Category Archives: iguchi

[:ja]『旅立ち』 シガーロスの曲が流れる。 その世界に、 逃げ込みたくなる。 母に、 シガーロスの思い出を語ろうとする場面を思い浮かべようとするが、 踏み止まる。 昔話はもう終わりだ。 実家のある、 地域での思い出は寂しいものばかり。 まるで、 全て捨て去るためにあるかのよう… 捨て去るためのもののように。 あの暖かな世界を知るまでは、 知らなかった。 これまでの思い出は全て、 捨て去って良いものだと。 それに対して後ろめたさも大きな決意も必要ないんだと。 そこにはただ優しさしかない。 暖かさ、温もりしかない。 争いはあるかもしれない。 寂しい気持ちも訪れるかもしれない。 でも幸せだ。 生まれ育った町の、世界の、 その寂しさとは違う。 不本意だ。 居てはいけない。 旅立ちの時。 僕は人々と関わろうとしている。 ジッパーを下ろして開こうとしている。 おおっぴろげている。 暖かい。 この世界は美しいと、 素晴らしいと、 今なら本当に、 あの人たちのように歌える気がする。 言葉が欲しい。 音楽が聴きたい。 今は、 残されたものだけで、 この切なさを埋めようとしている。 それは、 寂しい。 寂しさの正体は分かっている。 これまで何度も問うてきた。 でも問いや分析なんてどうでもいい。 サーフボードを抱えて、 あの暑い陽射しの下で、 眉間にしわを寄せながら、 ムサムサと歩いている方がよっぽど良い。 でも、そこも良いけれど、 今、本当に向かいたい場所は、 そこではない。 旅立ちの時、 今は寂しさを感じる、だろう。 でもそれは思い込みに過ぎない。 (2020.05.12) [:]

[:ja]『卵料理好きが高じて』 卵料理好きが高じて。 始まりは何だったか、 もう、覚えていない。 昔から半熟の目玉焼きが好きだったのはよく覚えているものの、 無性に卵の半熟に取り憑かれたのは、 いつからだったか。 もちろん、 卵焼きもオムレツもスクランブルエッグも温泉卵も好きだ。 だけど、 あの、半熟の黄身を割った時、 したたり流れるドロドロが溜まらない。 白身と合わせて食べれば、 天国行き、 そしてどんな料理(メシ)にも合う。 ビーフシチュー、 生キャベツ、 春巻き、 ハンバーグ、 ギョーザ… 何にでも合う。 挙げたりない… しかし最近は、 半熟の目玉焼きでも黄身のドロドロ感が物足りなくなり、 生卵を割ってその中に生キャベツを入れて混ぜ、 そこに色々な料理を入れたりしながら楽しんでいる。 いろんなタレをつけつつ。 何でもかんでもぶっ込んで、 あらゆる味を混ぜ合わせ、 飽くなき飽くなき、 楽しく、辞めることが出来ず、 そして虚しい時間。 意味を求めたら終わりだ。 もっと恥ずかしいこと、 もっと人には言えないこと、 あえて言葉にする必要ないが、 言葉にしなければ、 共有できない。 鳳凰の卵、求めなくても、 今のまま、このまま、 無限の楽しみが広がっている。 カウンター席に腰掛けて、 天井を見上げる。 目を閉じれば、 無限の空が広がっている。 すぐにもあそこに戻っていける。。 卵好きが昂じて、 いつのまにか、 春巻きバリボリ、取り憑かれてる。 (2020.05.06) [:]

[:ja]『ロバーツ・コーヒー千歳烏山店にて』 苦しい。 この苦しみから逃れたいという気持ちを、 吐き出さずには居られなかった。 本当はポジティヴで、 建設的な考えが想いついたり、 成長につながるような行動をしたり、 それはつまり視力矯正の不具合の改善につながるような行動でもあり… ダメだ… また、何かが揺らいだ…。 この店は雰囲気といい、 音楽といい、 カウンター席の前の窓から見える 目の前のTSUTAYAの灯りと言い、 とても良い感じだ。 来て、良かった。 本当に、良かった。 コロナウィルスの騒ぎの影響で緊急事態宣言が出されたためスターバックスが休業中なこともあり、 こんな気分は、 久しぶりだ。 俺はこんな風にして、 日々の疲れを癒し、 未来について考えていたんだ。 次第に気持ちがポジティヴになってくる。 やはり、 カフェは、良い…。 カフェのカウンター席と、 カウンター席の前の窓から見える、 夜の街の灯りは良い。 他にもこんなカフェはあるだろうか…。 もっと高いフロアから、 夜空の街を見下ろしてみたい。。 ラスベガスにはそんな落ち着けるカフェはあるだろうか。 騒がし過ぎて安らげないだろうか。 まだ行ったことがない世界が本当にたくさんある。 ここで終わりたくない。 ……. 今日は本当に苦しかった。 本当にどうしようもなかった。 ぶちまけられないことは承知しつつ、 この、怒りや不満を誰かにぶちまけてやりたい気持ちだった。 ボブ・ディラン。 今日の朝、 zoomで参加したある対話会で、 俺はいつものように、 『サブタレニアン・ホームシックブルース』 でボブ・ディランがやっていたような、 言葉が書いてある白い紙を紙芝居のようにめくりながら、 こみあがり、 湧き上がり、 溢れてくる止めどない言葉を、 思いっ切り発散させてみたい。 そんな贅沢とワガママを、 自分にさせてあげたい。 それくらい、 良いだろう? 本音を言いたい。 本音を言いたい。 本音を言いたい。。。 でも本音が言えないのは分かってる。 それは、僕が選んだ状況でもあり、 人々が望んだ結果だ。 俺は人々に問いかける。 独走はしない。 独走は独裁。 人々を依存させてしまう。 …… 建設的な考えに戻ろう。 今日、余りの苦しさに、 とりあえず、もう、 いくつかの視力の問題に取り組んでいる機関に連絡をし、 一度、相談に伺うことを思いついた。 このままYouTubeで発信したり、 共同研究できる専門家を探し続けているだけでは、 悶々とした日々を送るだけで人生が終わってしまう。 それにとても耐えられなかった。 それ以上に不具合による頭痛や違和感を、 何とかしてやわらげたかった。 何とか、 したかった。 何とか、 して欲しかった。 もう、 歯を喰いしばり続けるのは限界なのかもしれない。 この世界はこんなに素敵な音楽で溢れているのに、 豊かなのに。 Help! 僕もそんな風に大声で叫びい気持ちがあった。 できそうにない、だからここに書いている。 止めどない想いをここに書き連ねるのは生産的ではないが、 Help! と叫ぶのは、 とてもクリエイティブだ。 僕はそう思う。。。 もう少し、 もう少しで力が抜けて、 風が吹く。 僕はついに、 解放される。 世界はこんなにも優しいから。 きっと誰かが、 優しい歌を歌ってくれるから…。 …… 本当は、 この視力矯正の不具合による苦しみを、 もっと繊細に、 丁寧に言葉で表現しなければいけないのに、 どうしても苦しくなってしまい、 それができない。 いつか、 ここから解放されて、 旅立つ日々が訪れたら、 このkosaten magazineの日々と産み出した言葉達は失敗だったと、 良い笑顔で、 本当に心の底から良い笑顔で、 笑える日がやってくるだろうか。 そこに近づいている気がする。。 僕の頭の中にはいつだって、 ジョイ・ディビジョンのセレモニーが流れている。 (2020.05.05) [:]

[:ja]『すべてが虚しい、このまま散ってしまいたい。』 すべてが虚しい、 このまま散ってしまいたい。 僕が一番、愚かだった。 愚かなのに歌さえ歌わなかった。 叫んでいる人と、 黙っている人との違いは、 どこにあるのだろうか? 叫んでいるか、 黙っているか、 歴史に残るか、 ひっそりと生きるか。 この心がもう、 寿命が来ている、 退屈な葛藤の中に、 もう気づき始めた、 何の意味もないことに、 自分の信じる道を歩んで良いことに。 すべてが虚しい、 このまま新しい世界にいきたい。 僕はその新しい世界を知っている。 現実に、知っている。 いつでもそこに行けるのに、 僕は足を踏み入れない。 ただ、見送っている。 いつでもそこに行けるのに、 誰かに背中を押して欲しいと願っている。 そこは天国というよりは、 始まりの街。 まだ僕が歩んでいないフィールド、 冒険の世界。 青い海と空の向こう。 眩しく、暖かい光が当たるストリート、 ビーチ。 素朴で、懐かしい、 映画に出てくるような家が並び、 行き過ぎる。 僕はこれからその風景に鮮明さを与えていくのか、 それとも、振り返らず、駆け抜けて行くのか。 (2020.04.15)[:]

[:ja]『最強のコーチと日本一のコーチ』 今のこの俺のコーチになれるコーチは、 最強のコーチだと思う。 今の俺が然るべき行動が取れるようになるためには、 俺が、日本一高い志や問題意識を持っていると感じるような知性のある人との出会いが必要だという、 直感がある。 俺のコーチになるやつも、 そんな高い志や問題意識を持てるだけの知性と実力がなければ務まらない。 いわば、 最強のコーチだと思う。 数年前、 俺にコーチングを教えてくれた師匠は、 日本一のコーチだった。 恐らく世の中には、 もっと知名度の高い、 実績のあるコーチがいるだろうが、 俺は俺の師匠が日本一だと勝手に思っている。 俺はそのコーチからビジネスコンサルティングも受けていて、 いよいよ独立しようかという話になったが、 視力矯正の不具合を抱えているため、 どうしてもビジネスの世界へは踏み出せなかった。 そして、ひきこもりの問題や、 視力矯正の不具合を抱える中で芽生えた問題意識を捨てきることができなかった。 俺はそのように師匠に伝え、 師匠の元を去った。 師匠の元を去ったその日だったか、 少し経った日に会った時だったか忘れたが、 コーチングとは別に、 ある貴重な、とても有難いお誘いを頂いたことがある。 けれど俺はその場では返事が出来ず、 師匠はもし俺がその気になったら連絡をくれと言っていたが、 俺は何年も連絡をせず、 1人で自分の道を切り開くための生活を始めた。 自分の道を切り開く、 というとカッコが良いが、 実際は、不思議な言い方かもしれないが、 とても不本意で、惨めな道だった。 話が逸れるので元に戻す。 この記事では主に俺の師匠について書きたい。 ただ、こうして何度も自分の人生を振り返っていると、 自分史というのを改めて、 今度はもっと丁寧に書いてみたいと思う。 ただ、自分史を勢いではなく、 丁寧に書こうと意識し出すと、 それを文学作品に結実させたいという衝動に駆られ、 かつ短く圧縮させて密度を濃くしようと思い出すと、 悔しいが、 どうしても村上春樹の『風の歌を聴け』 を意識してしまい、 どうも自分のオリジナルな道を切り開いていないようで少し嫌になる。 また話が逸れ出した。 俺のコーチはとにかく、 俺は日本一のコーチだと思っている。 視力矯正の不具合を改善するための然るべき行動が取れるように自分をサポートしてくれるコーチを探そうと思った時、 最初は確か、 師匠以外のコーチを探してみたが、 どうも上手く見つからないので師匠に連絡を取ろうとしたが、 師匠のメールアドレスは現在は使われていないらしく、 連絡を取ることができなかった。 師匠と付き合いのあった当時、 交流のあった人たちに片っ端から師匠のことを訪ねたが、 今、師匠がどこでどうしているか、 誰も知らなかった。 音信不通だった。 …僕は、 もしかしたら、 もうこの世にはいないのではないかとさえ思った。 師匠は余りにも天才肌だったから… それとも、 天才であるがゆえに凡人である僕らとは一切縁を切って、 どこかでその才能を発揮させているのかもしれないという想いもよぎる。 いずれにしても、 僕は師匠に会えないでいる。 そして僕は師匠に会いたいと思っている。 僕はその後、 現在までも、 然るべき行動が取れるように自分をサポートしてくれるコーチを探しているが、 新しいコーチに会うたびに師匠と比べてしまい、 物足りなさを感じてしまう。 それに、 僕自身がコーチングを学んでしまったこともあり、 相手がやろうとしていることが分かってしまうか、 想定内の対話が繰り広げられ、 新しい気づきや、 然るべき行動が取れるための何かが起こらず、 やはり、 物足りなさを感じてしまう。 時には怒りも感じさせる。 師匠が当時、俺に言ったことは本当だった。 まだコーチの世界については右も左も分からず、 コーチやカウンセラーといった人たちとも余り会っていなかった僕には全く見えていない世界が、 師匠には手に取るように見えていた、 のだと思う。 師匠の元を去ってから、 何十人かのコーチに会い、 若い世代の間で流行っているのか、 コーチングを身につけた若い世代達の雰囲気をみていると、当時、師匠が僕に言った言葉の真実が、 だんだん分かるようになってきて、 寂しさを感じるようになっている。 そして、あの時、師匠を信じて一歩踏み出せなかった自分を強く後悔している。 …… 先行く人がいないのは寂しい…。 (2020.04.14)[:]

[:ja]『揚げ物好きが高じて、今のところ』 揚げ物好きが高じて、 今のところ、 皮だけ揚げた春巻きも、 バリボリと食べるようになってきた。 しかも揚げる作業を、 母に頼んで… オニオンリングもハンバーガーショップで買うと高いので節約も兼ねて、 玉ねぎを揚げて、時々作るようになってきた。 揚げる作業を母に頼んで… 母は揚げる作業にも慣れてきたと言う。 僕も母から教わり、 揚げる作業を自分で行うことができれば、 千切りキャベツを更に細かく千切る作業に続いて、 朝に新しいリズムを産み出す、 新しい習慣になるかもしれない。 新しいリズムを産み出す、 新しい習慣。 素敵な言葉だ。 毎日こんな素敵な言葉に基づいた生活を送っていれば、 幸せにならないはずはずはない、 と思う。 でも、 素敵な言葉だけが並んでいる文章に、 物足りなさを感じる繊細さも身につけてしまったのでそこに安住はできない。 だから視力矯正の不具合という、 人生で抱えてしまったシンドイ悩みを言葉にして加えてみる。 このシンドさはなかなかオシャレな雑誌置き場や雑貨屋さんに並べるわけにはいかない。 このままマクロビ生活を、 セレブな生活を、南国生活を、 満喫するだけではまだ物足りない。 いやなんとなく、 視力矯正の不具合による苦しみも、 お肌の悩みや運動不足と同じように、 オシャレな雑誌置き場や雑貨屋さんに並べられそうな気がしてきた。 ヨガをやっているうちに、 素材にこだわった食事をしているうちに、 改善しそうな気がしてきた。 分からないものだ。 これも新しい夜明け、 新しいステージ。 いつのまにか、 峠を越えた? 長い夜の可能性。 非、生産的だと思っていた、 眠れぬ夜の、クリエイティヴィティー。 こんな夜を抜けた一行目から始まる、 小説を遺してみたいものです、 ヒャッホォォォォィィィィ。 (2020.04.12) [:]

[:ja]『まだまだHelp!にいたるまで』 なぜ寂しさが消えないのか。 完璧なはずだった。 ここで長い時間、 過ごしていれば良いはずだった。 でも違った。 僕は早く旅に出たかった。 留まっていたくなかったんだ。 早く出なければ手遅れになる。 午前と午後の境目。 今日も空港には人が行き交い、 飛行機は遠くへ飛んでいる。 僕もそこに行きたかった。 そこに行きたいだけだった。 こんな詩を書いているだけでなく、 もう、とにもかくにも旅立ちたい。 陽が沈んでしまう。 助けてくれっ! 寝たきりで陽射しが沈むのを待つなんて真っ平だ。 寂しすぎる。 寝たきりの人、ごめんよ。 でもやっぱり僕は寂しい。 そして今日も陽が暮れるのを見送ってしまう。 本当に寂しい。 寂しい、 寂しい… 暖かい光よ… こんなにも、 暖かい光よ… 我に… (2020.04.06) [:]

[:ja]『トンネル』 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」 (川端康成『雪国』冒頭より) (2020.04.12) [:]

[:ja]『不毛な対話の対義語…』 この苦しみから抜け出したいと想うばかり、 僕は視野が狭く、 近視眼的になっている。 この苦しみ、 視力矯正の不具合だ。 「視力矯正の不具合」という単語を文章表現に使っていけないとは、 誰も言ってない。 ただ、誰も美しいとは思わないかもしれない。 芸術的だとは、文学的だとは思わないかもしれない、もってこい。 好きな音楽について、その想いを文章に書き残しても、いいねをもらっても対話をしても、 この想いは全く解消されない。 歌わないと、 もう歌わないと出口がない。 だけど、嬉しい。 僕は歌うことができる。 歌うことによって旅立つことも、 この苦しみから解放されることも、 世界を変えることもできる。 僕だけが持っている才能、武器、希望。 アコースティックギターを持った若き日のボブディランの姿は、とても尊かった。 そこには寂しさなんて感じなかった。 ただただ正直に、 自分の想いを叫んでいるだけだった。 それだけで勇気を与えられる。 きっと歌っている本人が一番、 勇気が湧いてくるんじゃないかと想う。 僕の心にも勇気が湧いてくる。 こんなにも、 溢れてくる。 疲れ切って、 何もないと思っていたはずなのに、 こんなにも、 溢れてくる。 豊かさ。 不毛の対義語。 不毛な対話の対義語… また、 然るべき希望が見えてきた。 食欲も湧いてくる。 今、何を満たせば良いのだろう? 満たす前に与えられるものは何だろう。 もう、行こう。 西日本が、 九州が、 鹿児島が、 沖縄が、 空港へ行こう。 バスに乗って、羽田へ行こう。 旅立つ君の横顔は、 本当に素敵だ。 風が吹く。 生きてる歓び、 誰かが生きる歓びを、 君や僕に伝えるなんて無理なんだ。 生きる歓びは感じなければならない。 だから、もう、行こう。 何も必要ない。 必要なものは充分持っているだろうし、 本当に何も必要ない。 全てをすっ飛ばして、 君に会いたい。 (2020.04.08)[:]

[:ja]『文学は俺には簡単過ぎた』 文学は俺には簡単過ぎた。 (2020.04.04)[:]

[:ja]『想定外』 僕に想定外なんてない。 ただ、 想定外に備える準備をしていないだけだ。 (2020.04.03) [:]

[:ja]『アウトプット』 「アウトプット」 してない時間が続くと、 不全感が湧いてくる。 そして、寂しい。 数年前、 とてつもない寂しさや絶望感に襲われ、 死にたいという気持ちが晴れずにいた、 人生で一番辛かった頃、 同じようにアウトプットできない、 泣き寝入りのなす術のない時間を送っていた日々。 その状況から抜け出したキッカケは自分のこれまでの人生を振り返り、文章に書いたことだった。 それはとても大きなアウトプットだったと思う。 僕は当時とてつもなく惨めな日々を送っていたと思っていたし、 これまでの人生も決して素晴らしいものだとは思えなかったが、 どういうわけか、 自分のこれまでの人生を文章に書いているうちに、次第に自信が湧いてきた。 振り返った時も、 振り返った時を思い出している今も、 僕の人生の中で一番心に残っている時期やエピソード、 というより、 一番印象に残っていて思い出したいのは、 どういうわけか、 大学の夜間部に通っていた頃。 「どういうわけか」 と、言ったのは、 普通は人生を振り返った時、 一番ジンワリとするのはもっと子どもの頃のこと、小学校や中学、高校に通っていた頃のような気がするからだが、 それは僕の思い込みだろうか。 もちろん大学以前のもっと若い頃もやっぱりジンワリとくる。 今もじっくり時間をかけて振り返って一つ一つのエピソードを頭に浮かべながら言語化する作業に耽ってみたい。 でも今は没頭していられない。 どうも他にやらなければならないことが多い気がしてしまい、没頭することを恐れてしまう。 これは詩だ。 詩でなくてもエッセイだから余り時間がない。 本題に戻る。 確かこの詩の、文章のタイトルは『アウトプット』だ。 アウトプットに対する葛藤を表現する場であって、アウトプットそのものの快楽を味わう場ではない。 それも僕の思い込みか。 大学の夜間部に入学したのは、 僕が工業高校を卒業し、 その高校の付属の大学に進学してから僅か半年で退学した一年半後、 高校を卒業してから2年後のことだった。 高校は男子校で、 普通の(と僕がイメージしている)男女共学の華やかな雰囲気がなく、 私生活も含めて何となく世俗を離れていたような気分だったので、 夜間部とはいえ、 私大文系の大学の雰囲気は僕には華やかに思え、新鮮だった。 高校を卒業してからは最初の2ヶ月ほどは付属の大学に通っていたとはいえ、 だいぶ世間と隔絶して暮らしていた印象があるせいか、 中学を卒業以来、 久しぶりに世俗に帰ってきたような気分だった。 特に、 高校が男子校だったので、 若い女性がたくさんいるのがものすごく嬉しかったのをよく覚えている。 20歳。 夜間部だったが、 サークル活動などもいくらか行われており、 昼間部にも入れるサークルがあるみたいだった。 最初に行った付属の工業系大学に入った時、 キャンパスを歩いていると色んなサークル団体が勧誘活動を行なっていたが、 僕はその光景が何となく好きだった。 自分が勧誘の対象になっているという優越感もあったかもしれないが、 そんな活気のあるキャンパスの光景は微笑ましい。 どうも話が脱線する。 どうやら僕は大学時代を頭に想い浮かべ、 言語化する作業に没頭したいらしい。 僕は没頭は堕落だと思っている。 そしてどういうわけか、 堕落してはいけないと思っている。 没頭は快楽、 アウトプットは快楽だ。 なぜやりたいことをやってはいけないのだ? 僕は自由のはずだ。 いや自由じゃない。 だって、 視力矯正の不具合の改善に協力してくれる人たちがまだ見つかっていないから。 でもここで視力矯正の不具合について語り出すのはやめよう。 せっかく大学時代を振り替えながら気持ちの良い気分を味わっていたのに台無しになってしまう。 本筋に戻ろうと思う。 どうして 一番印象に残っていて思い出したいのは、 大学の夜間部に通っていた頃なのか。 それは、 やり残して後悔していることが多いからだと思う。 まず、 僕が自分の人生の中で一番好きだなと思っていて印象に残っている友人。 彼の存在が大きい。 そして、 何となく気に入っていた女の子が一人。 友だちとして付き合っていて…というよりたまに会話をするくらいだったが、 何となく雰囲気が好きだった女性が一人。 その女性と仲が良く、 一緒につるんでいた女性グループ。 それらの女性全員と僕が所属していた勉強系のサークルの存在…。 少し暗めで切実な話ができる、 何か一緒にやろう(具体的には音楽活動、 バンドだった)と言っていた友人。 他にも色々とあるが、 今こうして振り返って想い浮かべても胸がときめくような、 儚いような、 幻のような日々の光景が愛おしい。 そしてその時代の光景を緻密に思い出そうとする作業に没頭している今は、 不全感が消えていくような感覚を味わえる。 全力のアウトプットとは言えない。 でも、 感じていたくない不全感や寂しさという感覚が消えていくこの作業のメリットは、 この場にアウトプットして伝える意義があると思う。 すっかり寂しさが晴れてしまった。 次はこのようなモノローグではなく、 対話が欲しい。 対話がないと次に進めない。 前進しない。 僕はコミュニケーションがしたいし、 創造的でありたい。 僕が没頭して一人の世界に篭ってしまうことを恐れ、 小説家を志さなかった理由の一つは、 僕が対話に創造性を見出しているからかもしれない。 でも、 今、そのように書いて、揺れた。 小説を書くように、 あの時代を振り返り、 言語化する快楽に没頭してみたいという衝動がよぎった。 だから、 この次の文章で取り上げるテーマは、 僕のこれまでの人生の中で 一番印象に残っていて思い出したい、 大学の夜間部に通っていた頃かもしれない。 対話か小説(モノローグ)か。 ただ、僕は自信を持って創造的だと思える対話の場を、 今は持ち得ていない。 (2020.04.03) [:]

[:ja]『突き抜ける』 『世界の終わり』より突き抜ける。 『リンダ リンダ リンダ』より突き抜ける。 『デソレーション・ロウ』より突き抜ける。 『ブレイクオンスルー』より突き抜ける。 『ダウン・イン・ザ・チューブステーション』より突き抜ける。 『トニー・ウィリアムス』より突き抜ける。 (2020.04.02) [:]

[:ja]『行き場』 行き場がない なぜなら俺が、 頂点だから。 (2020.04.02) [:]

[:ja]『今日は耐えた、我慢した』 今日は耐えた。 我慢した。 良いことなんて一つもない。 昼間の時間、 ゆっくり食事ができるのは貴重だ。 バリボリバリボリ、 本当はどうしたいっ? 何が食べたいか、 徹底的に考えた、 キュビズム。。 今日はデタラメに書いても何も産まれる気がしない。 ただ、ただ、早く帰りたい。 まさかこんな日になるなんて。 第一優先だった不動産物件探しで、 こんなにも不幸になってしまうなんて、 まさか、まさかの出来事だった。 でも、控えめに夕食食べつつ、 楽しむのも悪くない。 サミットにメンチがあったら買って仕舞えば良いじゃないか? サトウのメンチ買い忘れたくらいで… サトウのメンチ… やっぱり吉祥寺は最高…だ。。 イェェェェェッイ、 スモーキンッ、ビッッリィィィッッィ! 昨日はなぜ、あんな奇跡の動画、発見した? kosaten、立ち寄った後の、ジョナサンよ。 残されたガストの半熟卵入りビーフシチューよ。 ジョナサンのサーモンマリネよ。 レンコンのきんぴらにゴマゴボウのサラダよ。 本日悩みに悩んで、 食べる時のバリボリ感を想像して2本だけ買った、昇竜の春巻きよ。 ファミマのエビチリとハンバーグステーキの残りよ。 僅かに残ったローソンの豚の角煮よ。 銀座ビーフハヤシよ。 それでも足りなかったら冷凍食品の白身フライに手をつける。 でも、きっと母が、 春巻きの皮を揚げてくれている、 と信じている。 とにかく僕は新しい世界に行きたい。 この日の悔しさを覚えている。 マーシーよ、 マーシーよ、 オーマーシーマーシーミー。 新しい言葉に辿り着けない… 他力…無だ… 新しい明日に期待しよう。。 弱ってさえいない。 空腹はこんなに俺から力を奪うのか… リロード、 俺はマグナム、 拳銃。。 スーパーマグナム、 拳銃。 (2020.04.02) [:]

[:ja]kosaten magazine 42 『冷凍の春巻き〜俺はその先の世界が見てみたい』 冷凍の春巻きは、 全ておんなじ味だと思っていた。 LAWSONも、ファミリーマートも、 ライフもイオン系のスーパーも、 パッケージは異なるが、 全てニチレイフーズ、 みんなおんなじだと思っていた。 でも、違った。 LAWSONの春巻きは皮の風味が香ばしく、 きな粉っぽい香りがして、 僕好みだ。 ファミリーマート はどうだろう? と思って試してみたが、 LAWSONと同じような気もしたし、 他のスーパーで売っているニチレイ印の春巻きとおんなじ気もした。 でも、どちらかというとLAWSONの春巻きが一番きな粉っぽい香ばしさを感じるので、 しばらくLAWSONの冷凍春巻きを中心に買って食べてみようと思う。 食事を開始して最初の時間は、 なるべくトースターでコンガリ焼いてバリボリバリっと音を立てながら食べ、 後半からレンジで温めるだけの皮が柔らかい状態でその日のオカズのタレにつけながら食べたりする。 コンガリバリボリに焼くよりフニャフニャの状態の方が色んなタレが染み込みやすく、 美味しく楽しめる。 色んなオカズのタレを同時につけて食べるのが最高に楽しい。 そしてもちろんそこにキャベツIn生卵も待っている。 じっくり時間を掛けて、 約1時間45分の食事の時間、 動画を視聴しながらの至福の時。 出来ればもっと長い時間を掛けて、 出来ればもっとお腹を空かせて…。 視力矯正の不具合を改善して、 運動が思いっきりできるようになったら、 キックボクシングのジムに再び通って、 果てるまでサンドバッグに蹴り込みをしたり、トレーナーの方にミットを持ってもらって、もうぐったりするぐらい、 食事ができないくらい身体を疲れさせて、 回復させるために長時間、爆睡し、 目覚めた空腹な状態で、 ゆっくり散歩に出かけ家に帰り、 動画を視聴しながら、 ゆっくりストレッチをしながら、 ゆっくり準備しながら、 空腹の身体を焦らせながら、 トースターのチンっ!と焼きあがる音を何度も聴きながら、 いよいよ食事を楽しみたい。 幸せだ。 本当に幸せだ。 これが実家でなく、 オープンエアーの海が見える、 超素敵な風景の空間で行えたら、 本当に最高だ。 プロジェクターで海外のどこか素敵な景色を映し出せば実家でもリゾート気分を味わえるかもしれない。 暖かい風も欲しい。 まばゆい、 本物の日光の光も欲しい。 この先ボクには、 どんな食卓が待っているだろう。 どんな料理を楽しみたいと思うだろう。 どんな人と出会い、 どんな人が僕のそばに寄り添ってくれるだろう…。 理想の暮らし、パートナー。 いつも、想い浮かべる。 あの人は、 僕のこの異常な趣味に、 どこまで共感して付き合ってくれるだろうか。 最高の午後、 最高の陽射し、 眩しく暖かな光。 たどり着きたい。 視力矯正の不具合を改善するための当事者研究…なんて、 シンドそうな問題意識をすっ飛ばして、 たどり着きたいたい。 アトモスフィア…。 彼がその階段を昇ったのは、 困難を乗り越えた後だったのか。 それとも、 ただ、 楽に、 然るべき道を歩んだだけなのか。 セレモニー。 長く、深い闇を超えて、 穏やかな風に身を任せ、 たどり着いたまばゆい光、 セレモニー。 更にその先にあったのは、 本当に、 ロマンチシズムや脳天気なクラブサウンドだったのか。 僕はもっと先を見てみたかった気がする。 ブランキー・ジェット・シティの『幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする』の先の先、 スピッツの『隼』の先の先、 マイルスデイビスの『ネフェルティティ』や『イン・ア・サイレント・ウェイ』の先の先、 CANの『フューチャー・デイズ』の先の先、 無い物ねだり。 無い物は創れば良い。 心の中に。 イマジン…。 吐き散らせっ! 言葉を、心を、世界に。 気持ち良いぃぞぉーっ! ひょー、気持ちいいぞっ! ヒャッホぉぉぉぉぉウぃぃっっ! ウホーイホイっ! もしかしたら、 ボブディラン の『サブタレニアンホームシックブルース』は、 『ライクアローリングストーン』は、 『ディサレイションロウ』は、 いや、全ての曲は… いや、全ての音楽は、 それらの先の先の風景なのかもしれない。 もしかしたら、 グレングールド が弾く、 シベリウスが僕にとっての究極の音だと思っていたが、 どことなく、 どうともなく、 いや… キリがない。 俺は確かな、 具体的な音を、 想像ではなく、 具体的な物を、 その究極の音の世界を 具体的な物として、 俺の前に提示して欲しい。 さっさと魅せて欲しい。 バリボリバリ… もう少しだ、もう少しでたどり着きそうだ。 クローサー… それはまだアトモスフィアの一歩手前。 堂々巡りから抜け出すには具体的な物の提示、製作、行動だ。 まずはチラシを貼り付け広告したい。 俺はその先の世界が見てみたい。 (2020.04.01)[:]

[:ja]kosaten magazine 41 『快楽』 頭の中が、 ニチレイの冷凍の春巻きをコンガリ焼いて、 レトルトの銀座ハヤシにつけて食べることで一杯だ、 満たされている。 そうだ、 僕は満たされている。 今この時間、 スタバでほうじ茶を飲んでいる、 この時間、 僕は改めて自分の問題意識を言語化しようなどというシンドイことをしようとは思わない。 10年後、 20年後を大切に出来ていないのだろうか。 だけど、 シンドイことはやはり、やりたくない。 そんなことを書いているうちに、 シンドイことを書きたくなってきた。 とりあえず、 過去の動画の原稿のコピペを。 前回、 「医師と患者という関係性や、 障害者、健常者という分け方を前提とせず、 何かしら生じた個人の「不具合」に対して病名や障害名をつけることなく「不具合」のまま、例えば医師は医療の専門家として、 不具合を抱えた当事者はその不具合という苦労を抱えた専門家として、お互いが対等の立場で共に、 その「不具合」を改善していく問題解決=医療の形はないのだろうか。」 でも、そんなことよりも早く、 視力矯正の不具合を改善したい。 そのために、 淡路島に行くことは良い選択だろうか。 更にこの先へ… 先の先へ。 もっと先へ。 僕が、 日本一高い志や問題意識を持っている人と出会ったら、恐らく僕は然るべき行動が取れるようになるだろうと思っているということは、 僕は僕自身が日本一高い志や問題意識を持っていると思い込んでいる。 悶々と不全感を感じてどうしようもない日々を送っている今でも、 その自信だけはなくならない。 根拠のない自信、 なのか、 それとも明確に根拠のある自信か。 どちらでも良い。 ただ、この先へ行きたい。 もっと先へ行きたい。 視力矯正の不具合ゆえに、 視界の歪みがあり、 脳に不快感が生じ、 スッキリしない。 眼を閉じても、 その不快感はなくならない。 整えなければ、ならない。 早く、乱視用のソフトレンズを付けて、 一度、クリアな視界を体験し、 またハードレンズを入れて具合を調節して… 今はこれが自分にできる最大限の快楽だから仕方がない… (2020.03.28)[:]

[:ja]kosaten magazine 40 『もう我慢できない』 僕の頭の中は、 視力矯正の不具合による苦しみと、 食べることで満たされている。 視力矯正の不具合について語るのは辛い。 だから今日は食べることについて語りたいと思う。 以前お話ししたように、 僕は冷凍の春巻きを具材だけ取り出してトースターでコンガリ焼いて食べるのが好きだ。 バリボリバリボリ、 バリボリバリ。 オカズにローソンセレクトの煮込みハンバーグ。 一度に全ては食べれないので、 何食にも分けて食べることにしている。 賞味期限は余り気にしない。 そして、 とても美味しい。 バリボリに焼いた春巻きとの相性は抜群で、 そこに必殺の千切りキャベツIn生卵を合わせて食べれば… … 僕はこんな食生活がやめられないでいる。 デミグラスソースが掛ったハンバーグが美味しくないわけがなく、 コンガリ焼いた小麦のかたまりが美味しくないわけがなく、 生卵に溶けこました千切りキャベツが美味しくないわけがなく、 健康的で、 新鮮な食事に憧れていながら、 世界中にある色んなものが食べたいという気持ちがありながら、 殆ど毎日同じようなものばかり、 実家のリビングという狭い空間で、 代わり映えしない景色の中で、 僕はこんな食生活がやめられないでいる。 これも視力矯正の不具合のせいだと叫びたいし、論理的に証明したいが、 同時に、 「こんな食生活」と呼んでしまっているこの食事の楽しさや美味しさや魅力を、 人々に伝えたいという思いもある。 バリボリバリボリ、 バリボリバリボリ。 ローソンセレクトの煮込みハンバーグは、 セブンイレブンやファミリーマートの同価格帯のハンバーグに比べると個人的には程よくジューシーで美味しいと思うのだが、 バリボリの春巻きをデミグラスソースに付けながら食べる僕にとって、 デミグラスソースの量が少ないのが少し困ってしまう。 だから次食べるときは別売りのビーフハヤシも使ってデミグラスソースが少なくなってきたローソンセレクトの煮込みハンバーグを合わせて食べようかと思う。 とても贅沢な食事だ。 たまらない…。 本当に健康的ではないのだろうか。 本当の本当は、 ワンピースに出てくるコックのサンジのような料理人に憧れるが、 今は視力矯正の不具合ゆえに、 出来合いのものを組み合わせてプチ料理を楽しむとする。 ビュッフェ好きの僕にとっては、 出来合いのものを組み合わせながら、 台所とカウンターテーブルを行き来しながら、トースターで春巻きなど揚げもの料理がコンガリ焼き上がるのを待ち遠しく待ちながら、YouTubeなど動画サイトの動画を視聴しながら、 食事を楽しむ時間は至福の時なのかもしれない。 でも、 クリエィティブと言えるだろうか。 僕は健康でクリエィティブな生活を送りたい。 世の中に、 生きた証を残したい。 僕には何かが欠けている。 志や問題意識を共有できるパートナーが欠けている。 社会と対峙していけるような、 政治的なアクションが欠けている。 視力矯正の不具合の改善に協力してくれる専門家が欠けている。 「この人は話を聴くのが上手いなぁ」と、 心の底から思えるような人との出会いが欠けている。 世の中に出ていかなければならない。 世の中に出ていけば、 きっとそれらの欠けているもの全てが手に入る。 そして健康的な食事も手に入る。 未来の僕は、 今の僕を、 今の僕の生活を振り返った時、 心がじんわりとするだろうか。 一人で振り返るだけよりも、 未来のパートナーに、 今のこの僕の惨めな生活を、 笑いながら語りたいものです。 (2020.03.23)[:]

[:ja]kosaten magazine  38 『心地良い対話を求めてしまうという、 苦手意識』 また、今日も、 視力矯正の不具合を改善するための然るべき行動が、 取れなかった。 明日も取らないつもりでいる。 対話の場に出掛けて行って、 視力矯正の不具合を改善するための当事者研究を実現するためだと言い聞かせて、 半ば、現実逃避を無理矢理正当化しながら、 明日も、 然るべき行動を取らないつもりでいる。 僕は今、 頭に浮かんでいる眼鏡屋さんと眼科が一件ずつ存在する。 そのどちらも何度か足を運んでいて、 視力の検査を行なっている。 けれど、 眼鏡を作成したり、 コンタクトレンズを購入するまでには至らなかった。 どうしても、 眼鏡店のスタッフや、 クリニックの眼科医や検査員に、 心地良い対話を、 お互いに尊重し合い、 理解しようとする姿勢を、 求めてしまう。 相手にこちらの感覚や問題意識を尊重し、 理解しようとする姿勢を求めてしまう。 それが僕の苦手意識。 心地良い対話を求めてしまうという、 心地良いというより、 そもそも「対話」というものを求めてしまう、僕の苦手意識。 対話だけじゃない。 僕はその眼鏡屋さんの雰囲気も、 眼科のクリニックの雰囲気も、 何となく苦手だ。 検査を受けるのだって、 やっぱりシンドイ(もうこれまで何度も受けて来た…んだ)。 この苦手意識を改善しないと、 僕の人生は変わらないのだろうか。 この苦手意識を志だと貫いて、 現実逃避の先送りをし続けて、 時間を無駄にしてしまう日々の繰り返しを、 これからも続けてしまうのだろうか? どうして吉報が訪れないのか。 この先は本音を語ることになってしまうため、 どうしても告白できない。 やはり、本音を告白するためには、 カウンセリングルームという安心安全の場に甘えるしかないのだろうか。 (2020.03.19)[:]

[:ja]kosaten magazine  37 『恥ずかしいと思え!』 まず第1に、 今、僕は、 視力矯正の不具合を抱えて悩んでいることを伝えねばならない。 視力矯正の不具合を改善するために消費者や患者という立場では限界を感じてるなんて言ってるが、 視力矯正の不具合を抱える当事者と専門家とが主にゆっくりと丁寧な対話を通じて視力矯正の不具合を改善するための当事者研究のようなものをやりたいなんて言ってるが、 実際のところ、 ぶっちゃけ、 純粋にお前の話を理解しようとしてくれる専門家の人が現れて視力矯正の不具合の改善を助けてくれれば良いんだろう? 実際のところ、 眼科医や眼鏡屋が丁寧な対話ができないことくらい我慢して根気よく足を運んだり、 ダメ元でも我慢してメガネを買ったりコンタクトレンズを買ったり、 とにかく消費者や患者という立場に甘んじて、今より少しは良い状況にするために我慢して行動すれば解決するんだろ? 実際のところホントのところ、 視力矯正の不具合を改善するための当事者研究なんて投げ出したい。 そんな志、 もう、 捨ててしまいたい。 辞めてしまいたい。 そしたらもう本当に好きなことをやるんだ、 ろっ? (2020.03.17)[:]

[:ja]kosaten magazine34 『ノンタイトル』 この世界に、 本当は、 一つでも皆んなが楽しいと思えるコンテンツを残したいんだ。 僕は楽しいことがしたい。 もう今は楽しみたいだけなんだ。 そして、 暖かいところに行きたい。 問題意識なんて本当はどうだっていい。 (2020.03.14)[:]

[:ja]kosaten magazine 33 行き詰まってしまった。 嫌になってしまった。 息苦しくなってしまった。 自分に嘘をつき続けてきた結果、 視力矯正の不具合の改善を先送りにし続けてきた結果、 俺は自分に可哀想なことをし続けてしまった。 大事にしているつもりだった。 毎日食べたいものを食べ、 スタバでほうじ茶を飲み、 少しは自分の活動に協力してくれる人がいる… … それだけ? … 俺はまた嘘をついている。 本当はもっと自由に世界中を飛び回っていたいのに、 自分を思いっきり表現して人々とぶつかりあっていたいのに、 本当はもっと助けて欲しいのに、 本当はもっと叫んで怒りをぶちまけたいのに、 大人しく、 大人しく、 大人しく、 良い人であろうとしている。 所詮俺は、 人に嫌われて、 居場所をなくして世界に旅立つ覚悟がないだけか。 それが俺をこんなに可哀想な状態にさせてしまった。 ごめんよ… 俺… 寂しいよ… こんなに… 本当は寂しい気持ちが溜まっているのに、 どこにもぶちまけられないでいる…。 世界はこんなに広いのに、 世界はこんなに眩しく、豊かなのに、 視力矯正の不具合を抱えているだけで、 こんなにも寂しく惨めな気持ちになっている。 もうこんな想いはさせたくないよ。 俺に…僕に… 凡庸さに配慮するな。 いくら凡庸だって、 芸術的で、文学的な心情吐露でなくても構わないじゃないか。 だからこそ素晴らしい… やめよう。 素直に寂しさをぶちまけよう。 微睡みの中に落ちていこう… 酒を飲みまくったっていい。 コンガリ焼いたチーズのピザを食べたっていい。 タマゴやポテトサラダやハムがタップリ入ったサンドイッチを食べまくったっていい。 散々食べて、 食べたものを吐いてしまってもいい。 でももうやめよう。 こんなこと書き続けるのだって、 人に見せるつもりがなければ暇つぶしに過ぎない。 夜明けが近い。 そう、明日は夜明けだ。 君が暖かく、 尊重されて、 迎え入れられる日がやってくる。 アイ ワナ ビー アドワード。 アワナビーあどぅぉぉぉーッッ! レニだって叩いてくれる。 ビートを刻んでくれる。 夜の世界。 ジョン・スクワイアの宗教的なフレーズが、 夜の世界を演出する。 この世界に浸っていたい。 スタイルカウンシルのカフェブリュで微睡んだ後、 レニの刻む躍動感に導かれて、 未知の世界に突き進んでいきたい。 突き抜けたい。 行きたいところは分かっている。 60年代。 クリスピアンミルズのように、 あの時代に希望を、 堕落を見出しても構わない。 堕落が、 だらしなく酔い果てることが今の俺の逃げ道、希望。 疲れてきたよ。 やめたいよ。 足の裏を揉まれたいよ。 助けてよ。 こんなに頑張ってきたのにご褒美なしじゃ。 先送りした、 怠けてきた報いか。 … 本当に落ちよう… (2020.03.11)[:]

[:ja]kosaten magazine31 『スターバックス 成城学園前店にて』 今日は何だか寂しいなと思っていたと同時に、文章が書きたくなった。 昼食を実家で一人、食べている時だ。 人はやはり寂しくなると文章を書き残したくなるのかもしれない。 そして、 昼間に実家にいることはとても寂しい。 昼間に限らず、 そもそも実家に住んで毎日実家に戻ってきてしまう生活が、もう、どうしようもない。 本当に弱音を吐いてしまいそうだ。 本当に弱音を母に吐いたら、 母はどうするだろうか。 とはいえ僕はいつも大体弱音を吐いているから本当にもう泣き叫び暴れ出すくらいの弱音じゃないと母には響かないだろう。 寂しい生活。 分かっている。 こんな文章を書いているのは惰性に過ぎない。自分で暇つぶしに書いていることは自覚している。 眠い。 とにかく突っ伏せる机を探したい。 分かっている。 コンタクトレンズを付けて外して裸眼でしばらく過ごした後、 メガネを掛けると急激に眠気に襲われるんだ。 とても起きていられない。 でも返って良かった。 これで暇つぶしに書いているこの文章を終わらせられる。 ただただ寂しく虚しい。 人と協力できなかった、 孤立していったものの末路だ。 午後の時間はとにかく寂しい。 寂しいという言葉を別の言葉に言い換えて表現できれば詩的だが、 あいにく今の僕は頭が回らない。 語彙なんて活用できない。 文章術…昏睡せよ。 (2020.03.05)[:]

[:ja]kosaten magazine28 『苦しみ6』 苦しい苦しい苦しいと、 ただただ泣き叫べば良い。 誰も叫んでないからといって関係ない。 どんなに拙くても、 どんなに醜くくても、 居場所を無くしても、 社会的な成功は得られなくても、 叫びたいように叫べば良い。 綺麗事をいって、 自分らしく生きるんだと言ってカッコつけてる奴らなんか気にせず、 お前は堂々と泣き叫べば良い。 答えは出る。 俺は世間の奴らが言うことが、 表現することが、 詰まらない、物足りないと感じるのは、 所詮人間なんていくつかのパターンに当てはまってしまうから、 そのパターンを大体想定できてしまえば、 そんなに驚くような、 胸を打つような、 何か目の前の現実が変わっていくような、 本当にカタルシスを感じる希望のような表現がないのは、 当たり前だと思っていた。 でもやっぱり違う気がする。 物足りないと感じるのは、 単にそいつらがそれだけの奴らだった、ってことなだけな気がする。 だから俺は思いっきり叫んでしまおうと思う。 ちょっと論理的に言葉を並べ過ぎちまった。。。 ただ苦しい苦しい苦しい、と。 いやもっと純粋に相手を罵るような汚い言葉を並べて大声で叫べば良い。 ただただただただ純粋に、 上手く声にならなくても、 思いっきり遠慮せず、 もはや…のように、 というようにロックスターを例えに持ち出さずに、 ただただ純粋に泣き叫べばいい。 怒ればいい。 そうすれば答えは出る。 問題は解決する。 また、一つ、自分を許してしまった。 また、一つ、自分を解放してしまった。 また、一つ、自分を自由にしてしまった。 清々しい。 抱き合おう。 僕らは抱き合おう。 思いっきり笑い合おう。 そして僕に世界に旅へ出るための、 航空チケットを下さい。 (2020.03.02)[:]

[:ja]kosaten magazine 27 『気づき』 「成功者の言葉は信じなくて良い。 無駄な経験もあるんだということを身を持って味わったというのが多少なりとも貴重かもしれないがそんなものは要らない。」 (『終わり〜然るべき場所』より) 「無駄な経験もあるんだということを身を持って味わったというのが多少なりとも貴重かもしれない」 だと…。 それが人生に無駄なものはない、 ということなのか…。 (2020.03.01)[:]

[:ja]kosaten magazine 26 「終わり〜然るべき場所」 やった。 ここまではやった。 無駄な努力だった。 成し遂げるつもりだった。 でも、 もう駄目だ。 本当にやりたいこと、 行きたいところに行って、 幸せになりたい。 幸せを掴む握力を、 鍛えることができたのだろうか? それよりも僕は実績が欲しかった。 そして、 色んな出会いや体験がしたかった。 どうせ苦しむなら、 もっと絵になるような苦しみを味わいたかった。 視力矯正の不具合なんて寂し過ぎる。 余りにも不毛。 泣き叫んだり共感を得る権利さえ与えられていない。 無駄な努力。 世の中にはそんなものもある。 成功者の言葉は信じなくて良い。 無駄な経験もあるんだということを身を持って味わったというのが多少なりとも貴重かもしれないがそんなものは要らない。 俺はもう楽しみたいだけだ。 俺の話を聴いてくれ、 そして楽な道へと導いてくれ、 そう叫びたい、 願いたいだけだ。 また、 あの風景を想い浮かべてしまった。 ハワイのオアフ島、 カイルアの街にあるカイルアビーチ。 ビーチから観える青い景色の向こう、 先の世界。 俺の想像力はそこで終わっている。 想像…しようとは思わない。 例え今まで観た映画の世界を使って 先の世界を想像したとしても、 現実よりは遥かにつまらないだろう。 俺は仮想現実や、 脳の力を、それほど期待していない。 現実に関するどんな議論が繰り広げられたとしても、 俺はその先の世界に実際に足を踏み入れたい。 記憶を植え付けられたら抗えないかもしれない。 けれど俺がカイルアビーチまで行った記憶がリアルかどうか、 議論をしたいとは思わない (何が現実か、対話をするのは構いませんが…)。 俺はマトリックスの世界に憧れていた。 どこかでサイファーのような気持ちがありながら、 やっぱりネオのように真実を求めてしまうのだろう。 暖かく、柔らかく、安らかな毛布の中で。 結局オレはこんな具合の思考を巡らせて堂々巡りの思考に逃避してしまう。 具体的な手続きが必要だ。 超、具体的な、手続きが。 法律を作成するための具体的な手続きや活動が。 世界中を旅するための飛行機の便のチェックと予約と先立つ準備のアレコレが。 …… このまま遠くへ行けるのだろうか。 だったらこのままここに留まっていたい。 芸術なんて、 アウトプットなんてタネが分かればタカが知れている。 それでも真剣に成果物に向き合うのが批評なのか。 もう分からないんだ。 分かっているが、 分からないんだ。 でも、この先にある。 行きたかった、望んでいた世界は、 きっとこの先にある。 確実にそこに近づいている。 心と身体が、 それを教えてくれている。 (2020.03.01)[:]

[:ja]kosaten magazine 25 『然るべき場所』 然るべき場所へ行きたい。 僕が尊重できて、 僕が尊重されて、 僕が本気を出せる、 然るべき場所へ。 どこに行っても物足りない。 どこにも行っても自信が持てない。 退屈で、暇つぶしのように、 どうでも良い場所へ足を運んでしまう。 然るべき場所での顔ぶれはもう頭に浮かんでいる。 もう出会ったことのある人ばかり。 けれど、 話をしたことがない。 昔は僕は、自分をさらけ出せなかった。 まだ、さらけ出せる自分ではなかった。 それがとても悔しい。 まるで意味がなかった。 僕はきっともっと社会と対峙して良かった。 あの頃のまま、 今のまま、 もっと叫んでも良かった…はずだ。 僕は歌える気がする。 僕はいつだって歌う準備ができている。 舞台だってきちんと用意されている。 自分の壁は自分自身だなんて言葉は 身体の不具合の前には消滅してしまうけれど 歌うときには やはりカッコつけていたいけれど だから誰も醜態を晒さない。 少なくとも僕にはそう思える。 でも僕は、 僕は歌える気がする。 僕はいつだって歌う準備ができている。 舞台だってきちんと用意されている。 そして僕は、 然るべき人たちのいる、 然るべき場所へ行ける。 (2020.02.29)[:]

[:ja]kosaten magazine30 『嫉妬』 宇野常寛さんの『リトルピープルの時代』の表紙が、 もし、 仮面ライダー旧1号ではなく、 快傑ズバットかキカイダーだったら、 僕は嫉妬に狂っていただろう。 [:]

[:ja]kosaten magazine29 『直感』 直感に従ったら孤立してしまう。 だから僕は直感を疑った。 それでも直感を正しいと信じている。[:]

[:ja]kosaten magazine 23 『怒り』 小さな怒りかもしれない。 憤りという言葉に置き換えられるかもしれない。 少なからず、 最近、 よく人に言われることで、 腹が立っていることがある。 怒りを表現してはいけないと思っている人がいる、 と、よく言われることがある。 僕は、 怒りを表現できる人だと思っていた。 でも、 押し殺しているのかもしれない。 謙虚で素直な気持ちで、 相手を気遣っているんだと、 無意識に言い聞かせている気がする。 窮屈だ。 毎日が息苦しい。 怒りを表現すれば、 自分の歌を歌ってしまえば、 全ての問題は解決する。 そんなことは昔から、 分かっているのに、 縮こまっている僕がいる。 もうこんな暇つぶしで憂さ晴らしの文章は書きたくない。 書き続けたくない。 理想の自分は、 こんな文章を書くような惰性の毎日を送っているだろうか。 充実したい。 心の底から、 笑い合いたい。 本当の想いを叫びたい。 (2020.02.22)[:]

[:ja]kosaten magazine 24 『微睡み』 一言目から抑制している。 良い子ぶること前提に、 今、この苦しみを書き留めようとしている。 もう少しだ、もう少し。 この凡庸に嫌気がさしたら、 思う存分叫べるはずだ。 歌を歌えば解決する。 問題は全て解決してしまう。 頭に、 これまで観聴きしたロックスター達が、 頭をよぎる。 でも、そんなんじゃ物足りない。 地下の溜まり場に、 集い、交わされる何か… 暖かくもあり、怪しくもあり、 だらしくなく、 そして意識は微睡みの中のような… このまま堕ちていきたい… この凡庸さに嫌気がさしたら、 思う存分叫べるはずだ。 そしたら全ては解決する。 解決してしまう。 何て開放的な気分なんだろう。 こんな奇跡が訪れるなんて。 分かっていたはずだ。 全て分かっていた。 微睡みの中、沈んでいきたい。 その権利が僕にはある。 その資産が、僕には充分にある。 どこかにかしこまって出掛ける必要もない。 僕の居場所はきっとある。 だからもう叫んでしまおう。 この抑制された、 良い子ぶった空間からは、 もうおさらばだ。 良かったね、 良かった、 と、 微笑んでくれるあの娘が見える。 そう、 本当に良かったと思える。 ここだったんだ。 僕が求めていたのは、 楽になれるのは、 幸せになれるのは、 幸せにできるのは、 ここだったんだ。 だから、 本当に良かった。 楽しいことばかり、 幸せなことばかりだ。 再びこれまで観聴きしたロックスターが頭をよぎる。 というよりジミ・ヘンドリックスの顔が頭に浮かぶ。 意味はない。 僕のこのせっかくだらしなく気持ち良くなっている気分を加速させてくれるだけだ。 それはとてもありがたい。 このまま沈んで行こう。 そしたら超絶技巧のテクが手に入るかもしれない。 きちんとした生活はもうどうでも良い。 一度くらい、 存分に堕ちてみたい。 もう少し…。 もう少しで幸せになれる。 僕はまだ、 ロックの本当の素晴らしさを知らない。 本当の始まり。 良かった。 これでやっと、 幸せになれる。 意味はない。 尊敬もされない。 でも、これで良かったんだ。 筆を取ってアウトプットするのはオマケに過ぎない。 きちんとし過ぎている。 だからこれでいい。 これで良いんだ。 とても気持ちが良い気分だ。 きっと、初めての気分だ。 色んな人を救える気がする。 本当に良かった。 本当に僕が求めていた世界がここにあった。 本当に良かった。 (2020.02.25)[:]

[:ja]『揚げ物好きが高じて』 食べることが好きです。 肉や魚、野菜、豆類、卵、お菓子も含めて、 食べることが大好きです。 好きな食べ物や料理を挙げればキリがありませんが、 特に辞められないのが揚げ物、 特に春巻きです。 自分で作ることは余りありませんが、 スーパーやお弁当さん、ショッピングセンターの惣菜を始め、コンビニや冷凍食品も含めて、毎日買って家で食べています。 その食べ方も長年の間に色々と変化してきました。 まず何よりもトースターでコンガリと焼くことです。 惣菜として売られた状態ではパリパリ感が物足りないので、 僕は必ずトースターでコンガリと焦げ目ができるまで焼いてから食べることにしています。 このトースターで揚げ物を焼いている時は僕にとって至福の時間なので、 表面が焦げてしまわないように春巻きにアルミを被せつつ、10分以上、時には20分ほど、 もうそれ以上焼いてもコンガリ具合は変わらなくても焼き続けることがあります。 トースターでコンガリさせながら、 そのトースターの音をBGMにストレッチをしたり、 腕立て伏せをして、 美味しく食べれる身体の状態を整えています。 コンガリと焼いた春巻きをお皿に取り出す瞬間は溜まりません。 肉料理や魚料理を始め色んな料理が好きだし、 揚げ物もクリームコロッケ、エビフライ、カキフライ、串カツ、トンカツ(特に卵とじの、いわゆるカツ丼の上)、天ぷら類も好きなのですが、 毎日食べたくなってしまうほどの中毒性があるのは、 今のところ春巻きだけです。 春巻きの食べ方についてですが、 春巻き単体で食べ続けることは少ないです。 春巻きと同じくらい好物である生卵に千切りキャベツをつけて一緒に食べるのが主な食べ方です。 春巻きだけでなく、 揚げ物だけではなく、 大体の料理を僕は千切りキャベツと生卵の組み合わせと一緒に食べます。 多くの人が肉や魚を食べる時に一緒に白いご飯を食べるのと同じような感覚なのかもしれません。 最初の一口に食べるのはやはりコンガリ焼いた春巻きなのですが、 コンガリ焼いた春巻きを食べるパリッとした最初の一口は溜まりません。 しかしその食べ方も、段々変化してきました。 春巻きを食べ続けていくうちに、 春巻きの皮だけを食べたくなることが多いことに気づき始めました。 特に冷凍の春巻きの場合、 中身の具材がそれほど美味しいとは言えないこともあり、中身を出して皮と具材を分けてトースターで焼いて食べるようになりました。 そのようにして食べるとコンガリ焼いたパリパリの皮の食感や味だけを味わえるので、 とても幸せな気持ちになれます。 中身の具材も普通に焼いただけではそれほど美味しくなくても具材だけ出してコンガリさせると、それなりに美味しく食べることができます。 そんな調子で揚げ物が好きというよりも、 春巻きなら揚げた皮、他の揚げ物なら揚げ衣の部分への食欲が増していきました。 そのため、 エビフライ、カキフライ、串カツ、トンカツなどのしっかりした素材を揚げた料理だけでなく、 チーズパイやオンオンリングなど、 具材感が弱い、ほぼコンガリ焼いた生地や衣で覆われた部分で構成されている料理も好むようになってきました。 春巻きの皮、チーズパイ、オニオンリング、など 複数の揚げ物料理の揚げた部分を一度に口に含んでバリボリさせて食べる瞬間は溜まりません。 もちろん、 それらも千切りキャベツin生卵と一緒に食べます。 まだ、 油の塊である揚げ玉やかた焼きそばの麺だけを食べるという領域には達していないのですが、 それも時間の問題かもしれません。 揚げ物好きが高じて、 この先ぼくの欲望はどこに向かっていくのか、 今からとても楽しみです。 (2020.02.01)[:]

[:ja]『動画撮影の日々』 毎日、 動画撮影をして、 YouTubeで発信できる環境を整えたい。 自分の経験や考えや、 好きなことや日常の風景や、 誰かと対話している場面を、 映像に撮って表現していきたい。 そう思いながら、 もう、 だいぶ長い時間が経っている。 そう思いながら、 毎日、そのような環境を整えられず、 悶々と過ごしている。 自宅で撮れば良いじゃないか、 という声もあるが、 僕は今住んでいる世田谷区にある実家が余り好きになれず、 どうしても動画を撮影しようという気持ちになれない。 動画だけでなく、 僕は今の自宅にいて作業をするのが苦手だ。 そのような事情で、 今はkosatenメンバーのあるお方にお願いして、だいたい週に一回、 kosatenが開いている時間の数十分をお借りして、撮影を手伝ってもらっている。 でも、 やはりそれではもう物足りない。 もう、 「出したいっ!」 という想いが日に日に強くなってきている。 どこでも撮れるはずなのに、 一人でも撮れるはずなのに、 何でも出していいはずなのに…。 毎日、動画撮影をして自分を表現して、 世界に発信している日常を想像する。 世界とつながっていること。 それは、 とても素晴らしいことのように思える。 その日常は、 とても充実したもののように思える。 僕は、 本当に、 世界中のいろんな人たちとコミュニケーションがしたい。 もっと気軽に、 そして、本気で、 お互いを尊重し合ったり、 ぶつけ合ってみたい。 恋愛… というものもしてみたい… 幸せな道を、 歩んでいけたらと思う。 (2020.02.18)[:]

[:ja]『苦しみ5』 苦しい。 今の状況が苦しい。 視力矯正の不具合による視界の歪みや頭痛や違和感、それらにより、 やりたいことがやれない、 行きたいところに行けないのが苦しい。 暖かいところに行きたい。 でも、行けない。 相変わらず実家のリビングで食事をしながら、 そんなに眺めが良いわけではない景色を、 ボンヤリと眺めている。 ボンヤリと食べている。 苦しい、と身近な人に頻繁にLINEしてしまっている。 身近な人といっても心の支えになっているわけではない。 家族という存在。 それよりも僕は心の支えが欲しい。 僕はとてつもなく弱い。 最近、少しずつではあるが、 動画を撮り始めている。 けれど、 動画ではネガティブなことは余り言えない。 だから、ここで、 kosaten magazineで吐き出している。 人目を気にしながら。 いずれにしても最低だ。 叫んでしまえばどんなに気持ちが晴れるだろう。 どんなに心が解放されるだろう。 ああ、、、気持ちいい…。。。 僕が叫べば世界が凍りつく。 そんなことを詩にした詩人がいたような気がする。 凡庸だ。 後悔ばかりだ。 叫んでしまえばどんなに気持ちが晴れるだろう。 どんなに心が解放されるだろう。 ああ、気持ちいい。 天国だ。 人生で4度目の感動だ。 幸せだ。 (2020.02.13)[:]

[:ja]『苦しみ4』 苦しみを解放したい。 ただ、苦しいと叫びたい。 本当はこの苦しさを論理的に証明したい。 苦しみを表現することは勇気がいる。 苦しみを表現したり、 弱音を吐いてはいけないという、 世の中の声を感じ取ってしまう。 思い込みだろうか。 視力矯正の不具合による頭痛で頭の働かない僕には、 そのような世の中の声を冷静に把握できない。 だから苦しみを解放しても良いと、 表現しても良いと、 泣き叫んでも良いと、 恥ずかしくても良い、 と、 直接、許可を出して欲しい。 もっとも、 「いいよ」 と言われても、 簡単に解放できるわけではないが。 恐らく、 「それがなかなかできないんですよ…」 と誤魔化してしまいそうだが。 もしこの苦しみを思いっきり表現できたら、 この苦しみからも解放される気がする。 とても気持ちが晴れてくる気がする。 また、 すぐに論理的思考が働いてしまう。 苦しみを具現化するための歌詞やメロディーを、 構築しようとしてしまう。 ガムシャラに泣き叫ぶ前に。 そして僕は閉じていく。 Beatlesの『All You Need is Love』に癒されながら… 泣き叫ぶ機会を伺っている…。 (2020.1.20)[:]

[:ja]『感動』 高3の頃、教室の机に突っ伏しながらレディオヘッドの『fakeplastictrees』を聴いて初めて音楽を聴いて感動した時のこと、 34歳の頃、初めての海外旅行でハワイのオアフ島にあるカイルアという町の雰囲気やカイルアビーチの景色を観ながら、 「これまでの自分は何て狭い世界に居たのだろう…」、 と感動した時のこと。 それまでの自分はこの社会で幸せに生きるために、 苦しい現状を変えるために何とかしたいと思って色んな努力をしてきたけれど、 何一つ成し遂げられなかった。 なのに、 ハワイにいた時は何の努力もせず、 ただ居るだけで幸せになってしまったことがもの凄く衝撃的だった。 今の僕は、 この世で何一つ成し遂げられなくても、 感動できる自分がいればそれで十分だと、 本当に、心の底から思える。 (2019.12.16)[:]

[:ja]『苦しみ3』 けれど、 「視力矯正の不具合を抱えていても、 苦しみを表現することはできる。 けれど、 その勇気がない。」 と、 表現する勇気だけはある。 あとは少しずつ、 自分自身を解放していくだけ…。 一気に解放したいという欲望に駆られつつ… [:]

[:ja]『苦しみ 2』 視力矯正の不具合を抱えていても、 苦しみを表現することはできる。 視力矯正の不具合による苦しみ、 ネガティヴな気持ちをさらけ出して文学作品に結実させれば、 素晴らしいものができるかもしれない。 けれど、 僕には、 文学作品を産み出したいというモチベーションが余りない。 いや、 視力矯正の不具合が改善して落ち着いて生活をしたり読み書きができれば、 文学作品を産み出したいという欲求も高まるかもしれない。 けれど今は、 視力矯正の不具合による苦しみを表現することよりも、 視力矯正の不具合による苦しみや ネガティヴな気持ちをさらけ出して文学作品に結実させるよりも、 視力矯正の不具合を改善したい。 視力矯正の不具合を改善するための然るべき行動が取れるようになりたい。 視力矯正の不具合を改善するための然るべき行動が取れるようになるための知恵を身につけたい。 視力矯正の不具合を改善するための然るべき行動が取れるようになるための知恵を身につけるために、 本をたくさん読み、 セミナーやワークショップに参加し、 新しい知識を身につけたり情報を入手したい。 そのためには視力矯正の不具合を改善しなければならない…。 しかし、 この負のサイクルに対する認識はどこか間違っている気がする。 もっと、力を抜こう…。 今の自分を動かすためには、 僕が、 「この人は日本一高い志や問題意識を持った人だ」 と、心の底から思える人に出会って触発しなければ、 僕は自分自身を動かすことができない、 そういう人に出会えれば、 きっと然るべき行動が取れるようになれるだろうというのが、 最初の直感だった。 でも、 もしかしたら力が入り過ぎているのかもしれない、 色々な人のアドバイスを、 素直に受け取れていない自分がいるのではないかという想いもよぎり続けている。 これが長いトンネルだろうか。 「トンネルを抜けると 次のトンネルの入口で」 と、 『天頂バス』で歌うミスチルの歌が頭に響き、残る。 直感と論理、 どちらが正解か分からない。 といっても僕は、 直感に従って思いっきり前に進んだとは言い切れない。 直感に従って思いっきり前に進むためにも自分を触発してくれる何かを必要としてしまっている。 このような思考がグルグルと回る。 でも、直感に従って思いっきり突き抜けることができたら、 どんなに気持ち良かったか。 突き抜けたい。 これも、最近の、 いや、だいぶ前からの口癖だ… …。 ここまで書いて自分の思考と文章を省みて読み直す。 文学作品としての価値があるだろうか、 よく分からない。 別に文学的価値なんてなくたって構わない。 ただ、今の自分を遺したいと思ったのは確かだ。 次へ行きたい。 [:]

[:ja]『苦しみ』 視力矯正の不具合を抱えていても、 苦しみを表現することはできる。 けれど、 その勇気がない。[:]

[:ja]『食事の時間』 食事の時間、 今日も千切りキャベツを更に千切り、 生卵を用意して、 春巻きを中心に 食べたい料理を並べながら、 食事の時間を楽しんでいる。 実家の、リビングで。 特別薄暗いわけじゃない。 陽の光も入ってくる。 YouTubeやpodcastを視聴しながら、 揚げ物をトースターでコンガリ焼きながら、 お湯を沸かしながら、 ゆっくりと料理を味わいながら、 食事の時間を楽しんでいる。 幸せな気もする。 なかなか食べ終えることができない。 何とか食べ終えた後、 どういうわけか、 あぁ、、、幸せだ、、、と、 感じることは少ない。 寂しい気持ちになることが多い。 実家のリビングは、 特別薄暗いわけじゃない。 陽の光も入ってくる。 だけど、 ハワイのホテルにある、 オープンエアーのレストランとは違い、 青い海は見渡せない。 周りの人々のガヤガヤもない。 食べ終わると眠くなってしまい、 歯を磨いた後、 そのままベットで横になり眠ってしまう。 起きた後は本当に寂しい。。 広い世界へ旅立ちたい。 そして今日も、 食べることを考えている、 楽しい食事の時間。 [:]

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