ!嘘だろ!?幽霊っているのかよ!うしろの百太郎みたいだああ、啓太ごめん、夕方の啓太軍団の集まりには行けるからさ、こんど交通事故現場に心霊写真撮りにいこうぜ」   「おやつ300円とファンタオレンジとコロコロコミックとコミックボンボンみんなで集めたからな」   「うん、じゃあ昼の3時に三角くんちであつまるのな、おやつはコアラのマーチを買っていくよ」   「グリコ、森永事件の毒入ってるかもよ、ところでおまえ、ホワイトコーラって飲んだことあるか?」   「げぇ、あれ不味いぜ、サスケコーラのほうがうまいよ」 「康二いつまで電話してんだい、おばあちゃんがカワセでマグロの刺身買ってきてくれたよ」   「かわいい、かわいい康二お前が好きなマグロの刺身買ってきたよ、炊きたてご飯でみなでたべよう、」   「おばあちゃんきょうきょう土曜日だから日本昔話やるよ、泊まっていって、おかあさん三角くんちいってくるね、」   「啓太、みんな、商店街のコーラやビールの空きビン酒屋に持っていって、小銭貰ってヨッチャンイカ買おう、」 「ところでお前、ドリフなんて観てないだろ?タケチャンマンだろ、ひょうきん族だろ、ドリフみるやつバカな、ガンプラ、グフ持ってるぜ」   「おい三角、お前ドリフとひょうきんどっちみてる?ひょうきん?エライ!ひょうきんのほうが新しいよ」 「三角くんちこどもの城な、マーチン軍団むかつくよ、」   「マーチンこのまえう〇こもらしてたぜ、佐久間必死にかばっていたけどな」 「なあ、いま何時だよ」 「もう夕方だから帰るよ」 「あ、お父さんお帰りなさい」   「康二、夏休みに行く伊藤のハトヤホテルの準備してるか?おばあちゃんもう帰るってよ」 「おばあちゃん帰らないで、草履を隠しちゃう」   「おやおや、でも帰らないとね」   「お父さんおばあちゃん帰ったら嫌だ」   「まあ、いいじゃないですか泊まっていってくださいよ」   「あ、ドリフが始まった」 【ゾンビがクルリと輪をかいた、志村!うしろー!】 「わははははは!わははははは!お腹が痛いよ!」   「康二、お前は心が健康にと俺がつけた名前だ、お前は未来がある、お前は何でもできる」   「おやすみ、お父さん、お母さん、おばあちゃん」   康二の顔は泣き濡れた寝顔だった   …………zzz 「運転手さんどこ走ってるんですか?運転手さん?あれ?運転手さんマネキン人形じゃないか?このタクシー自動運転?」 「あれ?あれは虹じゃないか?アハハハアハハハみんな生きていてくれたの?みんな帰ってきてくれたの!?アハハハアハハハ」   康二は夢をみていたようである   会社に出勤する康二。「あれ?安岡さん手に持っているのファンタオレンジじゃないですか?まだ売っているの?なんだかジュース持ってるなんて安岡さん、ギャップあるなあ」 「あ、ああ、いつもとちがう道を寄り道したら駄菓子屋があって、まだファンタ売っていたんだ、なあ、こんど飲み会誘ってくれよ、いい飲み屋探してんだ、ムードがいい店、誘いたい人がいるんだ、」 END[:]

[:ja]『今日は耐えた、我慢した』 今日は耐えた。 我慢した。 良いことなんて一つもない。 昼間の時間、 ゆっくり食事ができるのは貴重だ。 バリボリバリボリ、 本当はどうしたいっ? 何が食べたいか、 徹底的に考えた、 キュビズム。。 今日はデタラメに書いても何も産まれる気がしない。 ただ、ただ、早く帰りたい。 まさかこんな日になるなんて。 第一優先だった不動産物件探しで、 こんなにも不幸になってしまうなんて、 まさか、まさかの出来事だった。 でも、控えめに夕食食べつつ、 楽しむのも悪くない。 サミットにメンチがあったら買って仕舞えば良いじゃないか? サトウのメンチ買い忘れたくらいで… サトウのメンチ… やっぱり吉祥寺は最高…だ。。 イェェェェェッイ、 スモーキンッ、ビッッリィィィッッィ! 昨日はなぜ、あんな奇跡の動画、発見した? kosaten、立ち寄った後の、ジョナサンよ。 残されたガストの半熟卵入りビーフシチューよ。 ジョナサンのサーモンマリネよ。 レンコンのきんぴらにゴマゴボウのサラダよ。 本日悩みに悩んで、 食べる時のバリボリ感を想像して2本だけ買った、昇竜の春巻きよ。 ファミマのエビチリとハンバーグステーキの残りよ。 僅かに残ったローソンの豚の角煮よ。 銀座ビーフハヤシよ。 それでも足りなかったら冷凍食品の白身フライに手をつける。 でも、きっと母が、 春巻きの皮を揚げてくれている、 と信じている。 とにかく僕は新しい世界に行きたい。 この日の悔しさを覚えている。 マーシーよ、 マーシーよ、 オーマーシーマーシーミー。 新しい言葉に辿り着けない… 他力…無だ… 新しい明日に期待しよう。。 弱ってさえいない。 空腹はこんなに俺から力を奪うのか… リロード、 俺はマグナム、 拳銃。。 スーパーマグナム、 拳銃。 (2020.04.02) [:]

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